思い出
人は自分の過去のところどころに点をうち、それによって将来の目標を定め、整理のため、まだ自戒のために、ひとつのまとまったものを抽出しようとする傾向をもっている。幼年時代の思い出から得た神聖で貴重なものなしには、人は生きてゆくこともできない。
(ドストエフスキー・作家の日記から)
あの頃 ~終活にて
西津 紀夫
一章 地獄絵
昭和二八年、文男が五歳のとき、両親は彼を仏教関係の幼稚園にいれた。園長先生は、ナベ蓋のような丸い顔にソラ豆に似た小さな目、丸縁メガネをかけたおっとりした人であった。
いっぽう、園長の奥さんはいつもイライラした痩せ型の人で、五十歳は過ぎていたかと思う。雀の巣に似た髪型が奥さんの表情を、いっそう神経質なものにしていた。
先生でない奥さんは、なぜかしら先生たちのまえにしゃしゃり出ては、子供らになにかと指示し、説教した。文男はそれがイヤでならなかった。先生たちも奥さんの言動には、口を挟まなかった。
ある日の昼寝時間のこと、いつものように黒いカーテンを降ろした暗い講堂に、皆、頭を並べて横になった。
「おとなしく寝るんですよ」
地の底から湧き出てくるような低い声は園長の奥さんで、文男は息を殺しながら寝たふりをした。
「おとなしく寝ない子は、裏山でつかまえたムカデをひっつけますよ」
そう言いながら、頭をならべ寝ている園児の間を行ったり来たりした。声をたてる者はいない。
(本当にムカデを持っているんだろうか) 恐る恐る薄目をあけてみた。
しかし、辺りが暗いため、奥さんの影すら見えず、文男にとっては、牙をむいた獣が闇の中をうろついているようなものであった。安眠のときが恐怖の時間に変えられてしまった。
銀杏の葉が黄色に色づき始めたある日の午後、銘筆で壁に落書きした園児が、奥さんに無理やり手を引っぱられ、物置きに閉じ込められてしまった。泣き叫ぶ声が耳朶に響く。
そのうち自分も同じように、あの真っ暗な物置きに押し込まれるんじゃなかろうか。泣き叫ぶ仲間の悲鳴を耳にしながら、恐怖にじっと耐えた。
その日、奥さんは皆を本堂に集め、
「よーく聞きなさい。悪いことをしたり嘘をついたりすると、こうなるんですよ」
壁にかかった一枚の大きな障壁画のまえに座った。たたみ一畳ほどの額縁は虫が食った小さな穴が無数にあった。
荒れ狂う炎が鬼の舌のようにのび、逃げまどう人々を追っている。悶え苦しみながら針山に登る人々。麓では閻魔大王が足を踏んばり、先が内に曲ったハサミのようなもので人の舌を引っ張り抜こうとしている。骨が浮き出るほど痩せ細った人がムシロの上に横たわり、落ち窪んだ眼窩を天に向けている。
「ここに描かれたものは人間の格好はしていますが、人間ではありません。かつては人間だった。でも、嘘をついたり悪いことをしたばかりに地獄に落ちた亡者なのです。
人は亡くなったら普通は極楽浄土という平和で幸せな国へ行きます。しかし、亡者は亡くなっても仏になれず、こうした地獄でいつまでも苦しみ続けるのです」
「もうじゃってなんだろう」
悪いことをした人ということは理解できたものの、文男には、描かれた人たちが、どうみても悪人には思えなかった。
馬上から亡者を追いかけ、鞭を振るう者の豪華な着物に比べ、彼らの身なりのなんとみすぼらしいことか。絵図に描かれた人たちは近所の豆腐屋のおじさんに似ていたし、幼稚園に来る途中に畑で汗を流している農家のおじいさんにも似ていた。このような人たちが地獄へ行くのなら、いずれ自分も地獄へ行くのではないか。
その夜、静まり返った布団の中で、まわりの空間が怖くなり、何度も目を覚ました。妖怪のようなものが闇の中で蠢いているようで、便所にも行けず、芋虫のように布団にくるまっていた。
あれから七十年、園長の奥さんは、既にこの世の人ではないだろう。
「嘘をついたり、悪いことしたりしてはいけません」
子供らに説教していた奥さんは極楽浄土へ行かれただろうか。
地獄など現世だけで十分である。
二章 松ぼっくり
文男が小学二年、長女の亜子が五歳、次女の君子が一歳。父の帰宅が十時過ぎと、次第に遅くなり、それに多少、酒がはいっていた。しかし、遅くなる理由は他にあった。両親の口論から、それがなにか、おおよそ見当がついた。
母は三人の子供に食事させたのち、幼い妹二人を風呂に入れた。
戸外にある井戸からバケツで水を汲み上げては、炊事場の端に設けた風呂桶に水を張った。井戸と風呂を何度も往復する母は、両手に下げたバケツの重さに、なんとか耐えている風であった。風呂を沸かす材料は材木の切れ端で、火の付きが悪い時には松ぼっくりも使った。
ある日の夕方、母や妹たちと家のそばに広がる松林に松ぼっくりを拾いに行った。丸く大きくはじけたそれが一ヵ所にたくさん落ちているのを見つけたときは、文男も亜子も、まるで宝物を見つけたようにはしゃいだ。
持参した麻袋もほぼ一杯になり、そろそろ自宅に戻ろうとした。そのとき、鬱蒼とした松林の奥から何者かがこちらに近づいてきた。
「おくさん……」
母の顔が一瞬、強ばった。背が低く、熊のように背を丸めた男は不機嫌そうな顔で母を睨みつけた。
「無断で他人の土地に入り、勝手に拾ってもらっては困りますな」
君子を抱いた母は泣き出しそうな顔で、
「す、すみません」何度も頭を下げた。
「泥棒と言われても仕方ないでしょ」しつこく、母を責めた。
男は数キロに広がる松林の所有者である。すっかり恐縮してしまった母は、松ぼっくりが入った麻袋を地面に置き、
「今後、気をつけますから」さらに、頭を下げた。
君子が周りの雰囲気を感じ取ったのか、泣きだした。
「きょうのところは許してやるから、今後、気ぃつけな」
男は唾を吐き捨てると、林の奧に去っていった。
文男たちは手にした松ぼっくりを辺りに捨てると、母の後を追った。
「ケチなおいちゃんね。松ぼっくり、たくさん落ちてるとにね。松ぼっくり取ると、木が枯れるとやろか(枯れるのだろうか)?」
長女の亜子が尋ねた。が、母は答えない。
「ねっ、おかあちゃん。木が枯れると?」再度、尋ねた。
「枯れたりしないけど、黙って人さまのものを拾ったかあさんが悪かったんよ」
「……。そうそう」母は急に思いだしたように、
「きょうはお父さんの給料日だし、お肉料理にしましょう」
「うん」
いままで沈んでいた空気が春の光のように弾けた。
子供らを入浴させることは想像以上に大変で、湯加減を調整しながら、母は妹二人を入浴させ、そのあと次女に寝巻きを着せながら、長女の体を丁寧に拭いた。
ある日の夜、母は、遅く帰宅した父と口論になった。十時を過ぎていたかと思う。
そのうち、感情的になった母が、味噌汁の入った椀を父の下半身に投げつけた。いままで寝入っていた文男は突然の音に目を覚まし、襖の間から恐るおそる隣の様子を窺った。
父が母を殴った。父が暴力をふるったのは初めてである。
「あなたが悪いんでしょ。悪いことをしておいて、人を殴るなんて、最低よ……」涙声で言った。
