人間の国へ
金髪金眼のダークエルフがネリスト族及びファッティエット族と呼ばれる、ダークエルフの部族を蘇らせてから、早くも十日以上がたっていた。
彼、フレギオンは早々に、人間に捕まったネリスト族の女性達を救いに行く腹づもりであったのだが、この予定は当初の計画よりもずいぶんと時間がかかっていた。
遅れた原因にはフレギオンが魔法の確認をしていたという個人的なものもあったが、ネリスト族とファッティエット族の全員の体調が芳しくなかったうえに、両部族のわだかまりも完全にぬぐいきれずにいたこともある。
ただ、この問題自体は、全員が良好な方向に向かっていると考えていたし、両者に敵対意思は既に無かったということから、フレギオンはさほどこの件に関しては不安視はしていなかった。
一番の遅れの原因はオーク族の到着だ。
「ヴァサドールから話を聞き、全力で走ったのですが、これが我らの限界でした……」
と、言ってきたのはオーク族の族長のディサバートだ。彼はオーク族の戦士を三十名ほど集めて此処まで昼夜を問わず走ってきて、今し方ここ【幻惑の黒森】に到着した。
オーク達の装備は鉄で出来た胸当てだけの装備だが、ディサバートだけは全身を覆う白い甲冑を身につけて、その風貌で族長であることを示している。
少し歩くだけでジャララだの、ガランだのと音を立ててその重さを物語らせていて、いかにも重そうだ。
「ここまですまなかった。遠路はるばる助かる」
オーク達を見れば、口をあけて呼吸をしているのが見える。戦士の部族である彼らは口で息をするというのは、敵に弱みを見せることを意味するために極力避けたい行動だ。それをしているということは、ここには敵がいないと判断しているか、あるいはそれほどまでに疲労をしている、ということだ。
それほどの疲労、何かしらの形で労わねばなるまい。
「疲労は心配しないでいい。俺が回復呪文を使う」
言ってから、ディサバートから順番に回復呪文を使っていく。緑の暖かい光がディサバートの身体を照らしはじめ、暫くするとその呼吸は落ち着いていった。
それを初めて見るのか、何人かのオークの戦士が「おお」と感嘆の声をあげるのが見えた。
「ヴァサドールから聞きましたが、これが回復呪文というものですか。なんという神秘的な力だ」
回復呪文というのものを生まれてこのかた、初めて経験したのだろう。ディサバートはそれは珍しいものをみるような眼で、緑の光を見ていた。
「私も回復呪文が使えます。疲れが酷い方から先に行いますので、私の前にきてください」
それを見ていて、自分も何かをしようと思ったのだろう。銀髪の長い髪と褐色の肌が印象的なダークエルフの女性が右手をあげてオーク達を呼ぶ。
ネリスト族一の癒やし手である彼女の名はウェルリーナ。フレギオンがこの世界に召喚されたときにその様子を一番近くでみていた人物の一人でもある。
「ヴァサドール、貴方には命を救って頂けました。ささやかなお返しですが、先に」
オーク達の中からヴァサドールを見つけたウェルリーナは、彼を呼び寄せる。それを見て、フレギオンはほぅと、唸った。
よくあの中から、ヴァサドールを見分けられたなと思ったからだ。
オーク達は見た目は全て一緒の猪顔をしているために。もとが人間であるフレギオンには見分けがつかない。装備や声でかろうじて分かるという程度だ。
「我はよい。それよりも仲間を先に。皆、この人数のダークエルフと会うのは初めてゆえ、戸惑っている」
「分かりました。それでは後でまた私のところに」
「そうしよう」
二人がやりとりしているのを眺めつつ、フレギオンはディサバートに現状の説明にはいる。
これまでの出来事を簡潔に、要点だけははっきりと伝え、これからエクスラード国に向かい、ネリスト族の仲間を救いに向かうことを教える。
あらかじめヴァサドールから話を聞いていたらしく、ディサバートはすぐに現状を把握してくれた。
「それでは、我らは彼らを守ればよいのですな」
「そうだ。お前達もファッティエット族にはいろいろ思うところはあるだろう、だがそれも今は変わってきている」
周りのオーク達が回復呪文の素晴らしさに驚き、喜び、興奮している中。二人は可能な限り小さな声でこの会話をしていた。
彼らオーク達がファッティエット族に対して好意的な印象を持っていないのを悟らせないためだ。
