流れ星に願うな、まず確認しろ
その日、私は人生に対して非常に雑だった。
仕事は終わっていないのに終わったことにして帰宅し、コンビニで買った弁当は温めすぎて水蒸気を失い、財布の中身は「現実を直視するには暗すぎる」状態だった。
要するに、きらきらとは程遠い夜である。
街灯の少ない道を歩いていた私は、なんとなく空を見上げた。
理由はない。人生に理由がないとき、人は空を見る。たぶん。
星は思ったより多かった。
都会の空にしては頑張っている方だ。私は星座の名前をひとつも言えないくせに、そういう評価だけはする。
「どうせ、流れ星なんて見えないよね」
独り言としては、非常にフラグ感の強い台詞だったと思う。
そして案の定、その直後だった。
――すっと、光が走った。
「あ」
声が出た。
驚きというより、反射だった。
流れ星だった。
それも、教科書に載せたいくらい分かりやすいやつ。
細くて、長くて、きらきらしていて、「願い事をどうぞ」と言わんばかりの軌道。
私は慌てた。
こういうとき、人は驚くより先に焦る。
(え、なに願う?
お金?健康?それとも人生全般?)
脳内会議が始まる。議長不在、結論未定。
そのとき、横から声がした。
「ほら、早く。三回言わないと。願いは具体的にね」
知らない女だった。
いつの間に隣にいたのか。
年齢不詳、妙に落ち着いた声。スニーカーにロングスカートという、現実と非現実の中間みたいな格好。
「え、誰ですか」
「今それ重要?」
重要だったが、たしかにそれどころではなかった。
流れ星はまだ流れている。
というか、やけにゆっくりだ。
「えっと……じゃあ……」
私は半ば投げやりに言った。
「楽して、幸せになれますように」
言った瞬間、自分でも分かった。
雑だ。あまりにも。
すると。
流れ星が――止まった。
物理的に、止まった。
「……え?」
空の途中で、ぴたりと静止している。
きらきらはしているが、もはや「流れ」ではない。
「止まってるよね」
「止まってますね」
知らない女が、冷静に同意した。
「流れ星って、止まらないですよね」
「普通は」
その「普通」が、今どこかへ行ってしまっている。
次の瞬間、星が――ゆっくりと降りてきた。
落下、ではない。
エレベーターみたいに、滑らかに。
「いやいやいや」
私は後ずさった。
知らない女はむしろ一歩前に出た。
「ほら言ったじゃない。具体的にって」
「今それ言う?」
星は、地面に降り立った。
いや、正確には「人の形」になって立っていた。
発光は控えめ。
顔はあるが、特徴は薄い。役所の窓口にいそうな雰囲気。
「願いの受付でお呼びしました」
星――たぶん流れ星が、淡々と言った。
「は?」
「先ほどの願いについて、確認事項があります」
確認事項。
ロマンのかけらもない単語だった。
「楽して、幸せになれますように、とのことですが」
流れ星は、どこからともなく紙のようなものを取り出した。
「“楽して”とは、努力をどこまで排除するか、という意味です」
「……そこ、聞く?」
「重要です」
知らない女が、腕を組んでうなずいた。
「ほら。だから言ったじゃない」
「何を」
「願いは具体的にって」
私は空を見上げた。
星はもう流れていない。
きらきらは、目の前に立っている。
「ちなみに」
流れ星が続ける。
「“人生どうにかなりますように”という追加願望も検知されていますが」
「言ってないです」
「心の中で」
勝手に検知しないでほしい。
「こちらは抽象度が高すぎるため、処理できません」
「処理……」
「再提出をお願いします」
私は、夜空の下で、人生初の体験をしていた。
流れ星に、願いのダメ出しをされている。
きらきらしていたはずの夜は、いつの間にか――
妙に事務的な光に照らされていた。
---
私は流れ星の前に立たされていた。
夜道の真ん中で、知らない女と、発光する人型天体と一緒に。
通行人がいないのが不思議なくらいだったが、今さらそこを気にする余裕はない。
「では、願いの詳細を詰めます」
流れ星は淡々と言った。
きらきらしているくせに、声が完全に役所だった。
「まず、“幸せ”の定義を教えてください」
「定義……」
「曖昧なままですと、想定外の結果になります」
知らない女が、横でぼそっと言う。
「臓器が全部健康で幸せ、って判定される可能性あるよ」
「怖いこと言わないで」
私は観念した。
どうやらこれは逃げられないやつだ。
「……えっと、朝起きるのがつらくなくて」
「はい」
「仕事がそこそこうまくいって」
「はい」
「お金の心配があまりなくて」
「具体的な金額は?」
「そこも?」
「そこもです」
流れ星は、何かに書き込んでいる。
ペンの音はしない。だが、確実に“記録されている感”があった。
「では、“楽して”について」
来た。
一番突っ込まれたくないところだ。
「努力は完全に排除しますか?」
「いや、ゼロはさすがに……」
「では、どの程度まで許容しますか」
私は考えた。
ここで下手なことを言うと、人生がブラック仕様になる気がする。
「……頑張ってる感が出ない程度で」
「感、ですか」
「はい。本人はやってるつもりだけど、周りから見るとそうでもない、みたいな」
「それは“錯覚労働”に分類されます」
そんな分類があることに、私は軽く絶望した。
「錯覚労働は、成果保証がありません」
「じゃあやめます」
「では、“最低限の努力”に修正しますね」
勝手に修正しないでほしいが、もうどうでもよくなってきた。
知らない女が、楽しそうに口を挟む。