父は黙ったまま、仁王のようにつっ立ったままで、味噌汁を吸った背広は白く豆腐穀で覆われていた。その夜の出来事は、文男の脳裏にフィルムのように焼き付いてしまった。
そのころからだった。父に幻滅した母は、長男の文男に期待を向けるようになった。付ききりで、勉強を教えようとした。
しかし、[古]という漢字を数日経っても覚えることができない。文男が通っている古賀小学校の[古]という文字を指差し、
「あんたが通っている古賀小学校の[古]でしょ。……。どうして覚えられないの」
ヒステリックに放った。
ときには机をたたいて叱った。文男はそばに控える母から逃げだしたい一心で、勉強どころではなかった。
ところが、学習時以外は優しい母で、川の字になって寝ている子供らに、毎夜、子守歌を歌って聞かせた。
母は実の母親の顔をほとんど覚えていないという。
昭和元年。母の両親は三十六、七歳で、ふたつになった文男の母親を連れ、家族三人でかつての満州国に渡った。当時、満州には肥沃で広大な土地があるといわれた。お国のために食料を増やすことが一つの目的だったようで、隣組長他、隣組の役員が幾度も自宅を訪れ、しきりに大陸行きを勧めた。組長たちも上層部からの指示で、ほとんど現実を知らされてなかったようだ。
小学校の教員をしていた祖父母とも気が進まなかったそうだが、
「バンザーイ、バンザーイ」
近所の人たちに小旗を振って送られ、重い足で現地の学校に赴いたそうだ。
しかし、肥沃といわれた開拓地はやせ、しかも開拓する土地以外に与えられた農地の多くは軍の指導部の命令で現地農家から奪ったものだったから、当然、現地農家とのあいだも上手くいくはずもなかった。
さらに日ごとに、まわりの環境もキナ臭くなっていった。そのため、身の危険を感じた両親は昭和七年、九歳の母を日本の叔父に預けることに決めた。
釜山港での両親との別れ。
下関と釜山を結ぶ関釜フェリーで下関に着いた母は数か月後、叔父の家で母親の死を知らされた。大陸に渡ってからの体調不良が急激に悪化し、救急搬送された満州首都・新京(吉林省長春市)の陸軍病院で亡くなったという。母親の病死は父からの手紙で知らされた。
さらに六年後の昭和十三年、父親は日中戦争で砲火に巻き込まれ亡くなったという。
「あっという間に亡くなったから、苦しまなかったし、むしろ当時としては良かったのかもしれない」母はそれ以上、戦時中のことについて、話したがらなかった。思いだすのが辛かったのだろう。
蛇足になるが、亜子と喜子について少々触れたい。
勉強について親から一切、干渉されなかった妹二人は、彼女らが中学生のとき、担任の先生方から、
「どうしたら、このような子に育つのでしょうか?」
おおよそ、そうしたことを、母は尋ねられたそうだ。二人は、ともに医学の道に進み、七十歳を超えたいまも、子供医療に追われる毎日を送っている。
三章 不安
昭和三二年。文男が三年生。自宅から学校まで片道八キロ以上の通学は大変であった。入学時から二年間、よく通ったものだ。ただそれは皆も同じで、文男にとってもごくあたりまえのことだった。
通学路が遠い理由に、学校裏の小高い丘に設けられた運動場。その東側に真昼でも薄暗い森が広がっていたため、迂回せざるを得なかったからである。もちろん、山林を通り抜けることは学校で固く禁じられていた。
若葉や木々が芽吹き始めたある日の午後。いつも連れだって下校していた小川進一と相川健二と三人で、この山道を通り抜けたことがあった。
風の動きさえない森の空気は淀んだように静まり返り、いまにも木々の間から、なにかが襲いかかってくるような不気味さが辺り全体に広がっている。
「戻ろうか?」進一が不安気にいった。
しかし、入り口まで戻るにしても背後も同じである。
「このまま前に進もう」
「行くも戻るもおんなじ(同じ)や」
三人は見えない影から逃げるようにして、転んだり立ち上がったりしながら凹凸の山道を走り抜け、やっとのことで森を抜け、小川のそばの土手に出た。
土手に寝転がると、
「フーっ、怖かったなあ」三人は、同時に深く息を吐いた。
目のまえには細い道路が走り、その向こうには一面、レンゲ畑が広っている。
「健ちゃん、声が震えてたよ」進一がふざけた。
「進ちゃんこそ、震えていたやんか」健二が笑顔で応えた。
目の前の道を、時折り、砂埃を舞い挙げながら馬車や自転車が通り過ぎていく。
「そろそろ、帰ろうか」
進一が遠く影を落としていく山々を見つめながら言った。
しばらくすると、家路を急ぐ三人の背後から馬車が近づいてきた。
「乗せてもらおう」
三人は、馬の手綱を引く大人の目を盗んで、馬車の荷台に飛び乗った。おじさんも彼らに気づいていたのだろうが、気付かぬふりをしたのだろう。
小さな橋にさしかかった。
春の日に映えた水面がビー玉を散りばめたように輝いている。
それから三カ月ほど経ったころだった。文男は急に仲良しの進一や健二を避けるようになり、一人で下校するようになった。
校内の便所に行くのが恐い。便器にまたがると、天井や戸の隙間からだれかが覗いているような恐怖感に襲われた。はじめての恐怖は文男の心をかき乱した。便所を意識するだけで、いままでなんともなかった下腹部が痛みだした。
「頭が痛いので、保険室へ行きたいんですけど……」
担任の先生に断って授業を抜け出し、校庭の隅の林の中で用を足した。水のような下痢であった。
そうしたことも一、二度ならまだしも、何度も重なるうち、先生もクラスの生徒も彼の頭痛を怪しむようになった。
どうか、下腹が痛みませんように……。しかし、祈りにも似た想いとは裏腹に、腹痛に襲われる回数は日ごとに増していった。クラスの中で爆笑がおこると、それが自分のことを笑っているような気がして、全身に緊張が走った。
恥ずかしさから、誰にも相談できずにいた。仮に、だれかに相談し、妄想であるなどと説得されても、頑なに信じ込んでしまった幼い文男に、理解できるはずもなかった。
夏休みも近いある日のこと。帰宅途中、急に腹痛をおこし、用を足すため適当な場所を探した。前日はなんとか民家奧の林の中で用を足した。しかし、この日はあいにく、辺りは民家も多く、人通りもあって、そのまま歩き続けた。
手にも額にも脂汗がにじみ、歩くのもやっとの状態で、必死に耐えた。しかし、我慢にも限界があった。
下痢は突然、堰を切ったように吹き出し、その多くは半ズボンを伝って道端に流れ落ちた。しかし、なにごともなかったかように、そのまま歩き続けた。
自宅に着くころには、下着に付着した汚物も、なんとか体裁がつく程度に乾いていて、。帰宅するなり便所に駆け込んだ。
こわばった表情で落ち着かない文男に気づいた母が、
「どうしたん?」心配し、尋ねた。
なにも答えられずに、そのまま俯いてしまった。
その日以来、汚物で下着を汚すことが多くなった。母もたまりかねたのか、ある日、帰宅した文男の下着を脱がせると、
「三年生にもなって!」便で汚れた下半身に、バケツの水を浴びせた。
帰宅途中のことは、クラスの生徒にもすぐに伝わった。
