憤慨
およそ数千の兵士を葬ったフレギオンが次に目にしたのは予想していなかった光景だった。
ハルシュトーレムが市民を街に戻し、ゆっくりと自軍も撤退していく様にフレギオンはどういう狙いなのかと頭を悩ませた。
先に攻撃してきた騎兵隊や騎士達とは身なりからして違うハルシュトーレムの軍。それはフレギオンと戦うこともなく、街に撤退していくのだ。
「これはどういうことかな。戦う気がないということか」
先の騎兵隊や将軍の様子からして、後続に控えていた軍も襲いかかってくると思っていたがどうやら違うようだ。彼らは明らかに撤退を行っており、フレギオンに警戒こそしているようだが攻撃をしかけてこようとする気配がない。
魔道士の軍が時間の経過とともに街に入っていくのを見ながら、フレギオンは彼の仲間に意見を求めた。
「あれをどうみる?」
その問いに答えられるのはセトゥルシア、アルフレイン、そして目を覚ましたアリエルとメーシュヴェルの四人だ。しかし、四人ともその問いかけにすぐには答えられなかった。
彼女たち、とりわけ助け出した三人はフレギオンの力をみて畏怖して、口がすぐに開くような状態でなかった。それはオーガの戦士であるアルフレインもだった。
そんな中にあってセトゥルシアだけは、ある一定までにフレギオンの力を予想していたため他の三人ほど衝撃は受けていなかった。さすがは光王の生まれ変わりと思っていた。
「攻撃しないでもいいか?」
誰一人答える様子が窺えず、堪えきれずにフレギオンがもう一度問いかけた。
「あっ……」
フレギオンの二度目の問いかけにセトゥルシアが反応する。
「あれというのは、人間の軍のことでしょうか」
「そうだ。見てくれ、彼らは撤退して街で立て籠もる気なのだろう。俺はそう思うんだが、君にはどう見える」
言われてセトゥルシアはジッと人間の軍の様子を伺う。たしかにフレギオンの言うとおり彼らは撤退しているようにしか見えない。時折、殺気めいたものを感じるがそれは彼らから発せられる魔力の大きさからだろう。
「フレギオン様のお考えどおりかと思われます。おそらく、フレギオン様のお力にかなわないと見て、撤退したのではないでしょうか」
「撤退か。…………市民も一緒に街に入っているな」
軍よりも先に市民が街に入っていくのが見える。当然の行動だが、これでフレギオンは街に攻撃する事は出来なくなった。
ボソリと呟かされた一言を聞いて、セトゥルシアはフレギオンの真意を測るために一つ質問をしてみた。
「そのようですね……。フレギオン様、街への攻撃は?」
「すべきだと思うか」
どことなく低い声にフレギオンの真意が見え、セトゥルシアは首を横に振った。
「攻撃を行えば、市民も死にます。フレギオン様がそれを嫌がっておられることは承知しております」
そのことに気付いたのは仲間を救出してからのことだ。
オルドに潜伏しだした昨夜の時から、フレギオンは市民には一度も手を出していない。そうだ、殺そうと思えばいくらでも殺すことなどできたはずなのにフレギオンはそれをしようとしなかった。
召喚獣を呼び出したときもそうだ。フレギオンは住民に危害を加えないように命令しろと言ってきている。その命令は、最初こそ騒ぎ立てないようにするためにと思っていたがどうやら違うようだ。
フレギオンは市民に被害が及ぶのを嫌っているようなのだ。しかもそれは市民だけでなく、兵士にも同じようで、武器を捨てて逃げ出す兵士の背中を彼は一切攻撃しなかった。
そこからセトゥルシアはある一つの答えを導き出すことに成功した。
それはフレギオンは戦闘力のない、あるいは無くなった者に対して攻撃行為など一切しない人物だということだ。
そのため、フレギオンは街への攻撃を行わないとセトゥルシアは判断し、彼が市民が死ぬのを嫌がっていることも口にした。
「よく気付いたな、そうだ……。市民は死なせたくない」
「待て。それならあの軍を無視をするというのか……?」
