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帰還せし王  作者: 陽炎
1章【帰ってきた王】
7/36

光のエルフ

 周りは緑の木々が囲まれ、地面には少し湿った土と雑草。太陽の陽が差し込まれ暖かい雰囲気――本来ならばそう感じるであろうその場所は、血なまぐさい戦いによって印象をかえている。

 ネリスト族の祭司であるサフラン。その娘であるウェルリーナは乱れた髪の毛や服装をただすのも忘れて――実際にはそんな余裕がないのだが――固唾を飲んで目の前で起こっている戦いの行方を見守る。そう、彼女を連れ去ろうとしたダークエルフ二人とオークの戦いを見守っているのだ。

  

 地下でドワーフ達が王国を作っているとされている岩壁の道から逃亡してから、いまだ時間にして1日。かつての暮らしならば何事も無いように過ぎ去っていくような時間、だがそんなたった1日で彼女は多くの者を失った。そう失いすぎた。

 彼女の美しく煌びやかに光を放っていたオパール色を持つ瞳は、生気を無くしたように虚ろな瞳をしている。

 彼女らネリスト族はあの日、あの再出発の直後クーヴェスの裏切りによりファッティエット族からの追撃にあい、大混乱となった。彼女たちネリストは壊滅状態にまで追い込まれてしまったのだ。戦える者は勇敢に戦ったが多くの同士はそこで散っていき、父親のサフランもイェレミーアス、ツァハリーアス兄弟に無残に殺されてしまった。

 今や彼女は心身ともにひどく疲弊しており、もはや逃げる力は残っていない。けれどもそんな身体でも眼前で戦っているあのオークが味方であるのであろうということは何となく理解していた。

 彼女をギーゼルヘアのもとに連れ去ろうとするファッティエット族の兵士からオークが助けてくれるまでに、彼女は見たのだ。そう、あの水晶玉に映し出されていた男――大長老が言っていた救世主――フレギオンをその彼がこのオークに命を下していた。

 止めろと。

 その意味なすことは即ち、


(このオークは味方)


フレギオンが今の時点で味方であるという確証はない。もしかすれば彼女を助けるためにこのオークを寄越したのではないのかもしれない。だがしかし、彼女の脳裏には大長老の言葉とそしてツァハリーアスと対峙し今や戦闘に入ろうとするフレギオンの姿。

 味方だとは断定できない。だがそれでも少しの期待は持ってもいいのではないだろうか。

 父、友を失った彼女はもはやネリスト族最後の一人になってしまったのだから。


「この猪がぁ!」


 オークがもってきた槍を奪い取ったダークエルフの戦士が、長い柄の先にギラリと光沢を放つ銀鉱石の刃部分をつけた槍を操って、怒号を口にしつつオークに向かって突きを放つ。

 しかしそれをオークは、もう一人のダークエルフの男の死体を掴んで盾にした。けれども槍の刃は男の身体を貫通し、オークの胴体に真っ直ぐ突き進む。が、そこでオークは死体を力の限り地面に叩きつけた。

 刃はオークに当たること無く、また突き刺した死体の影響もあって地面に突き刺さってしまう。


「畜生!」


 悪態をついて、槍を引き抜こうとするダークエルフ。しかしその行動は命取りだった。


 「ぶぉおおおおおおお!」

 「――っっっ!!」


 オークは勝機を見たとばかりに、雄叫びをあげてあらん限りの力で男の側頭部を殴りつけるために腕をふりあげた。

 槍を引き抜こうとしたダークエルフにこれを交わす時間はなく、瞬間的に身体を後方に反らしたが、そんな気休め程度の避け方では結果に変化はない。

 男の側頭部はオークに打ち抜かれ、男の身体は暴風に巻き込まれたかのように宙で半回転して真っ逆さまに頭から地面に叩きつけられた。


「うぎぃっ! や、やろ……――」


 頭と首を強打して男はうめき声をあげる。

 彼もまたダークエルフの戦士だ。いくら体格差があるからといっても一撃では終わらない。これがオークでなくて、鬼の種族とされるオーガならば死んでいたかもしれないが。

 だが、これでオークの攻撃が終わったわけではない。男への攻撃は続いていた。それはそのはずだ、これは殺し合いなのだ。

 オークは男がこの一撃で死んだか死んでないかの確認よりも早く、確実に男を殺す方法を、すでに行動に移していた。それは非情な攻撃であり、そして非常に原始的な攻撃だった。


「あ……。やめ……」

「ぶあああああ!」


 唾をまき散らしながらオークは戦う戦鬼が如く、男の顔をその巨大な足で踏みつぶすために足を振り下ろす。

 男は両手でそれを防御しようとするが、体格差、ならび飛びかかってのオークの全体重がのった、その踏みつけに耐えられるわけも無く、腕ごと頭を踏みつぶされて男は絶命した。

 ビシャビシャと飛び散った男の頭蓋骨の残骸。オークは勝ち誇ったように両手を握りしめて、ハァッ!と荒く息を吐く。

 ウェルリーナの眼前にて行われたオークとダークエルフ二人の戦いが今終わった瞬間であった。


(つ、強い! 父さん。いえネリストにこれほどの戦士はいないわ。ツァハリーアス、そうあのツァハリーアスと比肩できる強さだわ)


 ウェルリーナは衝撃を受けていた。思えば彼女はファッティエット族のダークエルフと自分達の部族であるネリスト族のダークエルフしかその強さを直で見る機会はいままでなかった。言わば彼女はネリスト族の中でも生粋の箱入り娘だ。

 そんな彼女に驚くなというほうが難しい。そしてその感想は些か過大評価だというのも彼女自身に気づかせるのにはまだ無理な話だった。


「フーフーッ、フゥっ!!」


 戦いの余韻が冷めずオークは未だ鼻息荒く呼吸を繰り返す。熱を帯びたその身体からは火照り、湯気がすこし出ているようにもウェルリーナには見えた。

 森林の中で茶色い体毛に覆われた猪頭の魔族と、その下にダークエルフであった者の残骸が散らばり、そのすぐ横では息絶えてなお、身体に槍を打ち込まれてしまった遺体。

 彼女の周りは今や修羅と化していた。


「あ、あの。助けてくださってありが……とう…」

「フゥフゥ……フゥ…フゥー……」

「あ、あの……」

「フゥ…。我の名はヴァサドール。そなたを助けたのはあの方、フレギオン様の命があったからだ。礼はいらない」


 オークは荒い呼吸を止めつつ、毛皮に付着した血を手で拭う。こびり付いた血が嫌なのだろうか。何度も拭っては血を払っていた。

 恐る恐る礼を言うウェルリーナ。そこにはどうこのオークに話しかけて良いのか分からないという困惑の色が見え隠れする。だが何も言わず只黙して待つという選択を選ぶような状況ではないのは彼女自身しっかりと分かっていた。立ち上がりオークにフレギオンの事を聞き出す。


