宮殿侵入
魔族二人、人間二人、計四人の奇妙な男女は宮殿の前に大きく掛けられた銀色のアーチをくぐると、芝生が敷き詰められた大きな庭園に到着した。右を見れば馬房が見えてきて、大きな馬が繋がれているのがわかる。
庭園の中央には、石を彫って円形で作られた花壇があり、その真ん中に翼を生やした大きな女性の像が建てられていて、来訪者に微笑んでいる。それが人の神アルテルン神であると、フレギオンの一行に一時的に加わったクラスが教えてくれた。
「アルテルン神だ。人神と呼ばれたり、女神と呼ばれたりもしている」
「あれがアルテルン神か」
フレギオンの彼の記憶の中で初めて見る神に、関心を持つように見やっていると、クラスは言葉をさらに続けた。
「人をお作りになった神で、我らが人の母たる神だ」
それ以上はクラスは言わないことにした。彼はアルテルン神の信者ではあるのだが、相手が魔族であり、今の状況を鑑みると、神の話を悠長にすべき時ではないというのを心得ているからだった。
アルテルン神の像の横を通り過ぎると、宮殿の中から衛士が現れた。
「さて、衛士様のお通りだ。打ち合わせどおりいこう」
クラスがずいと三人の前に出て、目立つように足を引きずると、今度はフレギオンがセトゥルシアとベングトの肩を担いで、引きずるように歩きだした。
衛士は四人を見つけると驚いた顔で「む、誰だ?」と問いかけてきたが、四人の姿をみて、負傷兵だと誤解して、厳しい物言いは全くしてこなかった。
「じ、じつは魔物に不意に。こいつら仲間なんですが、足をやられてしまって。一匹は追い返すぐらいにはできたんですが、俺もこの足で」
口から出任せを、あたかも本当にあったかのように言うクラスの言葉を聞いて、衛士は後ろの三人の姿を確認した。
三人とも血で汚れた鎧を身につけていて、嘘偽りなどないように見受けられる。足のレガースには返り血か己の血かで赤く汚れているし、肩にも血がついている。
嘘をついて逃げてきた兵士ではなさそうだと、衛士は判断してくれたようだ。彼は優しげに宮殿の中に入って休めと指示を四人にくれた。
「魔物のことは聞いている。そうか、ここまでの負傷だ。さぞ辛いだろう。宮殿の中に屯所がある、中にはいって休憩をしていいぞ」
「助かります。では……」
クラスが頭を下げると、他の三人も頭を下げた。そのまま足を引きずるように、四人は宮殿の中に入ろうとすると、衛士が彼らを呼び止めた。
「まて、顔を確認しておきたい。負傷していてすまないが、変な輩を中には入れられないのでな」
それは衛士のつとめとして当然の確認だった。身元が判明しない者を無下に宮殿に入れては、公爵の身の安全を守る衛士としての職務の放棄にあたる。負傷兵には悪いと思いつつも、彼らの兜を外すように命令した。
四人の顔は鉄仮面によって見えないが、全員の顔に緊張の色が走った。クラスとベングトの二人は逃亡兵として素性が先遣隊にバレているかもしれないが、この衛士とは全く面識がないため、顔を見られてもすぐには正体はバレない。が、フレギオンとセトゥルシアは別だ。
この二人は顔を見られてはすぐさま魔族と気付かれてしまう。そうなれば、隠密で進入という作戦も水泡に帰すことになる。
クラスは鉄仮面の下で大きな汗粒を流した。もともと、この作戦自体無謀だったのだが、これほど最初に気付かれてしまうとはという思いが強くなる。
その時だ、予期せぬ助け船が四人のもとにやってきた。
「衛士様、衛士様! 先遣隊の方のものと見られる、灯火の灯が街の外で光っております」
「な、もう来られたのか!?」
「駿馬でしょうか、ですがもうお姿がそこに。今、市内に出ておられる衛士様達は入り口に集まっておいでです!」
「分かった、すぐに向かおう。他の衛士にもこのことを」
「はい!」
なんと国軍の先遣隊がすでにいくつかやってきているというのだ。伝令はこの重要な事実を伝えたことに満足し、胸を張って宮殿の中に入っていった。彼の足は速く、すぐに背中が小さくなる。
「いや、しかし、もう来られるとは。一体、今夜は何が起きているんだ」
