王子と国軍
オルドの街から、南に三キロの位置に国軍の姿があった。その数七千のエクスラード兵である。
その軍の中心部にて、純白の鎧と、龍の顔を形取った兜を身につけた青年が、双眼鏡を手にとって、国一番の大河である、ヴェラード河を眺め、澄み渡るような青空を見上げた。
「良い朝だ。これほどの天候に恵まれながら、オルドの民は今、悲鳴をあげている。許すまじ魔族め」
「ご心中お察し申し上げます」
片膝をついて、お付きの兵士がうやうやしく言う。
「民の救出はどうなっている?」
「殿下のご命令どおり。ハルシュトーレム様の指揮のもと、街より脱出した市民は保護され、先遣隊が取り残された市民を救出しております」
「急げ、民の被害をこれ以上広げるな」
「は!」
王子の声は若いが幼くはない。威厳のある声でこそないが、軍の統率者たる風格は備わっている。
「オルヴァー殿下」
そこに白髪でありながら、長い髪を一纏めにした老兵が歩み寄ってきた。彼は膝をついて、そして王子に向かって一礼をした。
「ユーハンソンか。どうした……? もしや、伯父上が見つかったのか」
「はっ、閣下はフリュクレフと共に宮殿を脱出され、先遣隊が身柄を保護。ただいま、ハルシュトーレムの兵が護衛しながらこちらに向かわれてるとの報告が先ほど、私のほうに」
「そうか! 伯父上は無事なのだな! よし、出迎えの準備に取りかかるぞ。ハルシュトーレムには引き続き、オルドの民を保護するように伝えろ」
「ははっ!」
「伯父上が魔族のことをご存じであろう。奴らの力を聞き次第、全軍で叩きのめしてやる」
オルヴァー王子が側近の将軍に命を下していく。王子は御年二十三で、今秋にも二十四となる若者で、水色の髪の毛と同じく水色の瞳を持つ。
今の現国王は健康状態も良く、王子が王位継承をするのはまだ先の話になるが、次代の国王として将軍以下、兵士の期待は高かった。
「伯父上、ご無事で何よりです。魔族に襲撃されたと聞いた時は、心臓が跳ね上がるかと思いました」
その言葉はやや大げさにも聞こえるが、彼は嘘を言うような人間ではない。王子がそう言うのなら、本当にそうだったのだ。
聞けば、伯父ヘーゼル卿は騎士フリュクレフに守られながらオルドから脱出したあと、先遣隊の者によって保護され、すぐさま将軍ハルシュトーレムの保護下に入ったという。
「王子殿下もったいなきお言葉。オルドを魔族に焼かれ、民を危機にさらしてしまった事、謹んでお詫び申し上げます」
「そのことですが、魔族が二体であるというのは真実ですか? にわかには信じがたい話です」
「二体……?」
「………? 違うので?」
伯父、ヘーゼル卿の顔が何とも要領を得ない表情を浮かべ、側近のフリュクレフと顔を見合わせているのを見て、オルヴァー王子は聞き直した。
「関所の守兵だったものが逃亡し、その者達を捕らえました。話を聞けば、魔族二体を街まで強制的に案内させられたと。彼らは泣きながら許しを請うてきたので、罪人として捕らえています」
王子が率いる国軍の先鋒を勤めるハルシュトーレムが、関所の守兵を見つけ、彼らを捕らえた。当初は責務放棄の罪として捕らえたのだが、そのあと、あまりにも彼らの様子がおかしかったので、彼らから事情を聞き出し、事の真相を知ることとなった。
王子以下将軍全員が衝撃の事実を知り、王子はすぐさま先遣隊という名の救出部隊を派遣、今に至っている。
「彼らが言うには、魔族は二体と言っていました。しかし、数が違うので?」
「あぁ、それは……、フリュクレフのほうがよく知っております殿下。これ、フリュクレフ、殿下に申し上げよ」
「は。殿下、恐れながら申し上げます」
フリュクレフが右手の手の平で左手の甲を押さえて、跪きながら、王子に言上する。