下校しようと校舎を出て、正門横の林まで来たときである。三郎たち数人に呼び止められた。
「西山、おまえ、ウンコしかぶったげなね」
ふだん口もきいたことのない一学年上の三郎が走り寄ってきた。分厚い唇のまわりには、意地悪げな笑みが漂っている。一瞬、
「しまった」と思った。
他の者に知られても、三郎だけには知られたくなかった。大柄で喧嘩も強い彼は、弱い者いじめが三度の飯より楽しいらしく、同学年の生徒なら、知らない者はなく、いつも子分を四、五人従えていた。噂千里を走るというが、三郎にかかっては子分をして、一日千里はおろか、三千も四千も走った。
文男は三郎を無視したように、足早にその場から立ち去ろうとした。
「おまえ、逃げるとや?」
三郎は責めるように言ってから、文男の前に立ちふさがった。
「おまえが道にクソばらまいて歩いとうとば見たモンがおるとばい」
三郎は膝を曲げ、おどけながら彼のまわりを二、三周した。汚物にまみれて歩く文男の真似である。恥ずかしさのあまり、何もいわずに立っているのがやっとであった。
そのとき、こちらの異常さに気付き、心配そうにこちらを見つめている少年がいた。文男と同学年の勝治であった。
「おい、そこでなに見てるんや。見世もんじゃなかぞ。向こうへ行け」
「さっさと行かんかっ」
三郎の激しい言葉に、勝治は慌てて正門の階段を降りていった。
「おまえが道端にクソばらまいたのを、ああして、みんな心配してんだ」
「だいいち道が臭うなって、歩けんしなあ。ねえ、サブちゃん」三郎のそばで文男の表情を下から覗き込むように伺っていた栄作がそう言って、
突然、猿のように中腰になり、尻をうしろに突き出した。便を漏らしたときの真似で、まわりの子分連中も大声で笑った。
文男は栄作を殴ろうと思い、拳を握りしめた。が、握りしめた拳は動かせない。栄作を殴ったら、反対に彼らからなにをされるか分からないからだ。
笑われるまま、その場を離れた。
数日後、授業がひけ、校門を出る文男に、背後から声をかける者がいた。振り返らなくても、それが進一と健二であることはすぐにわかった。教室から追ってきたのか、
「いっしょに帰ろう」
息を弾ませながら言った。
毎日連れだっていた彼らと下校するのは何日ぶりだろう。みずから人を避けてきたが、それでも実際にひとりで帰るとなると、これほど寂しいことはなく、それだけに、二人に声をかけてもらったときは内心、嬉しかった。
「どうしたん?。このごろ、元気ないよ」進一が心配げに尋ねた。
しかし、本当のこともいえず、文男はうつむき加減の顔を進一に向け、無理やり笑みをつくった。
夏休みに入り、文男は本当のことを母に打ち明けた。
「そうだったの」
しばらく沈黙したまま申し訳なさそうに息子の顔を見つめていた母。
「かあさんが悪かったね」
「水をかけたりして、ホ、ン、ト、ごめんなさいね」
事情を知った母は、 しきりに謝った。
それからしばらくして、なにか思いついたように、
「ウンチってだれでもするでしょ。反対にウンチしなかったら大変だよ」
そう言って母は、紙にウンチの漫画を描いた。ウンチの真ん中で大きな目が文男に笑いかけている。
「そう、そう…、文ちゃん」
「ウンチくんとお友達になりなさい」そう言って、
「かあさんもウンチくんとお友達になるから」
文男の背をなんども撫でた。
いまから何年かまえに、[ウンチくん]という漫画が流行ったが、当時の親子に現在の[ウンチくん]など知る由もない。
夏休みに入って最初の登校日。学校を出て三、四十分。森を迂回し、小さな橋を渡り、療養所の近くまで来た。広大な敷地をもつ国立の療養所は松林に覆われ、その奧に木造の建物がいくつか見えた。
橋の手前の明るい風景とは異なり、人影もなく、静けさの底でトロトロ眠っているようであった。中に入らないよう学校からは注意されていた。しかし、大人の注意とは反対に、
(どうして、入っちゃいけないんだろう?)
文男にとって、療養所は、まわりの社会と切り離された特殊な場所で、建物や中に入る人たちに対する恐怖心とは裏腹に、同時に好奇心だけが日々、膨らんでいった。
文男と進一は網で囲まれた塀をくぐって、療養所内に入った。
松が群生する広大な地はコンクリートで舗装された細い道以外は、いちめん芝生で覆われ、細長い木造の平屋建てが一定の距離を保ちながら立ち並んでいた。
人影はなく、不気味で、その不気味さが、さらに好奇心をそそった。だが、透明ガラスの向こうは沈黙の中に廊下が伸びているだけで、中の様子を窺い知ることはできない。
二人はつま先を立て、幾度もガラス越しに中を覗きこんだ。だが、淀んだ静寂だけが応えるだけで、二人は病棟の合間をぬって、さらに奧に入った。
渡り廊下から中の様子を窺った。
「気持ち悪いね」
廊下の向こうに何があるのだろう。そのとき、廊下の奥に白い影が動いた。
「おいっ!」
「しまった、見つかった」
「きみたち、そこで何してるんだっ!」
二人は渡り廊下を飛び出て、近くの木陰に隠れた。
「近づいてくるよ」
「逃げるぞ」
二人は一目散に逃げだした。
「中に入っちゃダメじゃないか」
強い叱責を背に受けながら、必死になって松林をぬけ、ようやく塀の外に出ることができた。
「なんだか、悪いことしたね」二人は強ばった顔を見合わせた。
空を見上げると、雲の一部が赤く染まり始めていた。帰路を急いだ。
馬車や自転車に混じって、三輪車が砂埃をあげながら、二人を追い越していく。
広大な療養所を囲むように伸びた道を北へ数百メートルほど歩くと、右手に病院関係者が住む平屋建ての官舎が見えてくる。
「何があったか知らんけど、最近、元気ないよ。元気だせ」
別れ際、進一はそういって、文男の肩を叩き、手を振りながら官舎に消えていった。
進一と彼の父親について話し合ったことはないが、彼の住む官舎は中でも比較的大きく、何度かお邪魔したことがある。本棚や家具はかつて目にしたこともないものばかりで、本棚には横文字で書かれた分厚い本が所狭しと並び、子供の背丈より高いボックス形の蓄音器やレコードなども目を引いた。
一度、手作りのパンケーキのようなものをいただいたことがある。熱く膨らんだ菓子を口にしながら、(世の中にこんなに美味しいものがあったんだ)
口いっぱいに広がったそのときの味はいまも忘れられない。
父親が療養所で働く進一は案外、療養所内の現状を知っていて、この日、文男の我儘に黙って付き合ってくれたのかもしれない。
その年の暮れ、父の浮気はなかなか止みそうになかった。
相手は生園良子という四十過ぎの未亡人で、ほっそりしたうりざね顔の人であった。しかし、切れ長の目、少々まえに突き出た歯、お世辞にも美人とはいえなかった。よりによ
って、どうしてこんな女性と付き合っているのか、子供ながらに不思議でならなかった。
クリスマスイブだったと思う。父と生園は文男と妹の亜子、それに生園の娘ふたりを連れ、動物園へ行った。生園は文男には殊更、優しかった。キャラメルやチョコレートなど、惜しげなく買い与え、