「フレギオン……様はどちらに?」


 このオーク――ヴァサドールはフレギオンに様という呼称をつけて、名を呼んでいたのを頭に入れたウェルリーナは一瞬言葉が詰まりそうになるものの、自分もフレギオンに様をつけて名を呼んでみる。実のところフレギオンがツァハリーアスと対峙している姿を、この目で見ているため彼が戦っているであろうとは予測した上でこの質問をしている。

 ヴァサドールは手にもついた血糊を払い飛ばし、死体に突き刺さった槍を引き抜く。彼はそれをもう一度掴みなおしウェルリーナのほうに顔を向けた。


「もうまもなくここに来られるであろう。あの方のお力ならばツァハリーアスであろうと赤子同然。一捻りで殺されたに違いない」


 それを聞いてウェルリーナは心臓がドキリと波打つのを感じた。

 ツァハリーアスを赤子同然。一捻り。それはあまりにも誇張が過ぎるのではないだろうかという思いと、もしそれが事実ならばその強さはあまりにも自分のこれまでの常識を超えており恐ろしさを感じて寒気すら感じたからだ。そして何故かこのオークが嘘を言ってるようには思えず、真実を話してるように思えた。


「それは本当でしょうか。ツァハリーアスはファッティエットの中でも族長の次の強さ。それを赤子同然とはフレギオン様はそれほどの強さと?」

「そなたもあの方に会えば分かる。あの方の強さは我らの常識など通用しないと言うことがな。それにそなたたちネリストがあの方を召喚したのであろう。そなたらのほうが分かっていると思ったのだがな」

「召喚したのは大長老様と長老様達です。私はただの祭司、詳しくは存じておりません。ただ大長老様からの言伝を預かっています」

「ふむ……。その言葉を必ずフレギオン様に言うのだ。フレギオン様もきっとそれをお待ちになっておられる。そのために遠路はるばるここに来たのだから」


 何か得心がいったような声色を発したヴァサドールはウェルリーナの手をとると方角にして西のほうに向き直った。そこの先はフレギオンがツァハリーアスと対峙していた森のほうの方角であった。つまり彼はウェルリーナをフレギオンのもとに連れて行こうとしているのだろう。そしてオークの戦士が一歩足を踏み出した時、背後から高い声が響いた。


「どいつもこいつもなかなか来ないと思ったら、なんでこんなとこにオークの豚がいやがる。おい、豚、その手を離せ。そいつは俺様のモノだ!」


 その声は高く甘い声というわけではなく金属を切るときになるようなキンキンとした声だ。耳につんざく声は聞くモノに不快感を与える。その声の主はファッティエット族の族長ギーゼルヘアだ。

 赤い髪をそり込み、人間が飼う鶏のようなトサカを作った髪型は、ダークエルフの中でも奇抜であり彼以外にそれをするものはいない。服装も軽装であり鎧という鎧は身に纏わず布を身体に巻き付けているだけで非常に軽みな装備だ。浮浪者にも見える彼はファッティエット族の中で最強の力を持ち、バーサーカーと呼ばれるクラスに属する彼はファッティエット族、ネリスト族から狂戦士の異名で呼ばれている。

 ついにギーゼルヘアがきてしまった。そんな思いがウェルリーナの心中に襲いかかる。

 ギーゼルヘアはその残忍さと獰猛さで戦闘狂が集まるファッティエット族の長に君臨した男だ。二番手に属するツァハリーアスなどはかわいいものでギーゼルヘアの比ではない。彼は非情で傲慢でそして虐殺が好きだという特に危険な嗜好を持つ男。捕まればなにをされるか分からない。


「おい女を離せって言ったのが聞こえねぇのか。おいブタァ!」


 甲高い声が金切り声のようにキンと響く。さらに声色のトーンが高くなったようで思わずウェルリーナは顔をしかめた。だがヴァサドールは意に介した様子も無くウェルリーナを連れて歩みを始める。

 それをみて無視されたことに怒ったのかギーゼルヘアが腰にそなえつけられた鞘から二本の刀を抜き出す。そしてまた吠えた。


「良い度胸だ! その身体、切り刻んでやってもいいんだぞ!」


 みるみる血眼になっていくその瞳はさすがはバーサーカーというクラスに属する者という感じか。怒気と纏いながら瞬時に戦闘態勢に入るその姿は狂戦士と呼ぶに相応しい。

 ただウェルリーナは本来感じるであろう恐怖を感じなかった。それはヴァサドールも一緒であろう。それもそのはず、いま彼女らの前にはギーゼルヘアなど取るに足りない存在であると教えてくれる者が現れたからだ。

 それはギーゼルヘアも瞬時に気づいたのかピクリとも動かなくなった。


「フレギオン様。ご命令通り女を取り戻しました」

「……よくやった。助かったぞ」

「いえ! このぐらい!」


 主であるフレギオンの到着にヴァサドールが傅く。そしてウェルリーナのオーパル色の瞳とフレギオンの金色の瞳が近距離にて交差させる。

 一目見たときウェルリーナは内心感嘆の息を洩らす。なんという美しい金色の瞳だ。これほど綺麗な瞳は未だかつて見たことが無い。まるで黄金をそのまま瞳にしたような金色の眼球だ。見れば見るほどにダークエルフだとは思えなくなってゆく。

 そして感嘆と同時に軽いショックを彼女は受けた。


(金色の髪に金色の瞳………? まって、それって……、まさかそんな……)


 そのとき彼女の脳裏にかつて幼き頃に大長老に聞かされた、エルフの中でも特に強大な力を持っていたと者がいたという話がぼんやりと蘇る。

 今よりも遙か昔、この地より遙か南にエルフとダークエルフの全種族を率いてエルフの王国を作ったとされる光のエルフと呼ばれる者がいたそうだ。光と呼ばれた所以は至極単純な理由からである。そのものが金色の髪と金色の瞳を持ち、光属性の魔法を使いこなしたからだそうだ。が、これ以外にもこう呼んだ理由があるが、重要なのは彼の容姿とそのたぐいまれなるカリスマを光と呼んだことであろう。