「ね、願いって自分の価値観が丸裸になるでしょ」
「今それ言う?」
「今だから」
流れ星が、こちらを見た。
「次に、人間関係について」
「そこもあるんですか」
「あります。必ず」
必ず、という言い切りが怖い。
「“幸せ”を実現するにあたり、他者からの評価をどの程度含みますか」
「評価……」
「承認欲求、とも言います」
胸の奥が、少しだけチクリとした。
「……少し」
「少し、とは?」
「できれば、ちゃんとやってるねって言われたい、くらいで」
「頻度は?」
「頻度?」
知らない女が、肩をすくめた。
「週一か、月一かで、人生の消耗度変わるよ」
「何でそんな詳しいの」
「昔、ね・・・」
その言い方が、妙に引っかかった。
流れ星は、書き込みを終えたらしい。
「確認します」
彼――いや、それ――は、顔を上げた。
「楽して、幸せになりたい」
「最低限の努力は可」
「金銭的不安は軽減」
「承認は、控えめに欲しい」
私は、言葉にされると急に恥ずかしくなった。
「……すごく、普通ですね」
流れ星が言った。
「悪いですか」
「いいえ。ただ」
「ただ?」
「きらきらは、あまりありません」
その一言で、何かが落ちた。
そうだ。
私は、きらきらを求めていた。
楽して、劇的に、人生がひっくり返るやつ。
なのに出てきたのは、現実に足のついた願いだった。
「ちなみに」
流れ星が続ける。
「この内容ですと、即効性はありません」
「ですよね」
「時間がかかります。結果が出ない期間もあります」
「……ですよね」
知らない女が、にやっと笑った。
「でもね」
「何」
「この願い、一番叶いやすいよ」
私は、彼女を見た。
「きらきらしない願いほど、長持ちする」
その言葉は、やけに静かだった。
流れ星が、最後に一言だけ付け加えた。
「なお、途中で“やっぱり楽したい”に戻した場合」
「場合?」
「最初からやり直しです」
私は空を見上げた。
星はもう、流れていない。
でも。
さっきより少しだけ、夜が明るく見えた。
---
夜は、すっかり深くなっていた。
時計を見ていないのに、そう分かる。
空気が少し冷えて、音が減っている。
「最終確認に入ります」
流れ星が言った。
声は相変わらず淡々としているが、発光がほんの少しだけ強くなっていた。
「この願いを承認すると」
「はい」
「あなたの人生は、急激には変わりません」
「……分かってます」
本当だろうか、と自分で思う。
でも、ここまで来て「やっぱり宝くじ当てたい」とは言えなかった。
「努力が必要な場面もあります」
「はい」
「報われない時期もあります」
「……はい」
知らない女は、何も言わずに聞いていた。
さっきまでの軽口が嘘みたいに静かだ。
「それでも、この願いを続行しますか」
続行、という言葉が胸に引っかかった。
まるで途中解約できるサブスクみたいだ。
私は、少しだけ黙った。
その沈黙の中で、ひとつだけ、浮かんできた。
最初に願った言葉。
楽して、幸せになれますように。
あれは、本当に願いだったのだろうか。
「……正直に言っていいですか」
流れ星が、うなずいた。
「正直は、推奨されています」
どんな世界観だ。
「私、多分」
言葉を探す。
きらきらした言葉じゃなくて、使い古したやつ。
「誰かに、ちゃんと見てほしかっただけなんだと思います」
空気が、少し止まった。
知らない女が、こちらを見た。
流れ星の光が、一瞬だけ、柔らかくなる。
「頑張ってるって。ちゃんとやってるねって。それだけで、続けられる気がして」
情けないと思う前に、口から出てしまった。
「でも、それを願いにするのは、ずるい気がして。だから、楽とか幸せとか、大きな言葉で誤魔化しました」
言い終えたあと、妙にすっきりしていた。
きらきらはない。
でも、嘘もない。
流れ星が、少し考えるような間を置いた。
「その本音」
ゆっくりと言う。
「仕様に追加しますか」
私は、思わず笑った。
「追加料金、かかります?」
「いいえ」
「……じゃあ、お願いします」
知らない女が、小さく息を吐いた。
「やっと、ちゃんとした願いになったね」
---
「承認します」
流れ星が言った瞬間、光が一気に強くなった。
眩しい、というより、懐かしい。
子どもの頃、花火を見上げたときみたいな光。
「ただし」
やっぱり、ただしが来た。
「この願いは、結果が見えにくい」
「ですよね」
「誰も褒めない日もあります」
「……ですよね」
私はうなずいた。
それでも、不思議と怖くなかった。
「ですが」
流れ星は続ける。
「あなた自身が、自分を雑に扱わなくなる可能性が高い」
「それは……」
「副作用のようなものです」
副作用なら、悪くない。
「では」
流れ星は、一歩下がった。
「業務を終了します」
その体が、少しずつ光に溶けていく。
「ちょっと待って」
私は、思わず声を上げた。
「きらきらって、結局なんだったんですか」
消えかけた流れ星が、こちらを見た。
「期待です」
「期待?」
「自分に対する」
それだけ言って、星は空へ戻っていった。
今度は、ちゃんと流れながら。
夜は、元通りだった。
街灯、アスファルト、コンビニの看板。
知らない女が、伸びをした。
「じゃ、私は帰るね」
「誰なんですか、結局」
「願いを一回、失敗した人」
それだけ言って、彼女は歩き出した。
私は、また空を見上げた。
星は、相変わらず遠い。
でも。
きらきらしてたのは、星じゃなくて。
どうにかなるかもしれない、って思えた、その一瞬だった。
私は、人生を雑に扱わないように、歩き出した。