「もし人間が攻めてくるようなことがあった場合、ファッティエット族が裏切るということはないと思うが、裏切った場合はネリスト族を守って欲しい」
「しかし、我らの力であのファッティエット族とどこまで……」
「大丈夫だ。そのことに関しては、俺の召喚呪文で呼び出されたモンスター達で守らせている。万が一のことがあればそいつらが戦ってくれる」
「それを聞いて安心しましたぞ」
胸をなで下ろした様子でディサバートは息を吐く。
「それに人間が来ても戦うようには命令している。よほどのことがないかぎりは大丈夫だろう」
「ではとにかくフレギオン様がお戻りになるまで。ということですな」
「そうなるな。しかし、わざわざ遠いところから助かった」
「いえ、この地が人間に落ちれば、次は我らが地。そうと分かっていればこのぐらいなんでもありませぬ」
フレギオン様の命もありますゆえ。と、言葉を続けたディサバートの身体からフレギオンは手を離した。
回復呪文は完全にディサバートから疲労を消し去り、完全な休息を得た状態にまで回復したからだ。
「頼むぞ」
フレギオンは満足そうに、そう言い残してその場から去って行く。
予定よりは時間がかかった出立だが、この間の時間を彼は無駄には一切していない。
まず彼が取りかかったのは、この世界の言語の確認だ。
彼は元は日本という国の人間だった。当然、彼が話す言葉は日本語だ。それゆえに、彼は今も日本語を話していると思っていた。彼は英語がとにかく苦手で外国語などほぼ分からない学生であった。
ならば、この世界でも日本語を話していると思っていた彼だったが、その確認は非常に驚くべき結果に終わった。
つい先日、木の枝で砂の上に日本語を書き、セトゥルシアに読ませたのだが彼女は分からないと言ってきたのだ。しかし、言葉は通じるし、話している言葉が日本語だった。しかし、日本語だと思っていたその言語は違うと彼女に教えられたのだ。
『私達が話しているのは、ヴィランド語と呼ばれるもので、フレギオン様がおっしゃっている、にほ……語? ではありません』
これにはフレギオンも驚いた。それこそ、そのヴィランド語とやらなど全く知らないのだから。しかし、不思議なことでセトゥルシアが言うには、フレギオンはヴィランド語を完璧に話しているというのだ。
これはこの世界でいうところのヴィランド語というのは、日本語の発音であって、字が全く異なるもの。と、いうことで一応は納得することにした。が、これも間違っていて、実際にヴィランド語というのものが存在しており、どういうわけかフレギオンはその言語を話す力があるという事なのかもしれない。
だが、この問題に関してはその後、ウェルリーナが興味深い発言をしていた。
『フレギオン様は、光王様の生き写し様。ですが、大長老様はフレギオン様を真のエルフだと仰っていました。それはつまり、まさしくフレギオン様が光王様なのだと、大長老様は考えていた』
その時のウェルリーナは何か確信に満ちた表情で、彼女自身の推測を言葉にしていた。
『光王様は亡くなられた後、その魂が、日本という国に行き、そこでフレギオンという名に変わって、ご容姿もそっくりで復活されたのではないでしょうか。そして、ヴィランド語と日本語の発音が全く一緒で、字だけが違う。そう考えれば、辻褄がなんとなく合いませんか?』
この考えは斬新な考えであったが、なるほどなかなか面白い。と、フレギオンは唸ったのを覚えている。また彼女は、フレギオンがファッティエット族やネリスト族を蘇生させるのを迅速に行ったフレギオンの考えも、彼女独自の解釈をしていることを伝えてきた。
『フレギオン様が本当に光王様の生まれ変わりだったからこそ、我が父やネリスト族、そしてファッティエット族をすぐに蘇生されたのではないでしょうか。つまり、フレギオン様ご自身には記憶はなくとも、光王様であった頃の、エルフの王の慈悲の心による行動だった。私はこう考えています』
そのお心があったからこそ、ファッティエット族をお許しになられたのでしょう。
そう言って、ウェルリーナは自身の推察力の高さをフレギオンにみせて、用事をすませますのでと言ってその場を去って行った。
この考えにはフレギオンも面白く感じたし、確かに行動の裏付けとも言えるものを感じた。