 エルフには金髪の髪の者は数多く存在し、その過半数が金髪だと言っても差し支えはないだろう。ゆえにその髪色にはさして驚くことはない。しかし、瞳までも金色な者はいなかった。

 多くのものは青や赤、茶色、また白い瞳などをしていたが、金色の瞳をもつエルフはその光のエルフと呼ばれた者、只一人だった。

 そのため金髪に金眼のフレギオンの顔をみて一緒の風貌なのだとこの時初めて気づかされた。


(一緒、一緒だわ。そう、そうだったの………、だから大長老様達はこの方を呼ばれた。かつてそうしてもらったようにというのは光のエルフと呼ばれたその方と同じ風貌だから)


 大長老がその命をかけてまで召喚したフレギオン。その能力は水晶玉からある程度は分かっていた。新しく神の座に座ったダークエルフであるとはあの日のうちに聞いてはいた。しかしなぜ異世界のダークエルフをわざわざ呼び出したのか、それも敵になるかも知れない男を呼び出す危険まで冒して。という思いが彼女の胸の内になかったと言えば嘘になる。

 だがこれで得心がいった。

 フレギオンの風貌をみてダークエルフ、ひいては全てのエルフに伝説として語られるエルフの王であった者の生き写しなのだと彼女は納得した。

 その生まれ変わりが別の世界に生まれ、大長老はその事実に何らかの形で気づいたのだろう。そして本来の世界であるこの世界に呼び戻したのだ。もう一度我らを導いてくださるようにという言葉はそのままの意味だ。大長老は彼女にそれを託したに違いない。


(ああ…………。どうして私とお父さんはあの時気付かなかったのだろう。我らが王が戻ってきてくださったのに)


 偉大なる王、光のエルフ。

 彼にも名はある。だが決して軽々しく――とある理由から名を呼ばず、光のエルフと崇拝するようになった――口にしてはならない偉大にして崇高なるエルフ。

 そのエルフの生き写しを前にしてウェルリーナは呆けた表情を浮かべてしまう。


「俺はフレギオン。お前がネリスト族のダークエルフか?」

「え、あ……、わ、私は……あの、ウェ…………ウェルリーナと申しますフレギオン様」


 話しかけられハッと意識を覚醒させた彼女はしどろもどろにながらも自身の名をフレギオンに伝えた。

 もし今彼女が考えた事が事実ならばおいそれとは挨拶などできない。しかし質問に答えねばならないと思えば思うほど言葉が喉の奥につっかかるように中々出てこない。

 光のエルフ、もはやそれは神話のようの存在であり伝説のエルフである。世界の変革に関わり、エルフの王として君臨した存在であり、他種族から恐れられ一目を置かれたエルフ。それが光のエルフである。

 その伝説のエルフの生まれ変わりかも知れないダークエルフが今、ウェルリーナの目の前にいるのだ。緊張しないわけがない。


「聞きたいことが山ほどある。だがまずはあのいきり立ってる男の始末が先だ。ヴァサドールといろ、すぐ終わらせる」



 フレギオンはウェルリーナの左肩に右手を添えるとやんわりと彼女を押しのけた。そして左手でダラリと持っていた兜を被りなおして、ゆっくりとギーゼルヘアの前に立つ。

 【永久なる死】の刀身を抜き放ち刀を敵に向けた。それは先ほどその刀身が抜き出されたときに地面を抉った黒い球体を再び出現させ、フレギオンの足下の周囲の土を分解していく。

 それをみてギーゼルヘアは悪霊でも見たかのように「ひぃ」と声をあげた。ただし、それはフレギオンの後ろにいる二人も同じようだったが。


「まるで鶏の頭みたいだな。お前のその甲高い声といい煩わしくて仕方が無い」

「………テ、テメェがジジィどもが呼んだやつか。ちくしょう、俺の部下は…あいつらはどこだ……?」


 ファッティエット族の族長の声からは警戒の色と若干の不安心が入り交じっているのがその場にいた三人には伝わってくる。この男はフレギオンに若干の恐怖を抱いていると。

 そんな恐怖心を煽るようにフレギオンは低い声で手短に真実をこの男に教えてやる。


「もう死んだ。俺に攻撃してきたのでな」

「ちっ………!」

「お前はネリスト族を全滅させたんだろ? だったらお前らも全滅したところで文句はないはずだ。殺すなら殺される側にもなるというだけだ」

「――!? お前に俺たちの状況が分かるのか! 俺たちの苦しみを知っているのか!」


 怨念が籠もったような陰陰たる声でギーゼルヘアは吠える。それは長年にわたって苦汁でも嘗めさせられてきたような男の声だ。けれどもそんな陰気に包まれた声を聞いてもフレギオンは声色一つ変えずさらに事実だけを突きつける。


「あいにくだがそれは知らない。だが先に攻撃してきたのは貴様らであり、敵対行動をとってきた貴様らファッティエットだ。何を言われようが気にはならない。だがそうだな、言いたいなら聞かせろ。聞くだけは聞いてやる」

「……………このあたり一体はかつてはファッティエットとネリストの領土だったんだ。だが中央で繁殖した人間どもがズカズカとやってきやがったこの地に王国を作るために。俺たちの先祖は戦った……。そうだ人間どもとだ! だがその女、ネリストのやつらは俺たちを裏切った、争いを好まないと言ってな。そして俺たちは追いやられたんだこんな島の端っこに」


 ギーゼルヘアは怨念に満ちた瞳でウェルリーナを睨みながら過去に起きた事実を話していく。ネリストに向ける憎悪全てをウェルリーナに向けているようだった。


「そこの豚は何もしらないんだろう。俺たちより寿命が短いし、利口でもない。かつてこの地が誰の者であったかすら知らないはずだ!」

「……我が話すことでは無い」

「ああ、そうだ。お前に話す口があるのも反吐が出る――」

「話を続けろギーゼルヘア。関係ないことは言わないで良い」


 陰陰したる感情のまま話すギーゼルヘアはその矛先をヴァサドールにも向けようとしたがそこはフレギオンが止めた。話が脱線しようとしてるのも見て取れたからだ。

 ギーゼルヘアは舌打ちをして一瞬一呼吸を置くと続きを話していった。


「その結果数世紀経った今、人間は力をつけていくつもの国を作り上げやがった。知っているか? この南には国が作られそこから人間の軍が俺たちを殺しにくるんだ。それもこれも皆こいつらが裏切ったせいだ!」