「ほらっ、赤ちゃん猿があくびした」などと言っては、突きでた歯が気になるのか、右手で口を押さえながら笑った。
別れ際には文男たちを見送り、駅の売店で買った菓子を与えた。菓子を手渡す生園のつくり笑いにも似た笑顔は、
「きょうのこと、おかあさんには内緒よ」そう語りかけているようであった。
なぜその日、父に付いて動物園へ行ったのか、子供なりに罪の意識はあったようだが、六十数年以上も前のことで覚えていない。
ただ、その日に父が撮った写真が何かの拍子に文男のアルバムから見つかった。
セピア色に変色した写真には生園と二人の娘、それに文男たちが写っていて、なぜか、生園の顔の部分だけが、なにかで削り取ってあった。
父親の浮気だけが表に出たようだが、父は争いを好まず、寡黙な人であった。通信士と技術士一級の免許を持っていたため、戦時中は商船に乗った。
これは成人になって叔父から聞いた話しだが、航行中に船のスクリューに大量の藻が巻きつき航行不能になった。皆が尻ごみする鮫が多い海域で海中に潜り、数時間かけ藻を取り除いたという。鮫は自分より大きなモノは襲わないらしく、数人の褌を結びつけて体に巻き付け、潜ったそうな。
また、戦時中、敵の魚雷が舷側に当たった際は、機密書類等を沈めるため、船長と最後まで船に残ったという。他にも昭和九年九月に室戸岬に上陸し、近畿地方に甚大な被害をもたらした室戸台風時には人命救助に奔走。父がまだ十四、五歳のころである。叔父や叔母から窺った話しは他にも数多くあるが割愛したい。
文男が七十を過ぎ、部屋の掃除中に数年前に書いた「父について」という随筆が見つかったので、付け加えておきたい。
いま私に家族があり、社会の一員としておれるのは、ひとえに父と数学の担任のおかげだ。高校生のとき、どうしてもピアノで[月光の曲の一楽章]を弾きたく、夜間、学校の音楽室に侵入。あの楽章全体を貫く三連符の和音の響き。電気が消えた古い音楽室の窓からは、煌々と輝く大きく膨らんだ満月が見えた。しかし、ピアノの音で当然、夜警に見つかってしまった。
また、このころ、成績上位三十人ほどが選ばれたクラスにいた私は遊びのようなカンニングで一週間の自宅謹慎処分を受けた。
さらにその夜、下宿していた悪友と彼の下宿先で数人で酒を飲み、下宿先の見まわりに来た教員に見つかり、とうとう、退学処分の話しが職員会議で検討されるに至った。
すぐに学校に謝りに行った父親。
「私のクラスから退学者は出しません」数学の担任の返事だ。
「私は未来ある生徒さんたちを預かっています。いまは反抗期ということもご考慮願いたい」職員会議で担任は訴えた。
そういえば数学だけは他教科に比べ群を抜いていた。これは点数中心の傾いたやり方に反発していたころの話しで、高校を卒業してからも、父親にはなにかと心配や苦労をかけた。でも、争いを好まない父は、こんな迷える愚かな私を、言葉少なに寄り添い見守ってくれた。
ごめんなさい、おとうさん。ありがとう、おとうさん。
(令和四年八月十日 父の命日によせて)
四章 龍ちゃん
町内に、文男より一歳年上で金田龍次という少年がいた。中肉中背で、顎骨のはった四角い顔には小さな目が申しわけ程度についていた。無口であったが、ナイフひとつで水鉄砲や竹トンボ、凧や竹馬など難なく作っていく手先の器用な少年であった。
彼にはふたりの妹がいたが、家庭が貧しく、下の妹は生まれてまもなく、親類の家に養女としてもらわれていった。そのため、両親と妹の四人家族であった。
父親は戦時中、右手を弾丸で吹き飛ばされ、先が釣り針状になった義手をつけていた。こまめに働く無口な人だったが、定まった職がなく、普段は日雇い仕事や新聞配達、夏季には自転車の荷台に木箱を乗せ、アイスキャンデーを売りまわっていた。
「チリン、チリン……」
呼び鈴がなると、文男は昼寝から覚め、母からもらった五円玉を握って外へ飛び出した。
「わたしもっ」妹の亜子も負けじと、兄のあとを追った。
いっぽう、龍治の母親は小柄な人だったが、男たち人夫にまじって働いた。
春さきから夏にかけ龍次と文男は、しばしば小川へ魚とりに行った。療養所のそばを南から北へ流れる幅五、六メートルの川は、両側から柳や笹の小技が蒲鉾状に張りだし、
暑い日は、それが日よけにもなった。
ショウケを手にし、できるだけ水音をたてないように、下流から上流へ移動する。十センチほどの鉛色の魚が十数匹、物音に驚いたように素早く川の中央に踊り出たかと思うと、反対側のモノ蔭へ逃げこむ。
「あのへんから追ってくれ」
中腰になった龍次が、十メートルほど上流を指差した。文男は薮をかきわけ、一旦、土手にあがった。魚に警戒されないためである。
龍次が指差した場所から、左右に行ったり来たりしながら、川下に魚を追い込む。
すばやく龍次が動いた。
「大きいぞー」
文男は胸をときめかせながら龍次のいる場所に戻った。
ショウケの中をのぞくと、中には三十センチほどの黒く大きな魚が、龍次の押えた左手の中で、力いっぱい身をくねらせている。
「大きなフナやなあー」
「いや、フナじゃなか。口の横にヒゲがあるやろ」
「んなら、コイか?」文男が尋ねた。
「大きかなあ。死なんごと(死なないよう)早く帰ろ」
コイは窮屈そうに、持ってきたバケツの中で体を丸めている。ふたりは、あぜ道から道路に出、小走りに龍次の家へ急いだ。
龍次の家に着くと、玄関先で、何度もバケツの中を覗き込んでから、台所の外に設けられた井戸の中へ投げ入れた。大きくはねる音がした。
台所は小さな格子窓から差しこむ日の光だけでは、足もとさえはっきりしない。龍次は背のびして裸電球をつけた。斜めに差す電球の光が、湿気を含んだ土間に無数の陰影をつくった。
そのあと龍次は、踏み台を水屋のすぐ背後にある棚のまえに運び、棚の奧から茶色の壷を取り出した。中には黒砂糖が入っていて、中から卵大の黒砂糖をつまみ出すと、歯で半分に割ってから、
「食わんか」文男に差しだした。
「おれ、腹いっぱいやけん、いいよ」
とっさにそう応えたものの、黒砂糖などほとんど口にしたことがない。龍次はいやな顔をしたが、彼の好意を断るにはそれなりの理由があった。
つまみ食いする際、彼は辺りを気にしていた。
「泥棒猫みたいなことしてからに。今度したら承知せんからな、わかったか」
かつて文男の目のまえで、母親が彼を叱りとばしたことがある。
「おれも、おやつが欲しいー」
「なに寝ごと言うとっとね。これは料理に使うとたい」
「みんなおやつ食っているのに、なんでぼくだけ……?」
「よそはよそ、うちはうちたい」
悔し気な彼の表情だけが残った。
夏休みも終りに近づいたころ、龍次の父親に急に日雇いの仕事が入った。代わりに龍次が夕刊の配達を始めた。配達区域は彼の家から十数キロ離れ、しかも広域にわたった。
龍次は自転車の荷台に新聞を山積みすると、ペダルをこいだ。文男も子供用の自転車に乗って、あとを追った。