「私が聞きましたところでは、魔族は四体侵入しており。今はさらに数が増えております」
「では、私が聞いた聞いた話よりも多いということだな?」
手の平で口を抑えて、王子は顔を歪ます。だが彼よりも顔を大きく歪まし、憤慨する者が居た。
白髪の老将軍、ユーハンソンである。
「あの者達は魔族に手を貸したばかりか、不敬にも王子殿下に偽りを申したのか。許せん、そっこく、首を切り落としてやる。これ以上エクスラードの空気を吸わせてなるものか!」
その怒りは今や顔から湯気が出ようかと言うほどで、顔を真っ赤に燃え上がらせていた。将軍は六十一になる年だが、まだまだ声は若く力強さがある。
「ユーハンソン」
「殿下、おとめになりますな! このままでは腹の虫が収まりませぬ。他でもない殿下への不敬、これは王室への侮辱、ひいては国王陛下への侮辱に他なりません。そっこくあの罪人共に死を与えるご命令を!」
血気盛んにユーハンソンが吠え立てる。老齢といってもまだまだ現役の将軍。彼の武勇は一般兵のそれを遙かに凌いでおり、そんな彼の迫力は凄まじいものだった。
「将軍、そなたの忠義心は父王も厚くご信頼をおかれている。私もそなたには全幅の信頼をおいている、故に落ち着いてほしい」
全てを洗い流す清らかな水の色をする瞳が、老将軍の瞳を見透かすように見つめる。肩を怒らせて、怒気を発する老将軍だったが、なんとか王子の制止を聞き入れた。
「こうしている間にもオルドの民は苦しんでいる。我らに救いを求めているのだ、将軍。行うべきは民の救出と、魔族の掃討だ。罪人はそのあとに決めれば良かろう。今はそなたの忠義心をオルドの民に向けてくれないか」
将軍の年から半分にも満たない若き王子の言葉を聞いて、老将軍はいたく感銘を受けた。彼は先ほどの怒りを吹き飛ばし、落ち着きを取り戻した。
「このヨルゲン・ユーハンソン。殿下の仰せのままに」
「うむ。ではハルシュトーレムの軍と共に、市民の救出にそなたも向かってくれ」
「ははっ。すぐにも!」
将軍は一歩、二歩と後ろに下がり、そこからくるりと反転を行って、陣の外に待機させている愛馬にまたがった。彼に付き従う兵士もすぐに馬に跨がって、ハルシュトーレムが指揮する残り三千の前方の軍のもとに走って行った。
「さて、伯父上」
ユーハンソンの後ろ姿を見送ったあと、王子は伯父とその側近に向き直った。
「侵入した魔族のことですが、四体ということで間違いありませんね? では今、奴らは何体になっているとお考えですか?」
「殿下。地下牢にいたオーガの戦士、アルフレインが脱獄し、侵入してきた魔族と合流した可能性があります。さらにはネリスト族の捕虜も加わって最大七体かと」
「分かりました、七体か」
王子はやや考え込むように、オルドの街の方角を見やった。それをみて、フリュクレフが差し出がましいとは思いつつも言った。
「王子殿下、敵の魔族のうち、一体が恐ろしいほどの力を持っております。宮殿の兵士総出で挑みましたが、ほぼ打ち負かされ、多大な死者がでています」
「それはもしや、金髪金眼のダークエルフのことか? その話を詳しく聞かせてくれ」
「は、殿下がおっしゃる金髪金眼のダークエルフで間違いありません。じかに対峙してみましたが、その者の力は傑出しており、私の力など到底及ぶものではありませんでした。私の氷属性魔法を受けても、傷一つなく、平然と立っており……、それでは奴の底力は見えませぬ、私と戦いながら他の、そう……、戦いに集中した様子でもありませんでした」
「それほどか」
逃亡兵、今は罪人となった彼らにもその魔族の話は聞いていた。彼らが出会ってきた魔族の中に、あれほどの強さを持つダークエルフは居ないとまで言っていた。