 ファッティエット族族長のギーゼルヘアはネリストに対する怒りをウェルリーナ一人に向けるように厳しい目つきで吠える。


「人間は強くなり、俺たちは弱くなった。俺が族長になった今では人間と戦っても勝ち目は無い。数が違いすぎる。今では俺たちの数十倍も人間は増殖しているんだ。それが悔しくて仕方が無い、こいつらが裏切らなければ俺たちがこんな惨めな状況にはならなかったはずだ! だから、だから!! 俺は人間と手を組むことにした。ネリスト族を滅ぼし、この女を人間の奴隷として連れて行き俺たちファッティエットが少なくともこの地で生き残るためにな!」

「………………なぜ彼女だけを奴隷に?」

「そいつは祭司の娘だ。ネリストの中でも回復呪文が群を抜いてうまい。良い奴隷になるんだよ、人間はそいつの容姿も気に入るだろうしな。最後のネリスト族のダークエルフが奴隷だ。ファッティエットの復讐にも良い! あぁ、他にもこいつらの女は人間に売ってやった。そりゃあいつらは大喜びでな。ハハハハァッ! 俺たちを裏切った報いだぁ。当然の報いなんだよこれは!」


 怨嗟の声を歯をむき出しにして獅子の如く獰猛な表情で、ウェルリーナをギロりと睨むギーゼルヘア。その顔からはこう言ってるようだ、お前達さえいなければと。

 フレギオンは刀を下ろしギーゼルヘアにもう一つ質問をしてみる。ここに来るまでにオーク達から聞いていた人間の村の襲撃の話だ。

 正直言うと先ほどに出会った幹部の二人も気にくわなかったがギーゼルヘアも虫が好かない。いい加減斬りたくなってくるが、情報は手に入るだけ手に入れたい。それにこの様子から人間の村を襲う理由を感じられなかったからだ。


「この地の近くにある人間の村が襲撃されていた。人間の大人も女も子供も死んでいたそうだ。それはお前達がやったことではないのか?」

「はぁ…? なんの話だ?」

「知らないのか?」


 その質問を受けたギーゼルヘアは先ほどまでの怨念にとりつかれたような顔では無く素っ頓狂な表情を浮かべた。その顔からは何を言ってるのだこいつは? と逆に言われたような気分になってくる。

 やはり違う、こいつらではない。

 フレギオンは「ふむ」と声を出した。なら誰の仕業かと。

 しかしヴァサドールは彼らの仕業だと確信していたのだろう。彼は声をだして「なんだと」と洩らしていた。


「俺は人間と手を組んだ。人間を襲う理由はない、俺たちが襲うのはネリストだけだ」


 人間の村を襲うなど全くもってありえないとばかりにいいたげにギーゼルヘアは言う。その声は少しばかり落ち着いた声になったいた。


「人間の村が襲われた? やったのは俺たちじゃない。する理由がない。俺たちはネリストを滅ぼしてその女を差し出すことで生き残る道を手に入れたんだ。そんなことはしない」

「嘘をつけキサマらがやったのであろう!」


 逆にいきり立って声を荒げたのは、ヴァサドールのほうだ。彼はあの人間の村の惨劇をしっており、そのやり方からファッティエットがやったと信じて疑わずここまでやってきた。ギーゼルヘアの供述一つで考えが変わるものではない。


「よくもぬけぬけと。たとえ子供であろうと殺すのがキサマらだ。キサマら以外だれがやったと言うのだ!」


 フレギオンの横に出てズイと出てきてフゥと口から息を吐き出す。熱気に包まれた吐息はヴァサドールが怒りに燃えているのが手に取るように分かる。今にも襲いかからんとばかりに眼を光らせるヴァサドールにギーゼルヘアは臨戦態勢に入ろうとする。それをフレギオンは彼の前に手を差し出すことで制止させた。


「ヴァサドール待て。こいつの話を先に聞く」

「…………はい」

「ギーゼルヘア。嘘は言うな、分かっているな。本当のことだけを話せ」


 再び永久なる死の矛先をギーゼルヘアに向ける。フレギオンの眼光は真っ直ぐにギーゼルヘアを見据え、それは兜越しでありながら、鋭く尖った刃物の如く、視線だけで畏怖させるには十二分の迫力であった。真横にいたヴァサドールは思わず臆し後ろに下がるや、ウェルリーナの横にすごすごと戻った。

 その視線を受けたギーゼルヘアが平然としているはずもなく、彼もまた半歩後ろに下がっていた。狂戦士という異名を持つ彼としては生涯初めての怯えでもあったが、果たして彼がそのことに気づいたかは不明だ。


「嘘じゃねぇ。そいつは俺たちがやったことじゃない、俺たちはネリストの結界が破れるのをひたすらまってたんだ。結界が消えた瞬間に大長老とこいつらを殺すために。ジジイどもが召還魔法を使おうとしていたのはしっていた、それを止めたかった。そのために機会を待っていたんだ。俺たちにそんな人間の村に興味などなかった!!」


 焦ったようなその口ぶりは早口となり、高音が強く鳴りすぎて耳が痛い。

 若干の怯えた瞳、後ろに下がるギーゼルヘアの行動。それだけではこの話が本当かどうかは分からない。だが彼が嘘をついているようにも見えなかった。そこでフレギオンはこの時初めてウェルリーナに質問をすることにした。ネリストの結界が破れるのを待っていたとギーゼルヘアが言ったからだ。


「ウェルリーナ」

「は、はい!」


 声をかけられ幾分の緊張を含んだ声で小動物の如く、身体をビクとさせてウェルリーナは反応した。フレギオンに話しかけられると思っていなかったようだ。

 そんな彼女の反応はフレギオンは背中越しから話しかけたため気づくことは無かった。


「こいつらがネリストの結界とやらが消えるのを待っていたというのは本当か?」

「は、はい。私達の結界は大長老様達がお作りになられた侵入者を拒む結界です。大長老様達がお倒れになったとき結界が消失しこの者達が侵入してきて私達は………」


 そこでウェルリーナは言葉を切ってしまう。忘れていた訳では無い、しかし再度あの大長老の苦しむ顔そして仲間を襲ってきたファッティエット族らの顔。それらが色濃く脳裏に映し出され、言葉を続けるのが難しい状況になってしまったのだ。