国道三号線を西へ三キロほど走ると、古賀町の商店街が見えてくる。道の両側には八百屋や魚屋、雑貨店など様々な物が店先の道路わきまで置かれ、普段から買い物客や通行人で賑わっていた。
商店街の近くまで来た。そのときだった。
横殴りの風が突然、彼らを襲った。突風は容赦なく新聞紙を宙に巻きあげ、紙吹雪のように四方に飛び散った。
普段は冷静な龍次だったが、ただ呆然と立ちすくんだままである。
「たっちゃん」文男は龍次の背中を軽く撫でた。
「あ、ああ……」泣きだしそうな顔で、言葉もでない。
「とにかく拾おう」
二人は近くに散らばった新聞を足元から拾っていった。通りがかった人たちも数人、手伝ってくれ、なんとか回収した。それでも残りの十部あまりは溝に落ちたり、紛失してしまった。
「あー、どうしょうか」龍次は絶望に近い声をあげた。
しかし、嘆いていても仕方ない。ひとまずかき集めた八十部あまりを配ることにした。
手伝ってくれた人に頭を下げると、ふたたび自転車にまたがり、国道三号線を左に折れた。
南へ二キロほど走ると、古い民家が凸凹道の両側にポツリポツリ建っている。人影もなく、緑に隠れて見えないが、時折り、牛や豚の鳴き声が聞こえてくる。
龍次は各家を一軒、一軒確かめながら、二時間余りかけ配達したが、余分に積んだ数部を含めても、不足分はどうしようもなく、
「とうちゃん、怒るやろうな。……。
でも、風のせいやから仕方ないっか」そう呟いた。
日中の暑さが嘘のようである。赤トンボが目のまえを水平飛行した。
「もうすぐ夏休みも終わりや」龍次は西に傾いていく夕日を眺めている。
そのとき文男は、忘れていた夏休みの宿題を思い出し、ため息をついた。
龍次もため息をついた。口にこそしなかったが、おそらく未配達の分の責任感が彼に重くのしかかっているのだろう。
逝く夏を惜しむかのようなつくつく法師の鳴き声もいまは止み、遠くにかすむ立花山が西空にぼんやりと黒い影を広げていた。
二人は龍次の家の近くの公民館の前で別れ、文男は薄暗くなりつつある道を家へ急いだ。
玄関から音を立てずに、そーっと家に入ると、
「こんなに遅うまで何してたと?」
文男の帰宅を心配していたのか。母が台所から出てきた。
「う、うん」
返事だけして、すぐに母から視線を反らした。母もそれ以上は聞かなかった。
食卓につくと、急いで食事を済ませ、宿題を抱え、机に向かった。
その年のクリスマス、夕方ごろから珍しく舞いだした雪はひと晩で十センチほど積った。珍しい白銀の世界に、文男は雪ダルマを作るため、さっそく龍次の家に向かった。
龍治もちょうど、雪ダルマを作ろうと思っていた様子で、マフラーに手袋姿で、すぐに家から出てきた。
ふたりで雪を丸め、転がしていると、
「ふみンとこ、サンタさん、来た?」龍次が尋ねた。
「……。う、うん、来たよ」
「何もろうたと(貰ったの)?」
「ネジで動く電車」
手動でネジをまわし、レール上を八の字に回るブリキの電車である。
「おれにも見せてくれん?」
「いいよ」
龍次は一瞬、悲しげに俯いて、
「おれんちには来んかった。いままで一度も来たことなか」
「ぼくん家と龍ちゃんとこ、あまり離れとらんとに、どうしてやろなあ?」
彼の家にサンタが来ないことが不思議でならなかったし、龍次に対しすまない気持ちにもなった。
「とうちゃんもかあちゃんも忙しゅうて煙突の掃除してない。煙突にススがたまっとるけん、サンタさん、入れなかったかん知れんな」そう言って龍次は俯き加減に笑った。
九時を告げるサイレンがなった。
そのとき、朝刊を配り終えた龍治の父親が戻ってきた。雪のため、いつもより配達に手間取ったのだろう。頭からかぶった雪を玄関先ではらい落とすと、ふたりの方をチラッと見てから、うす暗い家の中に入っていった。
龍次は雪ダルマを作るのをいったん止め、父親を追うように家の中に入っていった。
父親は畳の部屋の真ん中であぐらをかき、火鉢の炭をかき混ぜながら、その炭で煙草に火をつけようとしている。
「とう、とうちゃん」
龍次は父親と一定の距離を保ちながら、恐る恐る尋ねた。
「なんや?」
「ぼくん家だけ、どうしてサンタさん来ないと?」
「サンタっ!。なんば寝ごと言うとんのか」
キセルを火鉢の隅でたたくと、外へ出ていった。
以来、龍次とはクリスマスの話しをしたことがない。
龍次が中学生に進学した年、彼の父が亡くなった。新聞配達の途中、事故にあったそうだ。戦時中に失った右手、荷台に山のように積んだ新聞の束。三号線を走っている姿は、幼い文男の目にも、日頃から危なっかしいものに映っていた。
高校を卒業して五十年以上たったいま、郊外レストランの店長を任されている。酒はたしなむ程度で、三十過ぎで結婚、レストラン近くの宗像に家を建てたそうだ。
先日、年賀状に書いてあった電話番号を見つけ、彼に電話した。あいにく不在で、代わりに母親が電話口にでた。
「おかげさまで、ひと月まえ、孫に恵まれまして……」
嬉しそうに話す卒寿を過ぎた母親の声は、心なし若やいで聞こえた。
息子に頼れる幸せが、受話器を通し伝わってくる。
五章 草野球
昭和三一、二年といえば、福岡にホームグラウンドをおく西鉄ライオンズが二年連続日本一の栄冠に輝いた年である。奇跡の逆転優勝をなしとげたライオンズは、当然地元に住む子供たちの憧れの的であった。
子供らは学校の行き帰りに、だれだれがホームランを打った、ファインプレーをしたなどと、毎日のように野球の話しで盛り上がった。遊びも野球に落ち着いた。
文男が小学三年生の夏休み。朝食のあとグローブを持って家を出た。
広場には、すでに十数人集まっていた。軟球だが、ピッチャーは球を下からすくうように投げるため、ソフトボールと草野球の中間といったところだろう。グローブを持参する子供は半数に足らず、互いに貸し借りしていたが、それでも足らずに、中には素手で守備につく子もいた。
「ショートにだれもおらんけん、おまえ守ってくれ」ふたつ年上の富田がいった。
ショートへ向かって走った。
青く澄み渡った空の下、子供らの掛け声が辺り一面に響く。
敏明がバッターボックスに立った。文男と同学年の三年生のわりに大柄で、運動神経も抜群。よく打ち、よく守った。
敏明は初球をすかさず打った。
バットの真芯に当った打球は守備についたばかりの文男の正面で鋭角にバウンドし、あわてて二、三歩後進した。が、ボールは股間を抜け、はるか後方の道路わきの溝に落ちて止まった。
「ふみっ、うしろに下がったらダメやんか」三塁を守っている富田が注意した。前進してボールを捕るよう注意されるのはこれが二度目。五対五の同点だっただけに、悔しそうである。
七回の裏、六対五でリードされた富田チームの攻撃に入った。ワンアウトから富田がボックスに立った。一球目ボール、二球見逃し。そして、三球目高めのストライクを、三塁側へ引っぱった。痛烈な当たりである。しかし、サードを守っていた敏明が飛びつき、シングルキャッチした。打球も強烈なら、敏明のプレイも見事なものであった。
「よか当たりやったがなあ。さすが、としあき…」
