第53話 偶像と現実と
「ケホ……ケホ……」
「秋音、大丈夫か!?」
地面に向かって何度も咳払いをしている秋音を、後ろからソワソワとした様子で裕作は何度も覗き込んでいた。
落ちてからすぐに救出を出来たはいいものの、水底へ沈み切ってしまうまで呼吸が出来ない状態だったことには変わらない。
体に不調は無いか、意識がハッキリしているかなど、確認したい事は山の様にある。
「意識はあるか!? 息は出来るか!? というか生きてるか!?」
パニック症状の様に慌てふためくのを他所に、秋音は足りない酸素を補給しようと何度も深呼吸を繰り返し、胸の辺りを両腕で押さえつつ言葉を発する。
「うぇぇぇ、水めっちゃ呑んだぁ~!!! 不味い〜!」
ぺっぺ、と。飲み込んでしまった水をどうにかしようと、秋音は地面に唾液を吐き出す。
まるで猫が毛玉を吐くように体を震わせているその姿に、裕作は申し訳ないと思いつつ、少しだけ可愛らしいと感じてしまう。
「と、とりあえずは大丈夫そうだな」
「大丈夫じゃ……ないわよ……! お腹グルグルなるし……うぇぇ」
「ほら背中摩ってやるから、まずは深呼吸しろ?」
震える小さな背中を大きな手で優しく撫でるように摩ってやると、乱れた呼吸が次第に落ち着きを取り戻していく。
「……落ち着いたか?」
「髪もメイクもぐちゃぐちゃで最悪、それに……くしゅッ」
小さく控えめなくしゃみをする秋音は、全身ずぶぬれの状態で体を震わせながら両手で肩を抱きしめるように身を縮める。
それもそのはずで、二人が入った川の水温はかなり低く、おまけに河川敷は強い風が吹き抜けどんどん体温を奪っていく。
「流石にこのままじゃ風邪引いちまうな、黒川さんを呼んで来てもらうか」
裕作は黒川へ電話をかけようとずぶぬれになった携帯電話を取り出した。
しかし、裕作の携帯は電源が入る事は無く、液晶の画面に自分の顔は反射して映り込むだけだった。
「あーなるほど……やっちまったな」
そう、裕作の携帯は防水機能が搭載されていない安物の代物で、当然水に沈めてしまうと壊れてしまう。
ポケットに入れていたとはいえ、水に潜ってしまったが最後、彼の携帯は文鎮化してしまったのである。
「あー秋音、お前携帯持ってるか?」
「も、持ってるけど……もしかして充電ないの?」
「いや、そうじゃないんだ、その……」
「あんたまさか、また携帯壊したんじゃ――」
電源の付かない携帯を握り絞めている姿を見て、状況を察した秋音が立ち上がろうとした瞬間、遠くの方からとある声が聞こえた。
「秋ねぇー大丈夫かー!」
先ほどまで流されてきたふもとの方角から、雄太が二人と同じく全身ずぶ濡れの状態でこちらに駆けつけてくる。
「はぁ……はぁ……秋ねぇは、無事!?」
「話も出来てるし、とりあえずは大丈夫そうだ。そっちこそ平気か?」
「俺は何ともないよ、こういったことには慣れっこだし」
「慣れっこって。お前なぁ、少しは自分の事も大切にしろよ? 親御さんとか心配させたら元も子もないぞ」
どの口がいうか、と言いたげな顔つきのまま裕作を睨む秋音に対し、雄太の表情はずっと浮かない顔つきをしていた。
それもそのはずで、仲の良い相手……秋音をわざとではないとはいえ危険な目に遭わせてしまったのだ。
息を乱して駆け付けた彼は、まるで今にも泣き出しそうな弱々しい顔付きで、危険に晒してしまったという責任と、助けられなかったという無念な想いが見て取れる。
「ごめんなさい……俺、秋ねぇを危ない目に遭わちゃって……あんたが助けてくれなかったら、どうなってたか……わかんないよ」