それは彼らの実力もそれなりに考慮しても、なかなか脅威だとは王子も考えていた。それでもたった一体で宮殿の衛士が手に余り、フリュクレフも勝てないとなれば、考えていた以上の脅威だと認知せざるを得ない。
だが、オルヴァー王子は愚鈍な王子ではなかった。彼はそこまでは考慮していなかったが、考えられるだけの手は既にうっていたのだ。
「そうなると彼らを送り込んで正解だったかもしれない」
王子がオルドの街の背後のほうを見やりながら、そう言うのを聞いて公爵がどういうことなのか聞いた。
「彼らとは?」
「なに、王宮騎士を父王から三十名ほど、私の護衛にと与えてもらったのです。そのうちの六名を、伯父上の救出命令を与えて地下水路に向かわせました。伯父上ならあそこから脱出されるであろうと考えまして」
「な、なるほど。王子殿下のご厚意感謝致します」
「とんでもない。他ならぬ伯父上です、当然のこと。しかし、伯父上が既に脱出に成功されたとなると、彼らの目的は宮殿内にいる魔族を始末することになったはず。暫くすれば何かしらの報告がくるでしょう」
王子は王宮騎士達に別命も与えていた。第一目標は伯父である公爵の救出。公爵は地下に作られた隠し通路にて脱出を行うと考えられていたため、その出口から救出に入り保護するという役目を与えた。
その目標が成功、あるいは公爵の行方が不明の場合、宮殿内に潜伏している魔族を倒すという目標を与えている。
そして、既に公爵が王子の陣中にて、保護されているとなれば、王宮騎士達の目標は魔族掃討に作戦が移り変わっているはずだ。
「伯父上もお疲れでしょう。私の天幕にてお体をお休めください。フリュクレフもよくぞ、伯父上を守ってくれた。この戦いが終わった暁には、そなたには何か褒美を与えよう。今は休んでくれ」
「はっ。このヨアキム、国王陛下と殿下のためならば死をも恐れはしません」
「死は美徳ではない生きてこその生だ。その言葉は我が心のうちにのみ、とどめておこう」
ヘーゼル卿とフリュクレフ二人はその後、王子の天幕に入り、この半日の疲れを癒やすために横になった。公爵は王族用の豪華なベッドで横になり、フリュクレフはその近くにて座って休んだ。
王子は二人が休んだのを確認すると、近衛兵二人を呼び、さらに直属となった王宮騎士一人を呼びよせた。
「伯父上の動向、決して見逃すな。今回の魔族侵入、伯父上の失策によるところが大きい。戦いが終わるまで、誰も会わすな」
「殿下の仰せのままに」
王宮騎士は深く追求はしようとしなかった。それは彼の、分を超えるものであったし、彼の主君は今は王子なのだ。命に従うのが王宮騎士としての責務であった。
かくして、公爵を陣中に軟禁することに成功した王子は、この後の行動を考えようと別の天幕を訪れ、残りの王宮騎士と作戦を考えようとした。
しかし、その直後、信じられない報告を受けることとなった。
「殿下の命で、公爵閣下を救出に向かった騎士が全員、死亡したと報告が!」
「死亡だと、全員がか!?」
王子の驚きをみて、報告しにきた伝令兵は再度同じ答えを口にした。
「王宮騎士六名が死亡、さらに後方に待機させていた五十名の救出兵が壊滅。緊急用の伝心術をつかって、状況が届きました!」
「ばかな、そんな…………」
救出兵五十名に王宮騎士六名。たしかに公爵を救う兵としては数が少ない。が、市民には一切知らされず、一部の者のみしか知らない隠し通路に大軍で押し寄せれば、市民や一般兵にも知られることとなり、王家の者の脱出経路として今後、その道は使えなくなってしまう。
そう考えての五十名と王宮騎士六名の派遣であったが、五十名が少ないと言うこともない。秘匿情報が明るみに出る※危険性を考えればその数もまた多すぎるとも考えられる。
だが、万が一を考えて、その数の兵士に救出に向かわせたのだが、どうやら魔族のことをオルヴァー王子は甘く考えていたようだ。