 彼女は口をほんの数秒一文字に結び、ギーゼルヘアを強く睨み付ける。父、母、大長老そして仲間の仇であるギーゼルヘアを。そして視線を俯かせて彼女は説明を続ける。


「この者たちは私達の結界が消えるのをずっとまっていました。その機会を伺っていたのです、攻撃をするために」

「ならこいつが言ったことは嘘ではないのだな」

「はい」


 いかにも口惜しそうな声で彼女は頷く。本来ならばギーゼルヘアなどと一緒にもいたくないであろう。まして話をしなければいけないなど苦痛以外のものではないのではないだろうか。

 そんなやりとりをみていたギーゼルヘアは勝ち誇ったような声であざ笑う。


「お前たちのために召喚したダークエルフ様はお前らの味方じゃないのか? んんん? こいつは大長老のじじいどもも失敗したなぁぁ」


 それに対して、くっ! とウェルリーナから声から声が漏れる。その瞳には怒りと悔しさが滲み出ていた。

 だがそんな彼女の感情はフレギオンの言葉で幾ばくか救われる。


「勘違いするな。俺はお前みたいなやつが大嫌いだ。いらないことは喋らなくて良い、聞かれたこと以外話すな。人間の村を襲ったのは誰だとお前は考える?」


 ちくしょうとギーゼルヘアが毒づく。ここまで言われれば並の相手ならば即座に攻撃を加えたであろう。しかし相手がフレギオンであり、そしてギーゼルヘアもまたこの辺りでは実力者ゆえに相手の強大な力を悟ってしまっている。

 こいつは勝てない。何をしてもと。故に彼は生涯で生まれて初めてと言って良いほど従順に命令に従っているのだ。少なくとも彼なりにはだが。


「そりゃ、いくつか選択肢がある。その女も気づいているはずだ、俺たちじゃなかったらこいつらしかいないだろうってな」

「それはなんだ」

「何も知らないんだな。お前ぇ……」

「聞かれたことだけに答えろと言ったはずだが?」

「ちぃ。…………………選択肢はこうだ。ここから南東にいった山の向こう側の大森林に住むくそエルフ共。それが一つの候補。もう一つはヴァンパイア共だ。やつらは人間の血を好んで吸う。魔族を襲うこともあるらしいが、ほとんど標的になるのは人間だ。それにあいつらは夜の眼がいいし、空も飛べる。うってつけだ」


 こいつらのどちらかだろう。そう言ってギーゼルヘアはその場にしゃがみ込んだ。その顔には戦意はすでになく二本の剣も大地に落とした。その姿からは死を受け入れているようでもある。


「殺せ。どうせお前には勝てない」

「ずいぶん諦めが良いな。お前の部下は攻撃してきたというのに」

「………殺せ。もともとあのジジィどもが召喚魔法を成功させた時点で俺たちの負けは決まっていた」


 先ほどまでの威勢はまるで影を潜めギーゼルヘアからは生きようとする活力も感じられなかった。戦っても勝てないというのはこのレベルの戦士にとってそれほどまでに絶望することなのだろう。それとも、彼だからかもしれないが。

 そんなギーゼルヘアの様子を見つつフレギオンは状況整理を脳内で行っていた。知りたいことはかなり知ることができた。そう感じることも出来たし、ネリストとファッティエットの二種族の溝も知ることが出来た。そして人間の村の惨劇の真実となる二つの可能性。

 数日前の何も分からない状況よりはかなりのことが見えてきたし、知識も手に入った。なにより召喚魔法を使ってきたネリストのウェルリーナの確保に成功した。彼女からさらに情報を聞き出せばさらに状況整理がしやすくなるであろう。

 知識の取得、情報の取得という当初の目標としては大満足の結果を手にした気がする。しかしそれで満足して良いのか、と彼は冷静に状況を考えていた。

 ファッティエット族のギーゼルヘア以下幹部二人の行いを見て彼らに生かす価値はないとここに来るまでは考えていた。だが、どうであろうか。よくよく話を聞いていけば二種族間の溝の話、その溝が災いしてのこの争い。さらにはヴァンパイアにダークエルフではないエルフの話。一つの事実を知ればさらにそれらが木々の枝の如く長く果てしなく先にまで繋がっていくように、これまでと違って見える状況が大きくなっていく。

 果たしてこの男をこのまま殺して良いのだろうか。いま暫く生かしておくことによって今後何か良いこともあるのではないだろうか。フレギオンはこう考えてしまった。結果、彼はギーゼルヘアからさらに情報を聞き出すことにした。


「お前は人間と同盟を結んだと言ったな。その同盟は守られると思って組んだのか?」

「ん? あぁ……。ふん、人間はクソどもだ。今は何もしてこなくてもそのうち攻撃してくるだろう。人間の村が襲われたと言ったな。あれは候補を二つあげたが恐らく一個だ。ああ、絶対そうだ。やったのはエルフ、間違いない」


 ――ほう。やはりまだこいつはいろいろ情報を持っているな。

 読みが当たった気分だった、いや実際として的中した。フレギオンは兜を外し剣を納めるとその金色に輝くの双眸をギーゼルヘアに見せつけるように視線を合わせる。そして彼の近くまで歩み寄った。


「そう言い切れる根拠はなんだ」


 全てを見透かすようなフレギオンの二つの瞳に魅せられてギーゼルヘアは力が抜けたようにダラリと肩を落としながら問いかけられた問いに答える。そこにはもはや狂戦士と呼ばれた男の面影はない。


「俺たちと手を組んだ人間がいるように、同じような事をする奴らがいる。そいつらはエルフと組んだんだろう。そしてエルフの部隊に襲わせた、この一体はファッティエットとネリストの縄張りだ。簡単なことだ、それでその仕業は俺たちに着せられる、そしたらどうだ。やつらは俺たちの同盟も綺麗に切れるんだ。結局は人間どもは俺たち全員を消したいんだよ、最小限の被害でな」

「それはお前の推測だろ? その推測を言う理由はなんだ?」

「そいつも簡単だ。俺たちダークエルフとエルフは表裏一体、切っても切り離せられない関係にある。人間から見たら一緒だろうがな、だが俺たちは違う種族だ。お互い忌み嫌ってるんだよ、特にあいつらが。ダークエルフはエルフじゃないてな。だから俺たちが死ねばあいつらは喜ぶ。ダークエルフはいなくなっちまえって思ってるあいつらにとっちゃ万々歳ってことよ」

