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15. 妨げとなるもの

 次は中棟の端にある炊事場だった。


 古いお屋敷なので炊事場には釜が所狭しとあるのではと思っていた。釜はあるにはあったが、今は滅多に使われていないようで、代わりに業務用の炊飯器等があり、設備としては整っていた。だが昔ながらの炊事場ではあり、土間づくりで、皆靴を履いて働いている。窓は新しくしてあるようで、いくつもの大きなガラスが開かれ、水蒸気が抜けていく。朝食を作ったばかりだと思うが食べ物の匂いはもうなく、代わりに洗剤の匂いがする。食事の後片付けの最中なのだろう。


「今日は特別な用事もないですし、炊事場は問題ないですか」


 楓が現れると、皆一斉に立ち上がり、礼をした。それから、若い女性が口を開いた。


「楓様。これから米が届くのですが、米屋が腰を悪くしたらしく、炊事場まで運んでくれないそうなのです」

「諒子、わかりました。では、容さん、お米を運ぶのを手伝っていただけますか」

「手伝うというか、全部やりますよ。私は力持ちなのが自慢なんです。やらせてください!」


 学生時代、女の友人がおらず男友達とふざけて喧嘩ばかりしていたら、自然と力がついてしまったのだ。大抵の男なら腕相撲で勝てる。しかし、なぜか筋肉隆々ではない浚地には勝てず、悔しい思いをしたものだ。大学生時代は弓道をしていたので、高校生の時と力はあまり変わっていないと思う。


「まあ、ありがとうございます。では諒子と一緒に運んでくださると嬉しいですわ」


 楓には容の力持ちを信じてもらえなかったようだ。この容赦のなさが楓の本質かもしれない。流石筆頭なだけはある。


「諒子、お米はいつ届くのですか」

「もう間もなくです」

「では、容さん、私は別の場所へ行きますので、申し訳ございませんが、この場をお任せしてもよろしいでしょうか」


 申し訳なさそうに楓が頭を下げる。容はあえて指摘せず、普通に返した。


「はい。いってらっしゃい」

「ふふ、いってきます」


 楓が去ると、手を止めていた女衆が一斉に手を動かし始めた。今は食器洗いが忙しそうに見える。銀色のステンレスの洗い場には蛇口がいくつもあり、3人の女衆が列になって並んで洗っている。一心に働いていて、声をかける暇がない。それでもこのままここに突っ立っている方が最終的には辛いだろう。容は奮起して、だがそっと声をかけた。


「あの、私、やりましょうか」


 ひたすら食器を洗っていた年配の女性に声をかけると、驚かれたのか、焦って返事をされた。


「でも、楓様がいらっしゃらないのにそのようなことをお願いするのは」

「ここで働いているのは皆一緒です。どうか、手伝わせてください」

「恵さん、いいじゃないですか。やってもらうといいですよ」


 先程『諒子』と楓に呼ばれていた若い女性が遠くから声を張り上げた。


「ほら、諒子さんもああ言っていることですし。やりますよ。隣いいですか」

「は、はい。ありがとうございます」


 恵にそう言われ、「こちらこそ」と返すと、頬を染められた。


 この反応は、容が時々出会うものだ。溌溂で言葉遣いも若干男らしい容が時折男性のように感じられるらしく、大学生の時にミスコンテストではなくミスターコンテストに出ろと弓道部の部員全員から言われたことがある。男装の麗人になれる、だそうだ。当時、部長に勝手にミスターコンテストの書類審査に応募され、予選を突破してしまったが、当然辞退した。髪を伸ばし始めたのはそれからだ。


 恵がスポンジで丁寧に椀を洗い、それを受け取り容が丹念に水で洗い流す。しばらく続けていると、視線を感じて右横を向いた。


「恵さん?」

「あ、すみません……」


 恵が下を向く。何か言いたいことがあるのだろうかと思ったが、そのままその態度を拾おうとはしなかった。


「食器、多くて大変ですね。毎日これやるのはきついなあ」

「あの、容さんはどうやって太智さんのお世話係になられたのですか」


 恵はおずおずといった様子で、しかし唐突に話を始めた。


「私はもう50歳ですから関係ないのですが、若い女衆は皆御家長に憧れていて、お近くで働ける、しかも一緒にお食事までできるお役目など、まるで奥方様のようだと、羨ましくて堪らないそうなのです」


 容は目の覚める思いだった。客間の掃除を楓に褒められていた、薫の容への態度の原因はこれかとやっと気づいた。このままだと女衆から嫉妬されて身の置き所がなくなる危険がある。特別待遇があだになった。


「あ、いえ、単に仕事ないですかってお屋敷を訪ねただけで。身内が亡くなったばかりだから助けてくれたんですかね」


 ここで『お母様』の話は禁句だろうと思い、差し障りのない範囲のことを答えた。


「よく見ると、つい誘い込まれそうな瞳をされていますね」

「そ、そうですか」

「ええ、御家長がお気に召したのも、仕方がないかもしれません」

「あの、そういう言い方だとなんかあれだから違うんじゃないかと。違うんです、とにかく違うんです」 


「容さん!」


 諒子が大きく声を張り上げた。天の助けだ。


「米屋さん、来たので、お願いしていいですか!」

「はーい! じゃ、恵さん、いってきますね」


 簡単に手を拭いてその場を去る。トラックが来るなら玄関の方だ。楓のお陰で屋敷の構造がわかったので、迷わず先頭を歩ける。容の方が歩くのが速かったのか、諒子が後ろからついて来た。


 トラックまで駆け寄り、荷台の前に立つ。諒子は運転席の米屋と何か話していた。米は1袋10キロだ。4つくらい持てるだろうか。米袋を掴んだ時、横から諒子に話しかけられた。


「容さん」

「はい」


 諒子が言いにくそうに、視線を下げた。すると容の持つ4つの袋が目に留まったようだった。彼女が一瞬固まっていたのは、この剛力を恐れたからかもしれない。


「あの、恵さんが容さんに聞いていた話、私も気になるんです。でも、容さんの声、恵さんの声より小さくて、聞こえなかったから……。恵さんに何てお答えになったのですか?」


 天贖様は皆のアイドルで、しかも若い女衆からは狙われているらしい。


 容は犯人探しの障害になっている天贖に対して罵詈雑言を吐きたくなったが、ぐっと堪えた。


「身内が亡くなったばかりで仕事を探していたので、無理をしてくださったのかもしれません、と言いました」

「そ、そうですか」


 諒子は憂いがなくなったように淡い笑みを浮かべた。


 この屋敷で信頼を得るためには、まずは天贖との関係を説明して回らなければならないらしい。

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