声を震わせて謝る雄太は、ひどく小さな存在に見えた。
濡れた服の裾をギュッと握り絞め、肩を震わせて精一杯の謝罪の言葉を絞り出す。
自分も水に落ちてしまったにも関わらず、自分のせいだと言わんばかりに身を構える。
裕作にとって出会って数時間にも満たない関係だが、きっと彼は友人想いの良い子などだと思った。
「――謝るのは俺じゃないだろ?」
「へ?」
裕作は俯いたままの頭にそっと大きな掌を乗せ、膝を地面につけて彼と同じ視線を送り言葉を続ける。
「悪いと思ってるなら、本人に面と向かっていいぞ」
「……でも」
「な~に、秋音は優しいやつだからな、もしかすると滅茶苦茶怒鳴るかもしれないけど、謝ったら許してくれるって」
なっ、と。背後にいる秋音に合図を送ると、不機嫌そうに鼻を鳴らす音が聞こえてくる。
「このままじゃ二人とも風邪引いちまうから、めんどくさいわだかまり無くすためにも、さっさと謝って帰ろうぜ」
優しい言葉と共に「ほら」と雄太の背中を優しく押して、秋音の目の前に立たせる。
しかし、怖気付くようにモジモジとじれったい態度を見せ、雄太は秋音に目も合わせることも出来ない。
そんな彼を後押しするように、秋音は、
「ふん……別にあんたのせいじゃないわよ。あたしが泳げたらこんなことにならなかった……いや、違うわね。えーっと、その……」
何とか言葉を上手く組み立てて、自分だけのせいではないことを教え励まそうとするのだが。
「あーもう何も良い感じの言葉が浮かばないわ! とにかくあたしは早く帰って髪乾かしたいの! もー服が肌に張り付いてるし!」
不機嫌そうな声で頭を掻いて悶えるのであった。
「良い? 別にあんたのせいでこうなったとか微塵も思って無いの! むしろあたしが泳げないからこうなっただけで、あんたが気にする事なんて何一つないわよ!」
それでも、秋音は彼に伝えたいと思っていた言葉をようやく絞り出す。
散々言いたいことを言い終えた秋音は、ふんっとご機嫌な鼻息交じりの笑いを見せてから、その場で立ち上がり腕を組み満足げな表情を浮かべる。
「……まぁ、なんにせよ。あんたも無事でよかったわ」
俯いたままの雄太に近づき、
「秋ねぇ、その……」
差し伸べられた手に応じるように視界を上げて、秋音を確認しようとする。
――すると、奇妙なことに気が付いた。
俯いたまま上げる視界で『彼女』の姿を直視した。
張り付いた服から分かるシルエット。
胸や腹周りの骨格はしっかりと際立ち、女の子のものとは少し違うように感じる。
差し伸べられた掌も、良く見れば皮膚が厚く指先の骨もうっすら見えるくらい浮き出ている。
そして、見上げた先にある秋音の顔。
解けた髪と化粧の落ちたその顔立ち。
普通の人よりも何倍も整っていて、綺麗で、可愛らしい。
けれど、どうしても拭いきれない『違和感』がそこにはあった。
――何かを、確信できるくらいには。
「……秋ねぇ?」
冷たい声が聞こえた。
声色は、今まで聞いたどの声よりも落胆したものだ。
まるで幻滅したかのような。
それは不意打ちを食らったかのような。
心の底から延びてくる、初めて『本当の秋音』を見た者が出す声だ。
「秋ねぇ、もしかして」
この声を、秋音は度々耳にする。
騙していたのかと、そんな意味を孕んだような言葉だと思う。
「――男、だったの?」
慣れていたと思っていたその言葉。
誇りと感じていたはずのその言葉。
冷たく、
寂しく、
確実に、
秋音の鼓膜を震わせて、心を強く締め付けた。
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