はじまり
「……ねぇ、私たち どうなるのかな……」
ーーー薄れゆく意識の中、彼女の声が聴こえた。
俺は、力を振り絞って 立ち上がる。
彼女は、そこにいるんだ。
俺は手を伸ばす。
「俺が……君を、守るから……」
そう言うが、俺の手はもう 言うことを聞いてくれない。
俺の手は、ダラリと下がり、やがて
俺自身も倒れてしまう。
あと、少しなんだ。
あと少しで、彼女に触れられる。
そんな思いとは裏腹に、再び意識が遠のいて行く。
「ねぇ、……応えてよ…っ」
彼女の悲痛な声が聴こえる。
しかし、俺の体は石のように重く、
動かない。
「ねぇっ!!!グリュック!……っ、
……応えてよっ……」
その彼女の叫びが聴こえた瞬間ーーー
俺は、プツリと意識をなくした。
♧
目が覚めると、そこには見慣れた天井があった。
起き上がると、ジャラリ。
首に首輪のような鎖が付いていた。
足には、重りのようなものが付いた鎖が付いている。
辺りは薄暗く、鉄格子から見える空は曇っていた。
(また、あの夢……)
ここに幽閉されてから何年だろう。
今、自分は何才なのかすら分からない
しかし、ここに幽閉されてから、
しばしばあの夢を見るようになった。
そして決まってあの夢は、自分が血だらけなのだ。
(あの女の子は、誰なんだろう……)
そう考えながら、立ち上がった。
途端、首と足首に激痛が走る。
「……った……」
足首を見ると、鎖から覗く肌は アザで
真っ黒だ。おそらく首もそうだろう。
……無理もない、
長い間縛られているのだから。
なんで幽閉されているのか、昔のことは忘れてしまった。
自分がなんて呼ばれていたのかも、
……どうやって笑うのかも。
長く伸びきった髪と爪を見て、ため息をつく。
ーーいつ、ここから出られるのだろう
そんなことを考えながら、また座り直した。
壁にもたれながら、鉄格子から小さい空を眺めるのは、もう飽きた。
「……いつ、ここから出してくれるのかな……」
♧
孤児院は、嫌いだ。
院長はいつも、私たちを働かせる。
自分は何にもしないクセに……。
「リーベ!!!何してんだい!
早く働きなさい!!!」
リーベと呼ばれた少女は、一瞬、反抗のような表情を見せたが、うつ向き
「はい」
と答えた。
「ったく、なんでアンタの親は
名前だけ置いてったんだろうね!
普通は、金も置いて行くだろうに!」
「……すみません」
少女は、雑巾を絞りながら小さな声でそう言った。
「ったく……、アンタの親も何処にいるんだろうね、見つけたら養育費を
たんまり取ってやるからね」
「…………」
リーベは、院長の顔を見ずに淡々と
床を拭き始めた。
「……アンタっ!聞いてんのかい⁉︎」
院長は、リーベが何も言わないのが
頭にきたらしく、癇癪を起こし始めた。
リーベは、キッと院長を睨む。
「……なんだい?その目は。
これだからアンタに、貰い手がいないんだよっ!!」
ーーバチンッ
院長は、リーベに平手打ちをした。
まだ幼い少女は、その衝撃で
壁まで吹き飛んでしまう。
「……っ…」
リーベは、叩かれた頬を手で押さえながら よろよろと立ち上がった。
院長は、そんな少女の髪を掴んだ。
「なんだい、その顔はっ⁉︎
あたしに何かあんのかいっ⁈」
院長はヒステリックになりながら、
リーベに思いっきり平手打ちをする。
「やめっ……!」
やっと、声を出した少女に構わずに
院長の暴力は続いていった。
すると、騒ぎを聞きつけた他の孤児達がやってきた。
しかし、大人の院長に勝てる子供は
居らず、みんな見て見ぬ振りをして、
部屋から逃げるように出て行ったのだった。
「昔からの言い伝えは本当だわっ!赤い髪の子は悪魔の子ってね!やっぱり、アンタに貰い手がないのは、そのせいだよ!
そんで、その真っ青な目!気持ち悪いったら ありゃしない!」
リーベの目から薄っすらと、涙が滲む
(もういや……っ、こんな所、出てってやる……っ)
♧
「いるじゃないか!」
誰かの声がした。
少年は、ハッと顔を上げる。
「いや、でも旦那。これは、ちょっと……」
少年は訝しげに、顔をしかめた。
どうやら、この町の町長が客人を連れて来たようだ。
身なりの良い格好をしている所、おそらく商人だろう。
その男性は、鉄格子の前に立ち、少年を見下ろした。
「これは、驚いた。希少な人種の少年じゃないか。髪はプラチナブロンドで目の色は夜の帷のように黒い。うむ、どうやら純血のアルビナ種のようだ」
男性は何やらブツブツ言っている。
すると、横から町長が少年を横目に、男性に話しかけた。
「旦那、悪い事は言わない。どうか、これだけは諦めて下さい」
その町長の言葉に男性は、形の良い眉をピクリと動かした。
「何故だ?こんな貴重な代物をこんな所に置いていたら、宝の持ち腐れだ」
「いや、しかし……これは、禍の子なのですよ」
「禍の子?」
「はい。昔、この町に寄った女の旅人が産み落とした子で、その女はこれを産んだ直後に死にました」
町長の話を聞き、男性は眉を潜めた。
「死んだ……?」
「ええ、それに、これを育て始めた町人も端から端まで死んでいきました。これは、呪いの子なのです。……旦那、アンタも死にますよ」
町長がそう言うと、男性は
「フッ……フフッ、あっはっはっは!!!はははっ、大丈夫だっ!こいつに、呪いの力なんか無い!!!魔力すら感じられんっ!」
と笑い飛ばしたのだった。
町長は目を丸くする。
「旦那、魔法が使えるんで?」
「まあな、死なない程度に」
男性は短く答えると、鉄格子の扉を開けて 中に入ってきた。
鉄格子には、鍵がかかっていた はずなのに……。
これには、町長もあんぐりと口を開けてしまう。
しかし、そんなことは お構いなしに、男性は少年の目の前に立った。
「ほう、顔も整っているじゃないか。
この子、読み書きは出来るか?」
「い、いや。物心が付くか付かない頃から閉じ込めているので……、
たまに本を貸している程度です。けれど、あんまり読み書きは……」
「なるほど。教えることは沢山あるな……、
では、私がこの子を買い取ろう!!」
「は……?」
町長の目が点になる。
少年は、男性の顔を見た。
もしかしたら、この人が外に出してくれるかもしれない……!