「王宮騎士全員が死ぬなど、信じ…………、い、いや。誤報であるまい。そなた、敵の数は、敵の数は分かるか? 一体何体いたのだ、七体全員か?」
王子は努めて冷静になろうとして、打開策を講じる時間を得ようとした。その上で必要な情報を手に入れようとした。それが魔族の数である。
「はっ。そ、それが、敵は五体だと。しかし、攻撃してきたのは一体のみで、その一体に壊滅させられたと」
「一体だと……!? まさか、そんなはずがない! 彼らは誉れ高き、エクスラード王宮騎士だ、そのような……」
明らかに狼狽の色を隠せない王子に、周りの兵もざわつく。
王子は王宮騎士の力を買っていた。それは王子だけではない、他の兵や、将軍も王宮騎士の力を評価している。たしかに彼らでも上位魔法を扱える者は少ない。それでも、中位魔法を扱い、闘気を扱える彼らは、国の大きな戦力である。
大神官や大魔道士が時間をかけて発動させる上位魔法は強力無比であるが、こと接近戦となれば王宮騎士の力は頼りになるのだ。
それがたった一体の魔族に壊滅させられたと言う。それはオルヴァー王子の人生で初めての衝撃だった。
「では、その魔族の容姿は分かるか?」
「伝心術を使ってきた者が最期に言った言葉がおそらくその事だと推測されます」
「なんと言ったのだ」
「金色のものがやってくると」
「やはりか……」
伝令兵はそう言った後、顔を下げた。
王子はしばらく考え込んだあと、彼の中で整理がついたのか、オルドの街を見た後、伝令兵に顔を向き直った。
「……伝えに来てくれた上に、すまないが、すぐにユーハンソン将軍とハルシュトーレム将軍を呼び戻してくれ。この知らせを全て、両将軍にも知らせるのだ」
「ははっ」
「早急に頼む、事は一刻を争う」
兵は王子に一礼を行い、すぐに陣を出てオルドに向かっていく。
ハルシュトーレムは市民の救出に尽力を尽くしているためすぐには戻れないかもしれないが、ユーハンソンは先ほどまでここに居たために、そう遠くにはまだ行っていない。すぐに戻ってきてくれるだろう。
「金髪金眼のダークエルフ………、まさかそれほどの力とは。しかし、そこにいるのが分かった以上は逃しはせぬぞ。貴様に殺された我が国民の無念、必ず晴らしてやる」
王子は自分の周りの兵力を考えた。
彼が率いるのは総勢一万の軍。対する相手は七体で、居場所が判明したのが五体。実は残りの二体の魔族というのはクラスとベングトという人間であるため、オルドにいる魔族はその五体のみなのだが、そのことを王子が知ることはなかった。
王子は父王から与えられた王宮騎士二十四名を呼び寄せ、事の状況を説明。さらに慌てて戻ってきたユーハンソンと、彼の軍と王子の軍を集合させる。
ハルシュトーレムは市民の救出の指揮をとっていたため、やはりすぐには戻れず、時間がかかる様子だった。そのため、王子はユーハンソンと共に一足早く、魔族掃討作戦に打って出ることにした
「敵は地下水路の近くだ! 囲め、逃がすな! 必ず、見つけ出し、殺すのだ!」
「同士の仇、必ずとってくれる! 我が女神よ、我らの行く末を照らし下さい!」
「地獄に送り返してくれる!」
「全軍進軍せよ、敵は強いが、我らには殿下がついておられる! 殿下の兵たる力を、悪魔共に思い知らせてやるのだ!」
同士を殺され、息巻く王宮騎士と、闘志むき出しのユーハンソン将軍。彼らは食料を防衛する二百の兵を残し、総勢六千八百の兵を動かして、魔族が現れた場所に進軍を開始する。
そのうち、三千の騎馬の馬蹄が鳴り響き、大地が揺れ、土煙が舞う。
この戦いが、エクスラードの国軍ひいては人間の軍と、のちに魔族の軍を作り上げたフレギオンとの最初の戦いになった「オルド平野の戦い」だった。