ツーアウトから文男がバッターボックスに立った。
(さっきのエラーの名誉挽回や)そう自分に言い聞かせながら、肩の力をぬき、いつもよりバットを短く持って構えた。
一球目空振り、二球ボール。三球目を力いっぱい振った。
手応えは十分。間違いなくホームランである。
しかし、ボールの落ちる場所が悪すぎた。トタン屋根が大きく音をたてた。
「あっ、しもうた!」文男と同時に、だれかが、
「じいさんが出てくるぞ。逃げろっー」叫んだ。
「おまえら、なんかい言うたら分かるんかーっ」
家から飛び出してきたのは梅田のおじいさんである。
全員、バットやグローブを手に取ると、一目散に松林の中へ逃げこんだ。
「こん(の)まえは窓ガラスを割りやがって!」目を剝き、
「きさまら、いい加減にせんかっ」
息を切らせながら走ってきたおじいさんは林のそばまで追ってきて、子供らには追いつかないと判断したのだろう。立ち止まったまま、子供らを睨めつけている。
おじいさんは梅田虎吉という。[虎になる]というが、この日も朝から酒を飲んでいたのか、千鳥足であった。おまけに手には木刀を持っている。肉をけずり落としたような顔に隈のできた目、濁った瞳は、別世界に住む人という印象で、近所付き合いも、ほとんどなかった。
松林を抜け、公民館のそばまできた。この一帯は、小さな松が群生し、砂地が広がって、夏は夕涼みに絶好の場所である。
「ひやーっ、恐かったなあ」全員、砂の上に腰を落とした。
「もう、あそこで野球できんばい」
富田が額から吹きでる汗をランニングシャツの裾でぬぐった。
「あのへんちゅくりんのじいさん、仕事もせんと酒ばっかし飲んどおけん、バチン(の)代わりにボールが当ったんや。あん(あの)音はホームラン賞の音たい」
敏明の言葉に皆、腹を抱えて笑った。
林を抜ける風が、汗ばんだ肌をなでていく。
秋の気配が濃くなっていく十一月に入り、梅田のじいさんが突然亡くなった。近所の入が町内会費を集めに行き、たまたま、おじいさんの死に気づいたという。
公民館そばの松林を抜ける風も、心持ち肌寒い。
「梅田ンじいさん、死んだげな」敏明が言った。
「なんで亡くなったんか?」富田が敏明の顔を覗き込んだ。
「かあちゃんが、ロウ、老ソウとか言うとったばい」
「そりゃ老衰の間違いやろう」富田が笑った。
「あ、ああ、そうそう」敏明が頭をかいている。
「ロウスイってなーに?」そばから勝治が尋ねた。
「年を取り、体が弱って死ぬことや」
「ふーん」富田の返事に勝治がうなずくと、
「これで、思いきり、野球できるぞう」
秋の弱々しい日差しをはね返すような敏明の弾んだ声に、皆、
「そう、そう。良かった、良かった」嬉しそうに応えた。
翌日、広場はふたたび子供らの声で満ちた。
敏明がバッターボックスに立った。力いっぱいのスイング。彼が打った球は大きく道を越え、じいさんの家のトタン屋根にあたり、激しく音をたてた。
「ヒーッ、じいさんが出て来るーっ」勝治の大声に一瞬、皆、じいさんの家を見つめた。
そして、だれかが、
「勝ちゃーん」松林に逃げ込む勝治の背後に向かって声をあげた。
「じいちゃん、もういないよ」皆、笑った。
しかし、笑い声は風船がしぼむように、すぐに萎えてしまった。
「なんか寂しかなあ」おじいさんの家の方を見やりながら、富田が言った。
顔を赤らめ、木刀を手にした姿は、いまはない。それから二、三か月のち、おじいさんの家は取り壊された。
これは後日、文男が母から聞いた話しだが、梅田虎吉さんは終戦の前の年、十八万の戦死者ともいわれるビルマ戦線で一人息子を亡くしたという。ジャングル内に追いつめられ、食料も尽き、飢えと感染症の中でやせ細り、亡くなられたそうだが、遺骨も帰ることもなく、確かなことは不明だという。それに昭和二十年六月の福岡空襲で、奧さんも燃え盛る炎の中に失ったという。
文男にとっては、大酒呑みで、怒った顔しか記憶にないが、母はおじいさんについて、
「よく飲んでらっしゃったようだけど、息子さんたちのお墓だけは、毎日欠かさず参ってらっしゃったみたいよ」
母の話しを聞きながら、文男は神経質で恐そうなおじいさんの顔に、いつしか弱々しい一縷の涙を配していた。
六章 勝ちゃん
昭和三十三年、文男十歳。まわりの暮らしも少しずつ楽にはなっていたが、それでもテレビや車などほとんどない時代であった。
町内の子供たちのあいだで自転車が流行った。
どの家も、子供用自転車を買う余裕などなく、子供たちは、黒く荷台が大きな大人用をちょい借りし、乗った。上級生にはサドルに跨れる子供もいたが、多くは横乗りといって、ペダルの上の三角形のフレームのあいだに右足を入れ、漕いだ。
文男の家も自転車がなく、母親は苦しい家計の中から子供用自転車を買い与えた。その時の嬉しさはかつて経験したこともないほどで、空が白む頃から自転車に触れた。
ある日の夕刻、サドルにまたがる練習に汗だくになっていると、同級生の敏明が、軽々と自転車にまたがり、
「フミっ、だいぶ乗れるようになったな。無理すんな」
口笛を吹きながら通り過ぎていった。
(くそーっ、敏明の馬鹿たれが)成績が良く運動神経も抜群の敏明。
話しは変るが、そうした彼とは対照的で、山下勝治という勉強も運動も苦手な少年がいた。授業中はほとんど寝ていて担任に叱られっぱなしだったが、なぜかしら、担任たちからは可愛がられていたようだ。
また、かつて文男が三郎たちに囲まれ、便を道に垂れ流したことを冷やかされていたときに、正門近くで、心配げにこちらの様子を窺っていたあの勝治少年である。
小柄で、お日さまに似た丸顔、ドングリのような瞳が、いっそう彼を愛嬌あるものにした。野球が苦手でも皆に交じって野球を楽しむ少年。彼のことを皆、「勝ちゃん」と呼んだ。
「勝ちゃんとこのおっちゃん下手くそやけん、散髪に行かんごと、かあちゃん言うとったばい」敏明が冷やかすと、周りにいた子も、
「そうや、そうや。勝ちゃんとこに行くと、虎刈りにされるもんな」
つられて笑った。
「とうちゃん……、下手じゃなか」
「ウソこくな(言うな)」敏明が応えた。
「慎太郎刈りやったら、だれにも負けんって、とうちゃん言うてた」
勝治が真顔になった。
気弱な彼がそうして挑んでくる態度が、皆をさらに愉快なものにした。
「慎太郎刈りやのうて、虎刈りの間違いやろ」敏明の言葉に、
「そうや、そうや」まわりも、大声をあげて笑った。
「んにゃ。とうちゃんな、腕がいいから、毎日お客さんも多かと」
勝治は鼻水をすすりながら、
「皆が言うごと、下手じゃなか」次第に声が小さくなり、手についた鼻水を袖でぬぐった。
「そう言うばってん、勝っちゃんとこの店、お客さんが入ってるとこ、見たことなかばい」
勝治は黙ったまま、ついに下を向いてしまった。
「皆、行こ。勝治といたらアホになる」敏明が言った。
(勝っちゃん、やっぱりアホかなあ)文男も内心、思った。
夏休みも後半に入った八月の午後、いつもの空き地で野球をやっていると、自分の背丈ほどもある自転車を押しながら、勝治がやってきた。