この他にも口調の練習も彼は密かに行った。もとは光王であったかはさておき、日本人の学生であったのは間違いない彼は、命令や威厳ぶった話し方など得意なはずもなく、この練習を毎晩行って、記憶が無かった時に話していた口調を、可能な限り再現できるように努めた。
如月涼という男は、環境への適応が存外、上手いのかもしれないな、と本人自身が褒めたのは、彼自身の若さの証拠だった。
こうして、彼の中で準備は完全にこの時に整った。
彼の心はエクスラード国と呼ばれる人間の国に完全に向けられていたのだ。
エクスラード国の貴族と繋がっているファッティエット族、族長のギーゼルヘアと、ネリスト族の族長ともいうべき、亡き大長老の孫娘のセトゥルシアを連れ立って、フレギオンは【幻惑の黒森】より出発しようとしていた。
「では、皆。これからエクスラード国に行ってくる。必ず、彼女たちを助けてくる。それまで待っていてくれ」
背中に背負える程度の食料と、数日分の水をもって、フレギオンは出迎えにでてきたネリスト族とオーフィディナ達に微笑むように出発の言葉を告げる。
「どうかご無事で」
「フレギオン様、娘をどうか助けて下さい」
オーフィディナの横に並ぶように立ったのはすこしばかり年配のダークエルフの夫妻だ。それは攫われた娘の両親だ。
「ああ。必ず助ける。少しだけまっていてくれ」
夫妻はフレギオンのその言葉を受けて、安心した様子で一礼をしてその場から後ろに下がった。ただし、ギーゼルヘアには一切の視線を向けはしなかったのは、内心で思うところがやはりあるからであろう。
かわってやってきたのはあの兄弟だ。
「お頭、気をつけて。俺たちのことは心配しないでいい――」
「誰が、テメェらの心配なんかするか! いいか、ぜったいに! フレギオン様の命令通りに行動しろよ! わかったな!?」
怒号再び。
ギーゼルヘアの甲高い声が鳴り響き、それはもはや騒音に近いものがある。
言われた二人も一瞬引き攣った顔を浮かべて、首を縦に振った。
「へい!」
イェレミーアスが左手で握り拳をつくって答えを返した。ツァハリーアスは静かに頷くだけだ。
「二人とも」
今度はフレギオンが二人に声をかける。
「お前達が戦力になる。何かあったときは頼むからな」
「へぇ? お、お……」
まさかフレギオンから何か言われるとは考えていなかったのか、二人ともすぐに反応できず意味の分からない声をあげる。
それにイラついたギーゼルヘアが何かを言おうとして、それをフレギオンが腕をギーゼルヘアの前で出して、止めた。
「一回だ。一回だけお前達を信じる。言葉どおりの行動を期待しているぞ」
驚くほどに低い声が発せられ、それがフレギオンの本当の地声なのだと周囲は気付いた。それと同時に、これはそうとうな気持ちが入った言葉だと周囲は感じ取った。
一回だけというのは文字通り、一回だけなのだ。次はない、ただし今回は信じる。だから、やってみせろという意味だ。
はたして兄弟は、フレギオンの期待どおりの答えを何とか返した。
「人間が来たら俺たち兄弟が真っ先に戦います。ネリスト族には手を出させません」
「あ……。ああ、そうだ、兄貴のいうとおり、俺も戦う。人間なんか怖くねぇ」
眼を大きくして、興奮して語るのはイェレミーアスだ。それと対照的に兄のツァハリーアスは冷静に見えた。多少言葉遣いに癖を感じるが、二人の言葉にフレギオンは満足した。
「頼むぞ」
これで兄弟は後ろにさがり、かわって前に出てきたのはオーフィディナだ。サフランとウェルリーナはその後ろで静かにしていた。
「セトゥルシア。フレギオン様の邪魔になることだけは絶対にしてはいけませんよ?」
「はい、お婆さま。承知しております」
孫娘のセトゥルシアの顔に手を当てて、オーフィディナは彼女の瞳を覗き込むように見つめた。
「人間は貴女をみれば、奴隷にしようとするかもしれません。気をつけて行ってきなさい。そしてあの子達を必ず助け出すのですよ」
「お婆さま、私も少しは戦えます。そう心配しないでください。それに万が一のことがあったとしても」
セトゥルシアはチラりとフレギオンの顔を見る。その動作は親愛と信頼に満ちており、彼がいれば何も恐れることもない。という意思表示とも見て取れる。が、この動作は臣下が王に向ける行動ではなかった。どちらかというと、親愛の感情が強く出ている仕草だ。
勿論、フレギオンは自身を王だのなんだのと偉ぶった事はしてこなかったが、それでもこの両者の関係は、対等な関係ではない。