衛士は一人でぼやく。先遣隊の足が速くなっている理由は分からず、思案しているようだ。だが、彼にもどの衛士達もおそらく、公爵もだが、この街に魔族が入り込んでいるという事実を知らない。知っているのは、負傷兵になりすましている四人のみだ。
気を取り直して衛士は四人に声をかけた。
「今のを聞いたか。先遣隊の方がこられるらしい、私は行かねばならなくなった、すまないが時間がないのでな。確認は一人にしておく」
そう言うと衛士は、負傷兵の中で只一人だけ会話を行ったクラスのみに仮面を外すように指示をした。
「小隊長は君か、仮面を外して私に顔を見せてくれ。なに、ただの確認だ、すぐ終わる」
「は、はい。では」
これを拒否するわけにはいかない。しかもクラスのみでいいのなら、万々歳の展開だ。
クラスは一応、負傷兵らしくゆっくりと仮面を外すと、衛士はさほど確認もとろうとせず、仮面の下にあった顔が三十代の男であると知ると、満足したように頷いた。
「もういいぞ。中にはいれ、すまなかったな」
「いえ。では」
うむ、と衛士が声を出して四人に背中を向けて、大急ぎで宮殿のアーチをくぐって市内に向かっていった。
「ふぅ。万事休すかと思ったぜ……」
衛士がいなくなるのをみて、ベングトが息を吐いた。その横でセトゥルシアも同じように声を洩らすと、フレギオンが全員に気を引き締めるようにと促す。
「安心はまだできない。敵の中に行くのはこれからだ」
「そうだ、ここからが本番だ」
同意するようにクラスが口をそろえる。外していた鉄仮面は一応念のためにとかぶり直した。
「では、まずは宮殿の中に入らせてもらおう」
言うや否や、四人は宮殿の中に入っていく。
宮殿の中に入り込むと、そこは非常に絢爛豪華な装飾が施された壁が、彼らを出迎えてくれた。
まず眼を引くのは、天上の大きなシャンデリアだろう。透明のガラスのように輝くシャンデリアの上にサファイアが天上からつるされていて、その周りには金色の刺繍が入った布が、側面の壁に取り付けられている。壁には壁画いくつもかけられていて、花瓶などもおかれていて、まるで美術館のようでもある。
視線を前方に向けると左右から階段が作られていて、どちらの階段も上の階で結びつけるように建造されている。
階段までにいくまでに右手に大きな扉があって、その奥から弾丸のように衛士達が出撃してきた。タイミング悪く、衛士たちと鉢合わせになったが、誰もがあの伝令の話をきいて飛び出すように街に向かっていった。それこそ、彼ら四人など興味ないようにだ。
「おいおい、あの慌てよう。先遣隊が来るにしても、騒ぎがでかすぎないか? 獣は今いないんだぜ。おかしいだろ?」
「俺もそう思うな。あれではまるで出迎えだ」
大急ぎで飛び出していく衛士達を尻目に四人は階段をあがっていく。その先に目的の仲間がいるという確証はないが、わざわざ衛士達や兵士達がいる大部屋に行く必要もない。
フレギオンとセトゥルシアはなにも言わず、二人の会話を耳に入れる。そうしていると、やや間延びした口調でベングトがフレギオンに問いかけてきた。
「なぁ、魔族様。あんたぁ、どうおもう?」
赤と黄色のカーペットが敷かれた廊下を駆けぬけていく。どうおもう? という問いかけは国軍の先遣隊にどうして衛士が慌ててるのかと聞きたいのだろう。
だが、そんなことはフレギオンだって知りたかった。彼は国軍が迫ってきているということは知っていても、その指揮官のことも、まして国の情勢もよく知らないのだから。
「分からない」
やや重い口調でフレギオンが口をひらいた。
「しかし、衛士がここの守備をすこしでも手薄にするぐらいなら、それなりの指揮官がきているということではないか? そうでなければここを手薄にするのもおかしな話だ」
「そうなると指揮官は、将軍かもしれん」
クラスが相づちを打つように言う。
それを聞いてフレギオンはふむ。と声を出したあと、チラリと左横をみた。そこには鉄仮面を被っていて素顔は見えないが、セトゥルシアが並ぶように共に走っている。彼女はこの状態をみて何をかんがえているのだろうか。
彼女もフレギオンと同じく、国軍の状態などは知らない。押し黙っている彼女を見ていると次はベングトが反論した。