そこにアルフレインが入ってくる。彼はフレギオンと会ってから時間も短く、彼の性格などを十分に把握していないため、市民を殺さないという考えが、結局あの軍を生き残らせ自分達を窮地に追い込むと考えたからだ。
「見てみろ。アレはどう見ても魔法の準備態勢にはいっている魔道士達の姿だ。俺でもそれぐらいは分かる。後ろから攻撃されてはたまらんぞ」
「言いたいことは分かる。しかし、攻撃はできない」
「なぜだ、あれも人間だ、俺たちの敵だ」
アルフレインは落ち着き払った声で確認してくる。彼はオーガ族の戦士であるが、ギーゼルヘアなどととはちがって感情の起伏はそこまで激しくないようだ。
「彼らは街に立てこもった。あそこを攻撃すれば市民にも死者が出る。それはできない。それにアルフレイン。オーガには戦わない者はいないのか? そうだな、集落に留まり、狩りをして食料を補給するもの。子供を育てる者。戦えなくなり休んでいる者。そういった者はいないか?」
「オーガは戦いの種族だ、休む者はほぼいない。しかし全員が戦う事を喜んでいるかと言われればそうではない。人間を殺したことのないオーガもなかにはいる」
「その者も一緒だ。あの街に居る市民とな。自分たちの生き方をして、争いをしないで普通に生活している。そんな戦う力のない者まで殺すことはない」
「だが、彼らが攻撃をしてきたら? 武器を持てば力あるものになるぞ」
「そのときは…………、俺はおまえ達を守る」
「…………」
フレギオンはそれ以上何も言わず、同じようにアルフレインもそのまま黙った。両者の中でこの会話は解決あるいは、保留となった証であった。
アルフレインとしては人間の軍をいますぐ壊滅させておきたいところだったが、それができるのはフレギオンであって彼ではない。フレギオンがしないというのなら、どうすることもできないのだ。しかし、だからといって文句を言うことも出来ない。フレギオンに助けられた事実があるし、彼に守られている状況であったからだ。
男二人の会話が終わったのも見計らって、セトゥルシアが今後の行動を聞いた。
「それではフレギオン様、あの者たちは放っておくとするなら私達は北に向かうということになるのでしょうか」
ここオルドに来るためにヴォリドール山という山をこえて、関所を突破してきたのを思い出す。関所を占拠し、オルドにきたのが昨夜のことだとは思えないほど時間が経った気がするがそれほど時間は経っていない。
「ああ。みんなのところに帰ろう」
「帰るとはネリスト族のところか?」
「そうだ。彼女、セトゥルシアはネリスト族の長老の孫なんだ」
「ほう…………孫。どうやら勘違いしていたようだが、お前が長かと思ったが違うのか」
フレギオンのセトゥルシアの関係を見れば、上下関係がはっきりと分かってくる。それを見ていて、アルフレインはフレギオンが族長たる者なのだろうと思っていた。しかし、それは違うことを知って彼は眼を細めた。
「ああ、そうだった。後で詳しく説明するさ、彼女達にも話さないといけないし」
「どういうことだ」
「少し長くなる話だ。とにかくまずは関所に向かおう」
そう言ってフレギオンは召喚魔法で巨馬を呼び出した。セトゥルシアはこれが二度目のなのでそれにすぐに乗ったが、アリエル達は面食らった様子で乗るまでに少し時間がかかった。
アルフレインとはいうと、フレギオンとセトゥルシアの関係そして、フレギオンが一体何者なのかと気になって仕方がなくなっていた。長老でないものに従うダークエルフというのはそれだけ奇妙なものだったのだ。
市民を街に避難させ、街の入り口に魔道士部隊を待機させて一応の迎撃の用意だけをすませておいたハルシュトーレムは双眼鏡を手にとって、フレギオン達の様子を見ていた。
そこに映ったのは巨大な馬に乗って、北上をしていく五体の魔族の姿。彼の思惑通りフレギオン達は街に攻撃をしてこなかった。
「見てみろ」
隣に控えている爺に双眼鏡を手渡し、ハルシュトーレムはその場に座り込む。
「若の予想どおりですな」