ただ、エクスラード国の中で、二人は共に行動するという事が確定しており、この十日間でそれなりに親交を深めて、このぐらいの関係になっているということを示唆する証であった。
「オーフィディナ、俺がいる以上はそんなことにはならない。安心してくれ」
彼女からの視線をうけてフレギオンが前にでる。
「分かりました。フレギオン様がそう仰ってくださるのなら、私からはもう言うことがありません。どうかこの子をお願いします」
「もちろんだ」
孫娘を行かせると言い出したのはオーフィディナであり、この二人が親交を結ぶのは彼女自身、喜ばしいことだった。
フレギオンを光王の生まれ変わりだと心から信じる者の数は分からないが、少なくともオーフィディナは、フレギオンが、この地にて第二の光王と呼ばれるようになる御方。という程度には考えていたし、その時に彼の横に孫娘がいる姿を想像しすると、年甲斐もなく心が躍った。
が、これから行う事は危険地帯に飛び込むようなものだということを、この老婆は忘れてはおらず、孫娘につとめを果たすように言う。
「セトゥルシア、フレギオン様がこう仰って下さっていますが、お言葉に甘え続けてはいけませんからね。救いに行くと言うことをくれぐれも忘れてはなりません」
「フレギオン様のご指示に従って行動し、勝手な行動もいたしません。お婆さま、どうかご安心ください」
すずやかな声を出して、彼女は、もはや特技の一つなのではないだろうかと考えさせられてしまうあの、スカートの裾をすこし摘まんでの一礼をした。
その後、ウェルリーナを始め、サフランや、ヴァサドールから道中をお気をつけ下さいと挨拶された。
全員のあいさつが終わって、フレギオンは二人を連れて【幻惑の黒森】から出立する最終準備に取りかかった。フレギオンはまず最初に取りかかったのは、三人の足になる動物の召喚だ。
【エンジェルオブダークネス】における召喚魔法とは戦闘用モンスターの召喚と、移動時間などの短縮及び、視覚的に楽しむのを目的の乗り物用のモンスターの召喚がある。今回、フレギオンが使用したのは後者の乗り物用のモンスターだ。
「馬がでてきた……!」
ギーゼルヘアの驚く声が響く。
「ああ。さすがに徒歩で行くのは無理があるだろうし、かといって、俊敏性をあげて走ってしまうと誰かに見られた場合目立ちすぎる。こういう場合は、馬が一番適しているだろう」
見れば、青鹿毛と呼ばれる毛並みの巨大な――フレギオンをもってしても巨大にみえてしまう――馬が三頭並んでいて、その悠然たる態度は草原を走り回っている馬とは比べものにならないほどだ。これは召喚魔法を使用したフレギオンの力に比例して、力強い馬を呼び寄せたためであろう。
召喚魔法を使うことができるネリスト族の面々も、その巨大な馬を眼のあたりにして、ただじっと黙っているのみだ。
「ちょっとでかいが……」
口ごもりながらも、馬の背に置かれた鞍を見て、フレギオンは馬にまたがった。彼の生涯で、初めて馬に鞍上した瞬間である。
「まぁいいだろう」
馬は召喚魔法で呼び寄せた主と分かっているのか、フレギオンを大人しく受け入れた。
続いてセトゥルシアとギーゼルヘアもそれぞれの馬にまたがった。巨馬達は暴れることなく、ダークエルフ二人を背にのせる。
「大人しい」
黒々したツヤツヤのたてがみを撫でながら、セトゥルシアがうっとりとした声を出す。
「馬が好きなのか?」
「あ、いえ。動物が好きなんです」
フレギオンに問いかけられ、慌てた様子でセトゥルシアは答えた。彼女が慌てる姿を初めて見て、フレギオンは口角があがる。
「国に着くまでずっと君の馬だ。名前でもつけてやればいい」
言った直後、セトゥルシアが笑みを浮かべたのが見える。よほど嬉しいのだろう。冷静で言葉遣いも綺麗な彼女がそうして笑う姿は非常に見栄えも良い。
馬の手綱を引っ張って、見送りに出ている面々に、フレギオンは暫しの別れの言葉と出発の言葉を言った。
「では、行ってくる。必ず戻ってくる、留守を頼むぞ」
このときフレギオンは王の自覚が芽生えたわけではかったが、意識をしてこの言葉を言ってみた。これを聞いたネリスト族の全員が、明るい表情を浮かべているのを見て、恥ずかしがらず言ってみるものだなと、彼は大満足した。
「行こう」
馬の手綱をもう一度引っ張り、フレギオンは二人を連れて【幻惑の黒森】より出発していった。