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第一部:煌めく星々の約束

ハルカは、人の輪に入るのが苦手だった。それは、彼の言葉がいつも、誰にも届かない気がしたからだ。休み時間になると、賑やかな教室の片隅で、リュックから取り出したノートに星の運行図を描く。それが彼の唯一の言葉であり、唯一の居場所だった。周囲の笑い声も、はしゃぎ声も、まるで遠い異国の言語のように聞こえる。ハルカの心はいつも、窓の向こうの空に、あるいは教科書の片隅に描かれた宇宙に吸い込まれていた。

彼の真の安息の地は、学校の立ち入り禁止の屋上だった。錆びついた扉をこじ開け、埃っぽい階段を上がった先にある、人知れぬ楽園。夏の暑さが去り、秋風が肌寒くなり始めた頃、いつものように望遠鏡を覗いていると、背後から声がした。

「すごいな、本物の天体望遠鏡だ」

ハルカは心臓が跳ね上がり、反射的に振り返った。そこには、クラスの人気者、カイトが立っていた。太陽のように明るく、人懐っこい笑顔。ハルカは驚き、望遠鏡を慌てて隠そうとした。

「…何で、ここに?」ハルカの声は震え、情けないほど小さかった。

カイトは、ハルカの動揺を察したかのように、悪戯っぽく笑った。「屋上から見える星が一番きれいだって聞いてさ。たまたまこの屋上への道を見つけたんだ。…もしかして、天文学科目指してるの?」

「違う…」ハルカは咄嗟に首を横に振った。自分の秘密の場所を、あっさりと見破られたような気がして、胸がざわついた。

「そっか。残念。…でも、わかるなあ。なんか、宇宙に一人ぼっちでいるみたいでさ。俺もよく、ここに来るんだ」

その言葉に、ハルカはどきりとした。カイトが孤独?いつも笑顔で、賑やかな人々に囲まれている彼が?想像もつかなかった。彼の言葉は、ハルカの孤独にそっと触れる、柔らかな光のようだった。カイトはハルカの心の揺れを見抜いたかのように、真剣な眼差しでこう尋ねた。

「なあ、宮沢賢治の**『銀河鉄道の夜』**って、読んだことあるか?」

ハルカは、その一言に息をのんだ。彼の好きな物語。心の奥底に大切にしまっていた宝物を、カイトに覗き見られたような感覚。ハルカは無言で頷いた。カイトは少し嬉しそうに、けれどどこか遠い目をして、屋上の手すりにもたれかかった。「僕も好きなんだ。いつか、あの銀河鉄道に乗って、遠い場所にいる誰かに会いに行きたいって、ずっと思ってた」

その日以来、毎週金曜日の夜は、二人だけの特別な時間になった。カイトはサッカー部の練習を終え、汗を拭いながらやってくる。最初はただ隣に座って星を眺めているだけだったが、ある日、カイトが口を開いた。

「おい、あの星、なんか変な形に見えないか?なんか、サッカーボール蹴りまくったあとの足みたい…」

ハルカは少し考えてから、小声で答えた。「あれは、ペガスス座だよ。秋の四辺形って言われてる。四角い形…だから、サッカーボールとは違うかな」

カイトは大きな声で笑った。「あはは!まじかよ!お前、意外とそういうとこ、頑固だな!」

ハルカは、カイトといると、自分が誰かと繋がっている温かさを感じた。カイトは、ハルカの孤独を埋めるように、夜空の静けさの中に、優しい光を灯してくれた。ハルカにとって、カイトはもう、ただのクラスメイトではなかった。かけがえのない、たった一人の親友だった。

しかし、そんな日常は、静かに終わりを告げようとしていた。秋が深まり、冷たい風が吹き始めた頃。カイトは、時折、顔色が悪かったり、咳き込むことが増えた。ハルカが「大丈夫か?」と尋ねると、カイトはいつも笑顔で「大丈夫、ちょっと風邪引いただけだよ」と笑った。だが、その声は微かに震えていた。ハルカは、何かを聞き出そうとはしなかった。聞くのが怖かった。この穏やかな時間が壊れてしまうことが、何よりも恐ろしかった。

そして、ある金曜日の夜、カイトは屋上に現れなかった。ハルカは、一時間、二時間と待った。冷たい風が吹き、月だけがぽつんと空に浮かんでいる。彼の姿はついに現れなかった。ハルカの胸に、拭いきれない不安が広がっていった。

翌日、ハルカは担任の先生から、カイトが重い病で入院したことを知らされた。その言葉は、ハルカの心を凍てつかせた。なぜ、もっと早く気づいてあげられなかったんだろう。なぜ、もっと深く話を聞いてあげなかったんだろう。後悔と自責の念が、ハルカの心に渦巻いた。彼の心は、再び深い孤独の闇に引き戻されそうになっていた。

だが、ハルカは、今度は一人ではいられなかった。彼の心は、カイトのいる場所に導かれるように、病院へ向かっていた。

カイトの病室のドアを開ける。そこにいたのは、以前の明るいカイトとはかけ離れた、痩せ細った姿だった。ハルカは言葉を失い、ただ静かに立ち尽くす。カイトは、弱々しい声で語りかけた。

「ハルカ…来てくれたんだな。…ありがとう」

カイトは、か細い手で、枕元に置かれた一冊の手帳をハルカに差し出した。手帳の表紙には、使い古されたサッカーボールの絵が描かれていた。

「…これ、僕の『銀河鉄道の夜』なんだ。いつか、僕の代わりに、この銀河鉄道に乗って、旅をしてくれないか。…そこには、僕が君と出会ってからの全部が詰まってるから…」

カイトは、最後の力を振り絞るようにそう言うと、静かに目を閉じた。ハルカは、ただ無言で手帳を受け取るしかなかった。その手帳の重さが、二人の友情の重さのように感じられた。それが、彼との最後の別れとなることを、まだ知らずに。


第一部完


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