(あの勝ちゃんが……)
皆が驚いたのも無理はない。ボールがバットを掠めたことすらない勝ちゃんだったからである。
「おまえ自転車に乗れるんか」敏明が尋ねた。
「う、うん」
「ほ、ほんとか。すごかあー」
しばらくして、
「じゃ、見せてくれ。みんな見たいなあ」敏明はそう言って、皆の方を振り返った。
「でも急な坂だし、危ないぞ」先輩の富田が心配して言った。
「富ちゃん、オレ、ほんとに乗れる。だいじょうぶ、だいじょうぶ」
勝治は目線を空に移し、胸をはった。
草野球をやっている広場の横に幅四、五メートルほどの道が国道三号線から二、三キロ北へのび、松林を抜けると、二百メートル程の緩やかな坂道がある。その坂を駆け降りるというのだ。眼下には一面、ナスやキュウリ、トマト畑が広がっている。
勝治は左足をペダルに掛けると、三角フレームの中に右足を入れ、バランスをとった。
左足でさらに地面を蹴って、坂道に差し掛かった。
勢いがついた自転車は、さらに風をきって一直線に伸びていく。
「す、すごかあ」だれかが言った。
「ぶったまげたー」敏明も次第に小さくなっていく勝治を驚いた様子で見つめている。
坂を下りきった彼はやがて、自転車を押し、息を切らせながら戻ってきた。
「勝ちゃん、すごかなあ!」
富田も我がことのように喜び、勝治も得意気に、ふたたび胸をはった。
「よかったら、今度はオレをうしろに乗せてくれん?」敏明がいった。
富太が止めようとした。
「いいよ。オレ、妹を荷台に乗せたことがあるけん」
「うん、分かった」
そう言うと、敏明は坂道の中程に向かって走り出した。
「危ないから止めろ」
富田が制止した。が、そのとき、すでに勝治も右足で地を蹴っていた。
坂道を十メートルほど下り、さらに自転車はスピードを増した。待ち受けていた敏明が荷台に手をかけた。
その瞬間だった。荷台が敏明の体を弾くように左右に揺れ、左手の土手下に自転車もろとも消えてしまった。
すぐに土手から道に這い上がってきた敏明が両手で股間を押さえ、痛そうに道の真ん中で飛び跳ねている。
「だから、言うたろうが」
富太は勝治が消えた畑へ向かって走り出した。皆も富太のあとを追った。
ところが、勝治の姿が見あたらない。そのとき、だれかが、
「なんか、臭せえなー」そう言って、鼻をつまんだ。
同時に、そばにいたひとりが、
「大変だあー」叫んだ。
勝治が肥え溜めの真ん中で声も出せずに両手をばたつかせている。たて横四、五メートルもある肥え溜めは表面が茶褐色に凝固し、彼がもがいている箇所だけが、穴をあけたように丸くなっている。
勝治がばたつく度に、汚水がまわりの黒ずんだ凝固物の上に飛び散る。
「その辺に、長い棒はないか?」
振り返った富田に文男はトマト畑の支柱を指さした。
「あれで良か。早う、取ってこい」
富田は文男から竹棒を受け取ると、
「勝治、しっかりしろ!。早よう、これにつかまれ」
しかし、勝治にその余裕はなく、手足をばたつかせるだけだ。
富田は次に、勝治の首筋あたりに棒を引っ掛けて手繰り寄せようとしたが、し尿を含んだ服が重過ぎるため、うまくいかない。
そのうち、勝治の両手の動きが次第に鈍くなり、やがて力尽きたように浮き沈みはじめた。
「や、やばい」
富太は咄嗟に勝治の坊主頭を二、三回、竹棒で強く叩いた。
瞬間、勝治の両手がふたたび動き始め、富田が差し出した棒を右手で握った。勝治のバタつく力が尽き弱くなったのが、むしろ幸いしたのかもしれない。
「そうそう、離すな!」
「みんな、勝治に声をかけろ」
「かつじ、勝治っ」大合唱が始まった。
ゆっくり手もとに手繰りよせる。富田が勝治の右手をつかんだ。
「敏明、勝治の左手を引っ張れ」富太がいった。
しかし、敏明は汚物にまみれた手に触れたくないのか、尻込みしている。
「トシっ!。はよ(はやく)せんかっ」富太が怒鳴った。
「いいか。いち、にいのー、さんで引っ張るぞ」
富太は勝治の右手、敏明は左手を掴んで手元に引き寄せる。
異臭を放つ汚物が二人の洋服に飛び散って、ようやく、勝治を肥え溜めから助け出すことができた。しかし、汚物でミイラのようになった勝治は、畑の上に横になったまま、ほとんど動かない。
富太は脱いだ上着で勝治の顔や頭を拭いたのち、うつ伏せにし、馬乗りになって背中を押しはじめた。富田が押すたびに、勝治は飲み込んだ汚水を、苦しそうに吐き続ける。
そのとき、土手の上を通りかかった男が子供たちの騒ぎに気づき、走り寄ってきた。
がっしりした体に角刈りの男は山本政春といい、青年団の団長をしていた。ふだんから子供たちに野球を教えたり、皆を海水浴に連れていく面倒見の良いおじさんであった。日ごろから子供たちは、男のことを、「政おいちゃん」と呼んでいた。
政おいちゃんは、まだ汚物の残った顔をみて、頓狂な声をあげた。
「こりゃ、勝治やないけ。どうしたんや?」
子供らは答えることもできず下を向いたままである。
「とにかく、こんままじゃ、車にゃ乗せられん」
「敏明っ、これから駅前のため池に運ぶんで、消防団の重松さんば呼んでこい」
「う、うん」
「うん、じゃなか。はいと言え」
「ああ、それから勝治を病院まで運ぶんで、くるまで来るようにな。
いいか。駅まえのため池ぞ。分かったな」
「それから、ケンっ。おまえは勝治のおやじさんに知らせろ」
敏明に続き、健一も土手の向こうに消え、皆がふたたび勝治に視線を移した。政おいちゃんには、富太が事の次第を話した。
そのとき、
「政さーん、どうしたとなあ?」
道の方を見やると、リヤカーを引いた半白髪の老人が立っていた。
「あっ、トメさん。散髪屋の勝治が肥溜めン中に落っこちたですたい」
「まっ、また、どげんしよって?」
「話はあとで……。勝治ば、駅まえのため池に運びたかとです。よかったら、リヤカーを貨してもらえんでしょうか」
「よかよか、どうぞ使いなっせ」
そのうち、ようやく勝治は意識を取り戻したようで、
「かあちゃーん」大声で泣きだした。
「よかよか、だいじょうぶ」勝治の泣き声に、
「助かったぞ」政おいちゃんは嬉しそうに、まわりに指でオーケーの合図を送った。
おいちゃんは庭職人で、普段から紺の印半天に地下足袋すがた、腰にタオルを下げていた。タオルで勝治の体をぬぐうと、
「すぐ楽になるけんな」
勝治を抱きかかえて土手を這いあがり、リヤカーの上に横向けに寝かせた。
リヤカーを引っ張り、おいちゃんが走る。皆もあとを追う。
坂道を北へ走ると、工場の門前に出る。松林の奥に隠れるように建った工場。それがなにを作る工場か確かめたことはない。その工場の手前を右に折れると、西鉄宮地嶽線の花見駅がみえる。左手は白砂の上に松林が一面広がり、海からの風に、その幹をくねらせながら仁王像のように立っている。
目的のため池は駅前の道を挟んで右手にあった。周囲二、三キロ、深さ五メートルほどのため池は、わずかに水を残していた。
リヤカーから勝治をおろし、池の土手を下った。澄み渡った青空に入道雲が白く立ち上がっている。