「つまりだ。お前達の敵は人間だけではなく、エルフもそうだと?」

「そうだ周りは敵だらけだ。……………この復讐が成功したところで俺たちはいつか死ぬことになる。そんなことは分かっていた、ただネリストが裏切らなかったらこんなことには、ならなかったと思うとな、悔しくて仕方がなかった!」


 最後にかみつくぞとばかりに吠えてギーゼルヘアは、右手に握り拳を作って悔しさを表していた。けれどもやはり戦う気はもはやないのか頭を垂れてそれ以上なにも言わず大地へとと眼を向けているだけだ。

 フレギオンはこれ以上の情報を聞き出すのは無理だと判断し、いったんギーゼルヘアからウェルリーナに視線を変える。次に聞くならば彼女だ。


「ウェルリーナ。お前は俺を召喚した大長老というのを知っているか?」

「え…………は、はい! 私は大長老様達のすぐ近くにて召喚魔法の様子を見ていました。それと…………大長老様から遺言がございます」


 スッと頭を下げたウェルリーナはそのあとチラリとギーゼルヘアに視線を送る。ギーゼルヘアの話は彼女も否が応でも聞くことになった。そしてあの男の心中にも察することができる部分があるという感情を抱いた。けれどもここまでおきた苦しみは消えることは無く癒えることも無い。同情などできようはずもなかった。


「ほう、教えてくれ。なんと言った?」


 フレギオンが眼を少し大きくし興味ありげな表情を浮かべた。声色も若干だが高くなっていた。


「その……大長老様は、フレギオン様に全てをお話しろと、そして救って頂けと言ってました。我らの敵、人間から救って頂けと。我らとは魔族のこと。ネリストではなく、魔族全てをと」

「魔………族……全て……?」


 これにはさしものフレギオンも困惑したようだ。興味ありげだった瞳は見開かれ、一体それは何の話をしていると言いたげだ。いや、彼だけでは無いその場にいたオークのヴァサドールもギーゼルヘアも驚いた顔をしていた。全員が一様にウェルリーナの顔を見やった。


「それはどういうことだ? 俺はなぜ召喚されたんだ、全てを救えとはどういう意味だ」


 眉をひそめ、今度はウェルリーナのほうに歩み寄るフレギオン。召喚された理由にはそれなりの理由があったからだとは予想していたが彼女から告げられた大長老の遺言は話がでかすぎる。

 しかしそれは言ったウェルリーナでさえも正直困惑していた。彼女はフレギオンの風貌、そして大長老の言葉から彼が光のエルフの生まれ変わりなのだと考えたが、やはりそれは思慮が浅すぎるのではないかとも内心思っていた。

 もし違うならどうする? 勘違いならば。そう思うと途端に自信がなくなる。

 だが大長老が命をかけてまで召喚したダークエルフだ。ましてや彼はあの闘神ガルデブルークの神器を装備する者。きっと生まれ変わりなのだ、そうだそうに違いないと思う気持ちもある。だがそれはそうであってほしいという彼女の願いも含まれた感情であった。

 よって内心不安になりながらも彼女は意を決して大長老の言葉とこれまで聞いてきた話を伝える。


「我々魔族は数百年にわたって人間と戦っております。個々の力は我々魔族のほうが上回っていますので最初は勝っていました。ですが人間の数の増える速度は我々魔族よりも遙かに早く次第にその数に敗れ、我らの領地を人間によって奪われていっています。ギーゼルヘアが言っていたことは本当でこの地は元はネリスト族とファッティエット族の領土でした。ですが時の族長たちが仲違いをしてその力は分散、結果領土は人間によって奪われてしまったのです」


 ウェルリーナは当たりを見渡し「この森は元の領土の中でも北方にあった森林だったと言い伝えで聞いております」と言った。そして彼女は話を続けていく。


「こうして領土を失い、大陸の端に追いやられた魔族は他にも数多くあると大長老様は言っていました。このままではいずれ魔族の全ては人間によって滅ぼされるとも、そのために大長老様は召喚魔法を使って、フレギオン様をお呼びされたのです。ネリストと魔族を救って頂くようにと……ですが…………」


 そこで彼女は言葉を詰まらせた。その理由は誰もがすぐ分かった。そうだ、彼女はすでにネリスト最後の生き残りとなってしまったのだ、あの男ギーゼルヘアの攻撃によって。

 しかしそんな話を聞いてもギーゼルヘアからは謝罪の言葉などはなかった。というよりそんな言葉を期待したところで無駄だなとフレギオンは思ったが。

 そしてここでフレギオンは一つ彼女に言ってみることにした。それはこの世界に呼ばれたときより感じていた違和感であり、そして自身が何者であるかという問いかけであった。実のところ彼はその答えを一番に欲していた。


「一つ聞きたいことがある、お前は俺に魔族を救えと大長老に言われたのだな? なら、俺は何者なのかお前は分かるか? 俺はこの世界にきたとき記憶が曖昧になってしまっている。お前に会いに来たのは俺が何者だったかを知るためだ」



 フレギオンがダークエルフの女――ウェルリーナに問いかけた質問にヴァサドールは興味津々に耳を立ててその会話をきいていた。

 彼自身もまたフレギオンという男の正体を知りたい者の一人なのだ。そして彼は一つの興味深い事実に気付いた。それはフレギオンの口調だ。

 ヴォンルチー大森林で彼に出会った当初、フレギオンのその風格は人間ともダークエルフともどちらとも取れない様子であった。言うならば覇気がなかったのだ、戦う者特有の。そして少し若さを感じた口調もこのたった数日で変わってきてるでは無いか。風格にしてもそうだ、日増し事にフレギオンは風格を増していってるではないか。あの覇者の闘気を身に纏わないでも彼に対して攻撃してはならないと、見るだけで感じさせられそして身が萎縮してしまうのだ。

 これを興味深いと言わないならば戦う部族であるオークとして失格であろう。そうヴァサドールは感じていた。


(この方はまるで別人ではないか。なんだったのだ、あの日のあの雰囲気は)


