もう、チョウがないな~
朝目覚めたら、物凄いお腹が痛かった。
物凄い痛くて学校どころではない。
そもそもなんとか歩けるぐらいの痛さだった。
病院で検査した。
盲腸だった。
即日の手術。退院は2日後だった。
入院の準備は母が行ってくれた。
手術後しばらくは痛みが残っていた。
痛み止めを飲んで、さっさと寝る。
翌日、痛みは大分治まっていた。
だが、刺激を与えるとすぐに痛くなる。
具体的に言うと笑ったりするとだ。
だから迂闊にテレビや漫画を楽しむと自分で文字通り痛い目をみる。
そして、一つ問題があった。
脳内で、今朝からずっとある言葉がリピートしている。
盲腸の手術だった。もう、チョウがないなー。
このギャグが、脳内を何度も何度も繰り返すのだ。
確かに盲腸を摘出する手術をして盲腸が無いのだ。
正確には虫垂という器官だが。
普段ならこんなギャグ如き笑う訳がない。
しかし今は「笑ってはいけない」状態。
どんな些細なギャグでもつい笑ってしまう。
笑いのハードルがかなり下がっている。
いかんいかん、耐えねば。
「ふぅ、新聞を読むと気が落ち着くなぁ」
家にあった新聞を母に持って来てもらった。
新聞ならついうっかり笑う事は無い。
大丈夫、きっと大丈夫だ。
「たっくん、大丈夫?」
「あぁ、ねーちゃん。見舞いに来てくれたんだ」
「まーね」
俺の姉。いつもは男勝りな性格で勉強してる時は邪魔ばかりする。
でも今は凄い頼もしく思える。
「果物とかどう?」
「どうなんだろう、医者にはなるべく消化の良い物って言われてるんだけど」
「えー、せっかくリンゴ持ってきたのに」
「いや、リンゴは流石に食べれないだろ……」
「もーちょーがないなー」
不意打ちだった。
俺が必死に忘れようとしてたワードだった。
もう、チョウがないなー。
ぐ、文字通り腹が痛い……!
「ぐっ……くふふ……」
「あれれー? 大丈夫ー?」
「笑わせ……くっ……」
あ、姉のこのドヤ顔。
こいつ、見舞いに来たんじゃねぇ。
俺にモウチョウがないなーのギャグを言う為だけに来やがった。
「ぜー……ぜー……傷口開くわ……」
「ありゃりゃ、そりゃ大変」
「もう、そのリンゴ持ってとっとと帰れよー」
「じゃああたしここで食べよっと」
「嫌がらせか」
ったく、とっとと帰って欲しい。
さてと、新聞の続きでも読むか……。
「あれー、たっくん。包丁知らない?」
「知らねーよ」
「病室にあるかと思って」
「むしろ何故あるって思ったんだ」
姉はそのままゴソゴソと荷物を漁り始めた。
そして、ボソっとこう言った。
「ほう、ちょうがないなー」
くっ、不覚にもちょっとだけ吹き出してしまった。
じーんとお腹が痛む。
姉がドヤって顔をしてこちらを見ている。
てか良くみたら最初からリンゴの隣に専用のナイフ置いてあるじゃねーか!
もしかして、コレを言う為だけにリンゴ持ってきたってのか!
「で、お腹の調子はどう?」
「ねーちゃんのせいで悪くなりそうだよ!」
「なるほど、コウチョウじゃないと。盲腸だけに」
チッ、細かいネタをぶっ込んで来やがる。
「いやね、あたし気づいたのよ。オ行+ウチョウは大体言葉になるって」
「……で?」
「それを誰かに共感して欲しくて」
「帰れ!」
「また来るね、早朝に」
クヒヒと笑う姉。
くそ、まだジンジンする。
確かに、王朝、好調、早朝、盗聴とかあるけどさぁ。
痛みを忘れる為に、寝なおした。
再び目覚めたのは、夕方の事だった。
目を開けると、そこには珍しい顔があった。
「あ、起こしちゃった?」
「……加藤?」
加藤、俺のクラスメイトだ。
図書室で良く見かける子だ。
よく本を読んでいる印象だが、あんまり話した事はないな。
「杉宮君のノートとプリントを渡しに来たの」
「そんなの次学校行った時でいいのに」
「……それに、私がお見舞いに来たかったし……」
少し顔を赤らめる加藤。なんか可愛いな。
俺の事を心配してくれてるのか。
「あ、それじゃあそろそろ帰るね」
「おう、ありがとな」
加藤は鞄を持つと、扉を開けてちょっと頭を下げた。
俺もそれに対して手を振る。
「あの、杉宮君!」
「何だ?」
「あの……その……」
もじもじする加藤。
スカートのはじっこをギュっと掴んでいる。
そんなに掴むとシワになるぞ。
「どうしても、言いたい事があって……」
「お、おう」
「あの……あのね……」
何だ告白か?
「あのね、す……」
「す?」
き?
「杉宮君が盲腸なんて、もうちょうがないなー……なんて」
そう言った加藤さんは、逃げるように走り去って行った。
どうやらそれがどうしてもどうしても言いたかったらしい。
もうしょうがないなー。
俺もその様子に思わず笑っちゃったよ。
まぁ、可愛いから許す。
すっげえ痛かったけど。
現在盲腸で入院している姉にこれを言いたくて仕方ない気持ちを込めて書きました