勝治を池のほとりに寝かせ、体を洗っていると、消防団の人が数人、消防車でやってきた。中に勝治の両親もいた。
「政さん、えらいお世話になって…」
「いや、子供たちがみんなで、頑張ってですね。なんとか…」
政おいちゃんは、照れたように頭を掻きながら、目線を子供たちに移した。同時に意識をすっかり取り戻したようで、勝治が、
「かあちゃーん」泣きながら母親の胸元へよろけた。
母親は用意してきたタオルを広げ、息子を抱き入れた。
そのとき、敏明の両親が息を切らせながら駆け下りてきた。
「すみません。息子がとんでもないことをしでかして……」
敏明の両親は皆に向かって何度も頭を下げたのち、
「なんちゅうことをしたんや」父親は息子を一喝し、
「話しは消防団の重松さんから聞きました。ほんに申しわけないことをしでかして。なんてお詫びしていいもんやら……」
勝治の両親に強ばった顔を向け、ふたたび、頭を下げた。
「皆さんのおかげで無事、元気になったことだし……。それより、敏ちゃんは元気が良うてよかですよ。子供はそのくらいなくちゃあ」勝治の父は笑いながら、息子に目線を移した。
「ほんに、申し訳ありません」敏明の母親は涙ながらに、頭を下げている。
「この子は、根に持つような子じゃありません。勉強も学校に忘れてこんと(こないと)、ほんに良かとばってですねえ」
小太りで、やさし気な勝治の母親はそう言って、笑った。
「敏ちゃん、だいじょうぶだよ」
勝治が大きな瞳をくるくるさせ、口を開いた。彼の明るい声がまわりの張り詰めた空気をやわらげ、敏明の表情にもようやく笑みが戻った。
「じゃ、そろそろ行きますか」
消防団のひとりが言った。
「お世話、おかけします」消防団の青年に導かれ、勝治の母が助手席に腰を落とした。
勝治と彼の両親を乗せた車は砂埃をあげ、古賀町の病院へと、工場の向こうへ走り去った。
父の転勤で、その後、大分、鹿児島と移り住んだ文男は三十数年ぶりに、思い出の地を訪ねた。西鉄宮地嶽線、車窓の左手に広がる松林。車内ではしゃぐ子供たちは、そのまま三十年以上まえの自分であった。
座席に腰をおろし、まぶたを閉じると、遠く過ぎ去った子供のころの思い出が蘇ってきた。富太や勝治、敏明の顔が回り燈篭のように次々に浮かんでは消えていった。
電車は車輪の軋音を立てながら、目的の花見駅に止まった。松木は昔のままにその身をくねらせている。蝉しぐれがひとつになって聞こえてくる。
電車から吐き出される人混みの中に、顔見知りの人を一抹の期待をもって探した。しかし、見知らぬ顔が秋風のように通り過ぎていく。
駅の正面。かつて勝治の体を洗ったため池は埋め立てられ、駐輪場の向こう一帯は住宅地に変わり、屋板瓦が夏の日差しの中で鏡を並べたように輝いていた。
足は、勝治の家の方へ向いた。車が往来する道で、途中、何人かとすれ違った。数十年の歳月は自分をよそ者に変えてしまったようにも思えた。思い出のつまった風船が急速に萎んでいくようであった。
道を間違えたり、住宅街の袋小路にぶつかったり、通りすがりの人に尋ねながら、やっとのおもいで勝治の家の前まで来た。
思わず足をとめた。
細々とやっていた床屋は、かつて龍次が住んでいた敷地まで拡張され、窓に映った蛍光灯の光が夏の日差しをはね返すように輝いている。便りによると、龍ちゃんは就職の後、結婚して、宗像に家を建てたと話していたので、その土地まで拡張したのだろう。
(それにしても、はたして勝治の父親が営んでいた床屋だろうか?。子供のころ、客が入らない、虎刈りになる、などと子馬鹿にしていた床屋だろうか)
文男は店に入るのを止め、床屋に隣接する駄菓子屋に入ることにした。
幼いころにお世話になった店で、なにもかもが変ったなかで、不思議とその空間だけが昔のままであった。小さな丸い缶に入った練乳が一個、子供たちの手の届かぬ棚の上にいつまでも置かれていたことを思いだした。
生きているうちに一度だけでもいいから、バナナを腹いっぱい食べたい…。
それが唯一の夢だったゆえ、練乳缶がいつまでも思い出として強く記憶に残っているのも無理はない。
駄菓子屋に入ると、店の奥から小柄なおばあさんが、両手と膝で体を引きずるようにして店先に出てきた。一瞬、店の主が変わったと思った。が、よく見ると、子供らに飴やスルメを売ってくれた、まさしくあのおばさんである。
染みや皺が目立つ。海老状に曲がった背中。ただ、わずかに突き出た前歯と細っそりしためがね顔の輸郭が、そのまま昔の面影を残していた。
文男は名を名乗ろうとして、思いとどまった。気恥ずかしさからか、通りすがりの通行人を装い、
「わたくし、幼いころにお店を利用させていただいたものですが、たまたま近くを通りかかったもので……。ところでお隣の床屋さん、ずいぶん大きくなりましたね」
おばあさんは、かなり耳が遠くなっているようで、ふたたび、声を大にして言った。
「あ、ああ、隣の山下さん?」
「え、ええ」
やはり、あの勝ちゃんの店だ。
「山下さんが店を大きゅうしたのは、もう、ずいぶん前のことですよ。お知り合いですか?」
「え、ええ。よく散髪してもらっていたもので、懐かしくなりまして……」
「それは、それは」
「私と同じぐらいの年で、勝治さんって人、いましたね」
「あ、ああ、勝治さんなら、いま中にいらっしゃるんじゃなかでしょうか。お父さんに替わって店の主ですからね」
「頑張ってらっしゃるんですね」
「真面目なお人で、それになかなかの頑張り屋さんで」
おばあさんの話しでは、勝治は古賀町にもひとつ、店を出しているそうだ。
「もう一つの店は、妹さん夫婦に任せてらっしゃるようで」
「それにしても、たいしたものですね。
立ち入った話で申し訳ありませんが、じゃあ、おとうさまは?」
「店もなにもかも勝治さんに任せ、隠居の身ですよ。毎日のゲートボールが楽しみみたいです」
そのとき、
「おばちゃーん、アイス、ちょうだーい」
七、八歳位の男の子と二、三歳の女の子が元気に店に入ってきた。小麦色に日焼けした賢そうな顔。ふたりとも大きな瞳が愛らしい。
「いつものアイスね」
男の子はアイスボックスからアイスを二つ取り出すと、ひとつを女の子に手渡し、代金を支払った後、ふたたび炎天下に消えていった。
「勝治さんのお子さんですよ」
「高齢で授かったお子さんだけに、そりゃ可愛くて、どうしようもないみたいですよ」
幼いころの勝ちゃんとは似ても似つかない顔立ち。ただ、どんぐりのような人懐っこい瞳は父親そのままであった。
文男はいつしか、穏やかで優しいまなざしの勝治の奥さんを想像していた。
(完)
戦後すぐに生まれたボクらは、なにかと戦争の後遺症?とかかわって生きてきたようだ。あまりモノがなかった時代だけにその有難さは大変なものであった。
良し悪しは別として、高度経済成長が環境、人間関係、すべてを変えてしまった。そして、いま、原子力エネルギーが人間に問われている。
(金、金、カネと 神が試すか エネルギー)