「当たってくれて心臓がやっと落ち着く思いだ。攻撃されたら死んでいたぞ」
「ふむ、しかしあの巨馬。召喚魔法の一つでしょうが、となると街に現れた化け物共はあやつらの使役したモンスターということになりますな」
「そんなことは分かっている。それよりも、あいつらが攻撃してこなかった理由が俺の考え通りなら、まことにおかしな魔族だ」
「光王……だから、でしょうかな?」
言い伝えによると光王はエルフ族のために国を作った。それは他の魔族から同種族の攻撃から守るためと言われている。それと同時に光王はその頃、少数勢力だった人間の保護も行ったとも文献によれば残っている。ただこれは真実かどうかは定かではない。
爺はその文献を読んでいたのだろう。それでハルシュトーレムに言ったのだ、光王だからではないかと。
しかしハルシュトーレムは一笑に付した。
「爺もずいぶんと昔の文献を読んだことがるとみえる。しかし、あれは事実無根の話の可能性も大いにある。事実、フレギオンはユーハンソン将軍の軍を壊滅させているぞ。やっていることが無茶苦茶だ。それに光王である確証もない」
「そうでしたな」
「うむ」
相づちを打って、ハルシュトーレムは爺から双眼鏡を返してもらうともう一度フレギオン達の姿を確認した。馬上にてゆれる魔族五体の後ろ姿はかなり小さくなっていた。
「しかしユーハンソン将軍が亡くなり、殿下の軍が負けたとなれば今後大変なことになるな。さしづめ教会の大司教猊下はさぞ喚き散らすことだろうなぁ。アルテルン神への信仰が薄いから、こうなるのだとでも言われるかな」
「まったく厄介な者どもです」
「本音が出て居るぞ」
「おや、空耳ではないですかな」
「ふっ言いよるわ。………………………………?、おい爺。あれはなんだ」
「なにか?」
ハルシュトーレムの声色が変わって、爺は再度双眼鏡を受け取った。まさか魔族達が遠距離攻撃でもしてきたのかと思ったがそうではないようだ。フレギオン達はまっすぐ北に向かっており、こちらに攻撃する素振りはない。
「そっちではない、もっと北だ。あの黒い影はなんだ!」
「影……、あれはもしや」
フレギオン達よりもさらに北のほうに、黒い小さな影の軍団が見えた。それが馬に乗った騎兵であるというのはすぐに分かった。だとすれば、それは一体誰の軍なのだろうか。
「数百の軍ですな。しかし、誰が」
「おいおい冗談じゃないぞ、誰だ命令に逆らったのは!?」
よもやこんな事態になるとは思っていなかったハルシュトーレムはこの日一番の大声を発した。
将軍が怒っているというのは近くで護衛に当たっている兵士達全員にも伝わり、その場に皆の注目が集まる。
「若の命に従わないとすれば、ユーハンソン将軍の配下の者か、殿下か……」
「殿下はありえぬ。私とともにここに入ったのだ、それはない」
「ならば……」
「ユーハンソン将軍の百騎隊長かあるいは………、いやまて、そうだ。閣下、閣下はどちらにおられる。俺はあの方をみていないぞ」
「まさか、しかし公爵閣下がそのような無謀な真似をされるはずは」
冷静にみて国の重臣たるヘーゼル・ヨッハンヘム公が何を思って手勢を率いて北上する必要があるのか、と考えるのが普通だ。しかし確かにオルドに撤退した時、公爵の姿を見た記憶がない。
「だれか! 閣下の姿を見た者はおるか! 誰か!!」
ハルシュトーレムの大声が響き渡る。
オルヴァー王子がヘーゼル卿の姿がオルドで見当たらないと、ハルシュトーレムに伝えに来たのは間もなくのことだった。それを聞いたハルシュトーレムは暫く呆然とした後、先ほど見た黒い影の集団を慌ててもう一度見てわんわなと身体を震わせた。
王子は軍を率いて伯父のもとに行かねばと言ってその場から離れていく。王子の姿が見えなくなったころ、爺がハルシュトーレムの顔をのぞきこむと、彼はひどく憤慨し、爺にむかっていかの言葉を口にしている。
「敵の力を測れぬ素人が勝手なことをしおって。貴様のような人間が居るから無駄に消える命があるというこを理解しろ、あほうめ」