 どんな人物でも時と共にその性格を少しは変えるものだ。それは環境がそうさせるし、己の中での決定からくるものでもある。しかし、フレギオンの変化はかなり早くそして顕著だ。言い過ぎかも知れないがまるで人格が未だ決定できていないようなそんな様子だ。


「フレギオン様は我らが指導者たるお方であり、我ら魔族の偉大なる主であり、そして」


 ネリスト族の女ダークエルフの銀色の長髪が風によって靡く。オパール色の切れ長の双眸が真っ直ぐにフレギオンに向けられ、フレギオン自身がそしてヴァサドールも知りたかった事を彼女は言葉にした。


「大長老様の話によると、フレギオン様はこの世界ではない別の世界のダークエルフ、そしてその武具それは闘神ガルデブルークの武具。それを手にされたと言うことは闘神に認められたか、新たな闘神になられた方。フレギオン様はフレギオン様の世界で神に等しき存在にまで登り詰められた最強のダークエルフだと聞き及んでおります。そしてあなた様は私の考えでは、光のエルフと呼ばれた我らが王の生まれ変わり。我らが主、それがフレギオン様です!」


 言い終わるやウェルリーナはその場に跪いた。それは臣従の意味もあったのだろうが、それ以上に神の名を出してフレギオンが新たな神なのだと口にした恐ろしさもあっただろう。それはフレギオンを恐れたのか闘神ガルデブルークに恐れたのかは分からないが。

 しかしヴァサドールとギーゼルヘアには十分なほどの戦慄を与えることができたのは事実だった。そうだ十分すぎる事実だ。

 とりわけギーゼルヘアは、まるで動物が驚き(いなな)くような声で「光のエルフだと!?」と叫んだ。

 ネリストの大長老がその身を犠牲にしてまで召喚したダークエルフの力を一目見た瞬間からある程度の予想はつけていたが、その予想は全くもって正当な評価ではなかったことに気付いたようだ。

 その声を聞いてウェルリーナは今だ! とばかりにフレギオンを見上げ、そしてもう一度深々と頭を下げた。


「そのとおり、フレギオン様は我らエルフにとって最も尊きお方であられます光のエルフ様のお生まれ変わり。異世界にてそのお力で神にまで登り詰められた偉大なる我らが主君。どうか、どうかかつてのように今一度、我らをお救いください。どうか!」


 地面に額を擦りつけるほど深々と頭を下げるウェルリーナ。長い銀色の髪の先端は地面につき、土で少し茶色く汚れた。

 生まれ変わりなどいう話は大長老からは聞いていない。しかし、ウェルリーナはそう信じたし、大長老もそういうふうに言葉を含ませていた。なにより言伝もきちんと伝えねばならないという使命感を背中に背負っていた。

 これは彼女にとっても大博打な行動だった。


「こんなことを急に申し上げても信じて頂けないかもしれません。ですが、私達ネリストの大長老はフレギオン様ならば救って頂けると信じておりました。ネリストだけでなく魔族をと! お願い申し上げます何とぞお助けください!」


 切迫されたその声は周囲に木霊する。必死に訴えかけるウェルリーナのその表情は真にフレギオンを信じて頼み込んでいるようだった。

 ただ彼女はフレギオンの力を見たことはない。目にしたのはそれはさきほどの【永久なる死】の力のみ。しかし、大長老様の言葉と光のエルフと同じ容姿であることから彼女はフレギオンが救世主なのだと信じて疑おうとしなかった。それほど、そうそれほどまでに彼女らエルフという種族にとって光のエルフという存在は大きいのだ。

 彼女は恐る恐る顔を持ち上げる。この話を聞き、フレギオンがいったいどんな顔をしているのか不安だったからだ。だがそんな彼女の不安をよそに彼は笑っていた。


「ウェルリーナよく聞いてくれ。俺はこの地にきてから自分が何者だったか、どこでなにをしていたか覚えていない。何となくは思い出せそうだが結局は思い出せないでいる。覚えているのは戦い方と魔法と名前ぐらいだ」


 フレギオンは「だから」とそのまま続ける。


「お前が言う光のエルフというのも知らないし、そいつの生まれ変わりだとお前が言うのもよく分からない。それに俺が神の座にまで登り、神になったという記憶もない。ただ、すこし安心したことがある。この世界は俺の知る世界では無いということだ。つまり、知らなくとも当然なのだな?」


 普通ならば見知らぬ世界にきてしまったと知れば落ち着きを無くし途方ににくれる者もいるかもしれない。はたまたなぜこんなことをした、元の世界に戻せと激昂する者もいるだろう。しかしフレギオンはそのどちらでもなくどこか安心したようなそんな安堵の表情を浮かべていた。


「俺はこの場所がどこで俺が何者かを知りたくて此処に来たんだ。ネリスト族の誰かに会えばそれが分かるだろうと信じて」


 跪くウェルリーナに片手を差し伸べ、手を取った彼女の身体を起こす。

 彼女の瞳を真っ直ぐに見据えフレギオンは言葉を続けた。


「おかげで少しでも俺がなんなのか分かったような気がする。まぁ、神になったというのは信じていないし魔族を救うなんていう大それたことも出来るとは思ってはいない。そこまで単純ではないつもりだ」

「そんな……。大長老様はフレギオン様にと仰っていました。必ず救っていただくのだと、どうかお願いします。お見捨てにならないで」


 それはつまり救う気はないと、そう宣告されたと思い込んだウェルリーナは、まるで飼い主に捨てられる子犬か子猫が飼い主に縋り付こうとするように、フレギオンに懇願の言葉を発する。

 しかしその時フレギオンの手がポンとウェルリーナの頭を優しく叩く。眼を白黒させる彼女にフレギオンはフッと微笑みかけた。


「見捨てるとは一度も言ってない、それに魔族を救うよりまずはやることがある。目の前にいるお前を、お前達ネリストを救うのが先だ、そうだろ?」

「は、はい、え? ……わ、私達を救う………?」

「ああ、ネリスト族は呪文に詳しいと聞いた。お前は祭司の娘で回復呪文が得意なんだろう? 使えなくても知っているといいんだが。知っていたらやり方を教えてくれるだけでいい」

「それは……なんの呪文でしょうか?」


 ネリスト族のダークエルフはもう彼女一人だ。それなのにフレギオンはネリスト族を救うと言う。そのために彼はどうやら呪文を使うようだ。一体なにをしようというのだろうか。