その時、言い知れぬ感情が少年の体中を突き抜けた。
ーーー出たい。
そう率直に思った。
大空を見てみたい。
この足で、大地を踏みしめたい。
その時、少年の目が男性と合った。
男性は少年の顔を見て、にんまりと笑う。
「出たいか、少年」
少年の目が大きく見開かれる。
「出たいのなら、手を貸すぞ。一緒に来るか?」
男性の手が、少年に差し伸べられる。
少年は、その手を掴んだ。
「出たい……っ」
男性は、少年のその言葉を聞いて、満足そうに笑った。
少年は、立ち上がり男性の目を真っ直ぐ見た
「良い目をしてるな。よし、町長!この子は金塊五個で手を打ちたいが、どうだ?」
「え、は?……金塊っ⁉︎」
まだ状況が理解出来ていない町長は、驚きの声を上げた。
「ああ、もっとか?」
そう言いながら、男性はしゃがんで少年の鎖を魔法で外していった。
「あー、やっぱり痣になってる。魔法で治すのもなあ……、しかし首は流石に目立つな」
男性は苦笑し、少年の首に手を当てる。
すると少年の首が微かに光り、次の瞬間には痣がキレイに無くなっていた。
「足の痣は残しておくぞ、それはお前に必要なものだ」
男性の言っている意味は、よく分からなかったけれど、鎖が外れて少年は嬉しそうに何度も首や足首を触っていた。
「金塊は上にある。袋に入っている五個の金塊、全て渡そう。この子には、それ程の価値がある」
「あ、ああ、ありがとうございます」
町長は、動揺しながらも深々と頭を下げた。
「少年、名は?」
そう聞かれると、少年は俯いてしまった。
「名は無いのか?」
男性が訊くと、町長は申し訳無さそうに呟いた。
「昔はありましたが、今はその名前はここにいる全ての人は覚えていません。魔法で忘れさせたのです」
「……なるほど。では、私が名付けよう!
今日からお前はグリュックだ。私の故郷の言葉で"幸せ"という意味なんだ」
「グリュック……?」
それは、あの夢の中で女の子が言っていた名前だった。
「ああ、それに私の姓を与えよう。
お前は今日から、グリュック・サールベンス だ」
♧
「……うっ、ううっ。ひぐっ……う」
静まり返った部屋に、少女のすすり泣く声が響いていた。
少女がせっかく綺麗にした床は、
彼女の血で染まっていた。
ーーーもう嫌だ。
ここは、地獄だ。
働かされて、ぶたれて、血を流されて
それの繰り返し。
誰も助けてなんか、くれない。
リーべは、血の出てる口元を拭った。
ボロボロと流れる涙を拭った。
「誰も、助けてくれないなら、
わたしが、強くなろう……っ。」
瞬間、彼女の目の色は変わっていた。
「ここを、出ようっ……、自分の力でっ」
そう言って笑うと、少し元気が出てくるようだった。
そうだ、笑おう。
辛い時でも笑えば、辛くない。
ーーここを出て行くなら、早いほうがいい。今からでも出て行こう。
私には貰い手が無いようだし、誰も
捜さないだろう。
(でも、この長い髪は邪魔だな……)
そう考え、リーべは辺りを見回した。
すると、テーブルの上にハサミがあるのが見えた。
リーべはにんまりと笑いそれを取って、思いっきり髪を切った。
ジョキリッ、ジャキッ
軽くなった髪を触り、リーべは少し
満足そうに笑った。
髪とハサミをそのままにして、リーべは さっそく 玄関に向かった。
しかし、
「扉に、鍵がかかってる……」
なんと、扉には錠が付いていたのだった。
これでは、外には出られない。
リーべの表情が固まる。
もう夜中なので、院長が閉めたのだろう。
外からも、中からも。
リーべは、すぅっと大きく息を吸った
そして、手を錠にかざす。
すると、手から青白い光が出て、
次の瞬間、ガチャリ。
なんと、錠が外れたのだった。
「……これも、楽じゃないわね」
そう呟くリーべの額には、大粒の汗が出ていた。
リーベは扉を開けた。
外の風がリーべの頬を撫でる。
「さようなら、私の地獄」
最後にそう言うと、扉は閉まっていった。
彼女は、誰にも知られずに、育った場所から出て行ったのだった。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます。読みやすい作品を目指して頑張ります。