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ちょっとした話 乙


 夜の基地は静寂に包まれる。

同居人がいなくなってから、イオは夕食後の時間は決まって暇を持て余し、空を眺めた。

窓から見える星が異なっていくことに時間と季節の流れを感じる。

時間の流れはあまりに早い。



ふと、格納庫の近くを歩く人に気がついた。

揺れるポニーテールにイオはそれがハツキであることが分かった。こんな時間に一体何をしているのだろうかと、彼は部屋を出て彼女の元に向かった。




 拭えないほど強い不安を感じるたび、いつも息が乱れた。体が言うことを効かなくなって嘔吐するのも多かった。ただ久々に訪れたそれにハツキは自然と格納庫へと足を向けていた。

飛行機も空も、嫌なことを思い出すだけのはずなのに。なのに。

彼女はいつもイオが空を飛んでいる機体の近くに寄り、その翼を眺めた。


僕は生きてる。生きてるよ、ハツキ。


いつか彼が言ってくれた言葉。何度も繰り返してくれたそれは、彼女が不安に駆られるたびに

子守唄のように心を鎮めてくれた。

明日の午後、彼は飛ぶ。久しぶりの戦闘。おそらくかつての自分のように多くの新人飛行士が落ちていくであろう戦闘。

お願いだから、お願いだから。


彼を連れて帰ってきて。





「・・・ハツキ?」

格納庫の入口からイオは中を覗いた。

中には機体を眺めるハツキが一人、立っていた。

「眠れないの?」

彼女は「うん。」と小さく答えると、再び機体に視線を戻した。


きっと不安なのだろう。

いつのまにか、気が付けば彼女の一挙一動に神経を使い、常に彼女を気にかけている自分がいることに彼は気づいた。ここにくるのにも、だんだんと歩みは早いものになっていたのだから。

「僕も眠れないんだ。・・少し歩こう。」




 二人並んで夜の芝の上を歩いた。

特に会話はなくとも、二人の間に流れる時間はとても穏やかで心地よいものであった。

ただイオは彼女の横顔を見つめていた。

長いまつげが月明かりに影を落とし、儚げで、とても綺麗で


愛おしいと感じた。


二人きりになりたかったのも、自然と鼓動がはやくなるのも、体が熱くなるのも、たぶんこれが

これが恋なのかもしれない。



彼は昼間、自分が言おうとしていたことを思い出した。

「君を残していけない。」


それは自然と音となって口からこぼれていた。



恋をすると命より大切な何かを得る。

自分のこの感情が恋なのだとしたら、自分の命より大切なものはハツキだ。

自分が死んで、彼女が哀しむなら、大人になれないなら


僕はその為に生きれる。



彼はそう強く思えた。


「本当に?」

触れた手に縋るように、ハツキはイオの手をそっと握りながら聞いた。

弱い声で。泣きそうな声で。

「絶対に死なない?私を、一人にしない・・?大人になった時、イオも一緒に大人に・・なってくれる?私は・・大人に、なれる?」

彼女は何度も聞いた。彼は何度も頷いた。


誰も約束してはくれない約束。


ただ、そのあまりにも弱い約束にすがることで

今の瞬間、二人は生きたいと確かに思えた。


どうか、この時間が終わらないで。


「このままどこか遠いところへいってしまいたい。」







 長官室に軽いノックの音が響いた。

「入りなさい。」

長官の言葉にイオはドアを開けた。


「・・・昨日は、申し訳ありませんでした。」

昨日の夜二人が宿舎へと帰ってきたのは、規則外の時間であった。

今日の戦闘の後、二人は揃って指導を受けた。とはいってもそれは長官に名前、規則事項の確認等を報告するという形だけのものであったのだが、イオはその後再び長官室に呼び出されていた。

「すまないね。少し、君の話を聞きたかったんだ。」

「・・・なんでしょうか。」

彼はじっと長官の瞳を見つめた。感情の読み取れない、眼鏡の奥の瞳はゆっくりと窓の外からイオに移された。

「私は君によく似た人を知っていた。・・君は優秀な飛行士だ。飛び続けて飛び続けてその先に何があると思う?」

長官は彼の答えをじっと待った。

飛行機のエンジン音と大きな置時計の振り子の音が静寂の部屋に響く。

「兵役が終わり、大人になるのだと思います。」



しばしの間のあと、深く椅子に腰掛け直した長官は続けた。

「では、大人になっていったいどうしようというのかい?教えて欲しい。今の、子どもの君の気持ちを。」



この人は、もう忘れてしまったのだろうか。未来を生きるということを。

この人はいつからこの子どもの姿のままなのだろうか。



「・・分かりません。ただ、生きたいと思えば僕たちは成長して大人になっていくのだろうと思います。僕は生きたいと思っています。死なせたくない人がいます。・・その為に僕は大人になります。」


ゆっくりと一言一言を確認するように語った。自分でも収集のつかない心の奥を引きずり出されるような感覚に、冷たい汗が頬をつたうのを彼は感じた。


そうか、と長官は立ち上がって一度窓から空を仰いだ。再びイオに視線を戻すと彼に告げた。


「私は君によく似た人を知っていた、と言ったろう。教えてあげるよ。

君はここで死ねる。君は大人になれない。」




ある晴れた日の午後の話である。

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