 訝しげにフレギオンの眼を見ると、彼の金色の瞳は驚くばかりに光り輝いていた。まるで瞳の中に太陽でも宿しているように。


「ファッティエットに殺されたネリストのダークエルフを生き返らせる。そのために蘇生呪文の唱え方を教えて欲しい。それが分かれば全員を助けてやれるはずだ」


 ウェルリーナは眼を丸くした。あまりにも浮世離れした非現実的な発言に面食らったのだ。

 蘇生呪文――。

 それは大長老が行った召喚魔法と同格の古の大魔法の一つだ。死者の魂をこの世に呼び戻し再び動かすという大魔法だ。

 魔法の威力または効果というものは下位魔法、中位魔法、上位魔法の三つに大まかに分類されている。さらに下位魔法の初級、中級、上級、中位魔法の初級、中級、上級、上位魔法もまた初級から上級にへと枝分かれしてこの世界に数多くの呪文が存在しているのだ。ランクという言い方を用いるのなら事実上九つのランクで評価されるわけだ。

 だがその魔法ランクの中に属さない魔法がいくつかある。そのうちのひとつがあの召喚魔法、そして今し方フレギオンが口にした蘇生呪文だ。

 蘇生呪文、それは魔族、人間にならば必ずくるであろう死という事実をねじ曲げる呪文である。そしてその呪文を使えた者は過去数百年の間存在したという話をウェルリーナは聞いたことが無い。

 無理だ、いくらこの男が光のエルフの生まれ変わりであろうとも。

 なぜか、それは簡単だ。かの光のエルフもまた蘇生呪文は使うことは出来なかったと聞いているからだ。


「た、確かに私は魔法の詠唱方法を大長老様と父から教わりました。ですが、無理です。蘇生呪文は忘れられた呪文、光のエルフ様がご存命の時にも使うことはなかったと聞いております。いえ使えなかったと聞いています。いくらフレギオン様といえど」

「無理かどうかは試してみれば良い。それに俺は、その光のエルフではない、そいつが出来なくても俺ならできる。…………言ったはずだ、魔法のことは覚えていると。覚えていないのが詠唱なんだ、それさえ分かればお前の父親を生き返らせてやれる。お前の仲間を生き返らせてやれる」


 だから教えろ。彼はフレギオンは、ハッキリとそう告げた。その表情には一片の曇りもない自信に満ちあふれていた。


「ち、父を救って頂けるのですか?」

「ああ、そのためにも蘇生の詠唱方法を教えてほしい。知ってることでいい、あとは何とかする」


 フレギオンは自分が失敗などするはずもないとばかりの自信をその瞳に宿しウェルリーナを真っ直ぐ見据えた。

 対するウェルリーナは父と仲間を救うという言葉と自信に惹きつけられるように思わず眼を輝かせる。しかし、すぐ思い直したように首を横に振った。


「フレギオン様、もし父や仲間をこの世界にお返し頂けたとしても私はお返しするものがありません。何も……、魔族を救って下さいとお頼み申し上げるだけでもおこがましい事だと承知しております。その上、父や仲間まで救っていただけとしてもお返しするものがありません」


 一瞬の期待を持った後の落胆の表情を浮かべるウェルリーナ。父が生き返るというのはひじょうに魅力的な言葉だった。その言葉に甘えたいという思いは強く、是非救ってほしいという思いが出てくる。だが命を救うという奇跡への謝礼などできようはずもない。

 命を救うことによる対価となる礼などウェルリーナにはできない。現在の彼女は何もないのだ。それを改めて知った彼女は落胆の色をうかべた。


「俺が欲しいのはこの場所での知識だ。お前の父や仲間を蘇生させれればさらに知識を得られる。それで十分だ」


 その言葉に彼女の顔に――暗がりの焼け野原に太陽が昇り、そして花が一面に咲いたように――輝きが戻る。


「たった、たったそれだけでま、誠に父を救っていただけるのですか?」

「ああ。やり方を教えろ」

「は………い、……はい! この詠唱方法で合ってるかは分かりませんが私が知っているのは………」

「それでかまわない。――ヴァサドール」



 フレギオンはヴァサドールを呼び寄せた。

 屈強なオーク族の戦士ヴァサドールはフレギオンの近くに恐る恐る近寄るようにして、(かしず)くように平伏した。それは今までの平服とは違い、神々しいものを見るような畏まった様子であった。


「お呼びでしょうか」


 その様子にウェルリーナが先ほど言った言葉を受け取っての畏まり方だなと気づいたフレギオンは思わず失笑してしまった。


「ふ、話は聞いていただろう? 今から彼女の仲間を生き返らせる。その間、あいつを見張ってるんだ」

「はは!」


 あいつとはもちろんギーゼルヘアのことだ。

 ファッティエット族にとって、憎きネリスト族のダークエルフを蘇らすための蘇生呪文を使用するという話を一部始終聞いていた彼は、本来ならば何としてでも阻止したいところであろう。しかし、彼は苦虫を噛みつぶしたような表情で地面を殴りつけるだけだった。


「なんで……、俺たちじゃなくネリストに肩を持つ。そいつらが俺たちを裏切らなければ俺たちのこの状況は……!」


 (えん)()の籠もったその声はフレギオンとウェルリーナにへとぶつけられる。

 彼は思ったのだろう、ネリストだけが救われ、彼らファッティエットはなぜこうも救われないのかと。自分達にも救いはあってもいいのではないのかと。

 もとはネリスト族が戦いから身を引いたために起きた事態なのだ。自分達ファッティエットはこの地を守るために戦っていたのだ。自分達こそ正義であるはずだ。裏切り者のネリストを倒すことに何の罪があるというのだとギーゼルヘアの心は黒いヘドロのようなネチネチとした黒い感情に包まれる。

 だがそんなギーゼルヘアにフレギオンは冷ややかな物言いで言い放つ。


「確かにお前の状況は把握した。過去にネリストがやったこともそれをお前が恨んでるのも何となく分かった。だが、お前は人間と結託し、結局は同族を攻撃しネリストは全滅した。そうだお前がやったんだ。逆に聞こう、ネリストはお前達を攻撃したのか?」

「裏切った……あいつらは俺たちを」

「だが滅ぼそうとはしていない、攻撃したのはお前達だ」


 それがなによりの事実だと最後につけ加え、フレギオンはウェルリーナを連れて彼女の父の遺体がある場所に向かっていった。彼女の父を仲間を蘇らせるために。

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