「将軍様がくるなら、それは一大事だが衛士があんなに出て行くこともないだろう。そうじゃないか? なんていっても公爵様だぜ」
「公爵様だからといって、公爵様を守る衛士が将軍よりも偉くはないからな。街の混乱を鎮めるためにも出て行った、というぐらいかもしれない。第一、出て行ったのも数十人だ。この上の階には山ほどの衛士がいるぞ」
「ちぇ、聞かなきゃ良かったぜ」
この先に衛士が多いだろうと指摘されて、ベングトは肩をすくめた。廊下を通り抜けて、廊下の曲がり角につく。一応、先に衛士がいないことを確認した四人はさらに宮殿の中を進む。そこでセトゥルシアが、単純な疑問を問いかけた。
「もし彼女達がいるとすれば、上の階か下の階ですよね?」
「上は公爵様の寝所じゃないか? 捕虜はたぶん地下だ」
クラスが答える。それをきいてフレギオンがクラスとベングトを見ながら質問した。
「地下にはどうやっていけばいい? この建物、入り口の目の前がいきなり階段だったからのぼってきたが、地下があるならどこかに階段があるはずだ」
「残念ながら俺たちもここに入ったのは初めてで、知らないんだ。手分けして探すしか……」
そこで歯切れ悪くクラスの口が閉ざされた。いや、全員の口がそこでとまった。なぜなら、フレギオンの前に衛士の小隊が十数人と現れたからだ。
当然のように衛士達は、本来この場に居るべきでない兵士四人を見つけ出すと、怒鳴り声で彼らに迫ってきた。その様子は入り口で出会った衛士のようではなく、完全に敵とみなしているようだった。
「貴様ら! ここをどこだと思っている。すぐにその仮面を外して、名と小隊名を名乗れ!」
衛士の隊長だろうか。筋骨隆々のたくましい男が威嚇するように槍を前に出して、彼ら四人に正体を見せろと怒鳴る。
しかし四人は鉄仮面を外すわけにもいかず、まずいことにそこで止まってしまった。
「おいおい。やばいぜ、もうしらばくれるのは無理そうだ。いよいよ戦うしかないのか、衛士と戦う日が来るなんてな」
「お前のその言い方だと、戦うのが嫌だという感じがしないが、きのせいか?」
衛士が迫る中、ベングトとクラスのどこか気楽な掛け合いが展開される。彼ら二人とは違ってフレギオンとセトゥルシアは冷静でありながらも、この局面の打開策を考えたが、どう考えても、もはや戦うしかないようだ。
「セトゥルシア、ここは俺が引きつける。君は捕虜となった彼女達を探してきてくれ。あとで合流する」
「引きつけるって、私も戦えます。戦わせて下さい。そのためにここまで来たんです」
この状況で行けと言われても、素直に聞けるわけがない。それにここまで来た理由は人間の手から仲間を解放することだ。フレギオンの命にすぐに従おうとはセトゥルシアはしなかった。
それをみてフレギオンは三人の前にでて、三人にもはっきり聞こえる声で告げた。
「いいや、ここは俺がやる。それに捕虜となった彼女達の顔を知っているのは君だ――クラス、ベングト。彼女を連れて地下に向かってくれ。頼むぞ、味方だと信じている」
もっともらしい理由をつけてセトゥルシアを行かそうとするフレギオン。敵が眼前にいることからセトゥルシアは、確かに仲間の顔を知っているのは自分だけだと思ってしまった。
冷静に考えれば捕虜となっている彼女達の顔は分からずとも、ダークエルフであると分かれば救う対象に繋がるというのに。それにネリスト族以外の魔族もいるかもしれないという可能性もすてきれない。
しかし、やはり敵が目の前にいるのだと分かっていると、思考の速度は冷静でいるときよりも幾らか低下していた。
「味方か。人間にそこまで言う魔族は初めてだ。……いいだろう、そういう約束だ。彼女のことは任せてくれ」
「おい、クラス……」
「彼が引き受けてくれるんだ。ありがたく受けようじゃないか。今の俺たちにとっては頼もしい味方さ」
「それも……そうか」
ベングトは自分よりも頭一つ以上背が高いダークエルフの背中を見やった。たくましい背中だ。ダークエルフの体つきとしてはも肩幅がひろく、この背に守られるなら安心感も出てくる。
逆にフレギオンが立ちはだかられた衛士達はあの威勢を少し弱めていて、踏み込むのをすこし躊躇っているようだ。その隙にクラスがセトゥルシアの肩を叩いた。
「君の主は戦う気だ、主を思うなら、君のすべきことを今やるべきだろう」
クラスはそう言うとセトゥルシアの腕を掴む。そして、近くのドアを蹴飛ばして、奥に入ろうとした。
「わ、分かりました。フレギオン様、どうかご無事で……」
それを最後にセトゥルシアとクラスそしてベングトの三人は部屋の奥に消えていく。
三人の姿が見えなくなるのを確認したフレギオンは、鉄仮面を外し投げ飛ばした。
あらわとなった金髪金眼の瞳。そしてエルフ種族特有の尖った耳――ここはゲームでのキャラクター作成時に、大きさ以外弄れない箇所―が衛士達の前で晒された。
それを見てハッとなる衛士達数十名。そのうちの一人が思わずこんな言葉を口走った。
「魔族……! さては仲間を助けにきたのか。ふん、貴様も嬲ってやるわ!」
捕虜となった仲間を助けにきたフレギオンにとっては、その一言は値千金の言葉だった。
ここまで来てもし、死んでいた場合、死後三日以上経過してるとなれば、さすがのフレギオンでも手が出せなくなる。だが、この男の言葉は仲間が生きているという事実そのものだった。
ただ余計な言葉も耳に挟んでしまったが。
「ああ、大事な仲間だ。悪いが、ここから後ろには行かせない。それに……、お前達はここで死んでもらう」
右手を水平に真横に突き出し、行く手を阻むようにフレギオンは言った。その姿は威風堂々としており、衛士数十名を相手にしても引けを全く取らない。
「魔族一人に公爵の宮殿を守る衛士が何を狼狽えるか、敵は一人だ衛士の力を見せつけろ!」
激しく叱咤した男は衛士の中でも一際逞しいあの男だ。隊長と思わしき男の命令によって衛士が我こそが! とばかりに襲いかかる。
その中で長槍を持つ男が一番最初にフレギオンに肉薄した。この衛士の槍には電気が迸っていて、槍自体に雷属性の魔法が付与されている。さしずめ雷槍ともいうべきか。
バチバチと電気が迸る。やぁぁ、と言うように男は会心の突きを放ったが、それはフレギオンにあたらずに空ぶった。フレギオンは身体を横っ飛びさせて回避したのだ、それでも彼の鎧は焦げ臭い匂いを放った。
「俺の突きをっ」
悔しそうに衛士が叫ぶ。そして槍を引き戻し、再度攻撃しようとしたとき。フレギオンの右手が男の胸元に押し当てられ、男の背筋に悪寒が走ると同時に、ドンという音がなったような衝撃で彼はフレギオンの腕力でもって、後方に吹き飛ばされた。
胸筋の筋肉が断裂し、肋骨がへし折れた衛士はそのまま、後ろに居た衛士達を巻き込んで吹き飛んでいく。男は口から血を吐いて、その場に倒れ込んだ。
ダークエルフの腕力で、それも胸を押されただけで吹き飛ばされるという信じがたい光景に、騒然とする衛士達。何人かの衛士はフレギオンの強さを察知し、大半は驚きの声をあげたが、それもやがて収まり、フレギオンに対して全員が臨戦態勢に入った。それもかなりの意気込みをもって。
「このダークエルフ何かが違う。全員でかかれ! 油断するな! 魔法を使える者は後方へゆけ! 必ず殺すのだ、この悪魔めを!」
隊長の男が力をこめて指示したとき、フレギオンは静かに佇むように衛士達をみていたが、ゆらりと動き出すと、さきほどの動きとは比べものにならない速さで衛士達の中に突撃してきた。
それはまるで、衛士達にとって悪夢そのものだった。彼らがこれまでの人生で出会った危険な思いの、そのどれよりもよっぽど絶望的な状態だった。ダークエルフは素手であり、武器はもっていないにも関わらず、全身が武器のように衛士達を蹂躙していった。
魔法が使える者は後方に移動し、遠距離から魔法を放つ。が、それもこれも全て効果がなく、むしろ宮殿の中が傷ついていくだけだった。
ある衛士はダークエルフの手刀で首を折られて、またある衛士は壁に叩きつけられて、壁に身体をめり込まして背骨を砕かれた。
「これは……あ、悪魔め……。増援を呼ぶんだ、もっと人数を!」
小隊長は後方の魔法部隊に向かって叫ぶ。その表情は険しく、目を見開いており必死さを如実に物語っていた。