第49話 友達という存在
「…………」
「…………」
外から聞こえる多種多様な大きな声とは裏腹に、秋音宅のリビングは静まり返っていた。
なぜなら、他人とコミュニケーションを取る事が大の苦手である彼……才川沙癒が黙り込んでしまっているからである。
「あー、そういえば黒川さんが買い出しに行くっていてたけど、どこいったのかな?」
「……ぁ、うん」
「あはは、分かんないよね」
いくら話し上手である七海が話しかけようにも、まるで怯えている小動物のような反応をされると話題を広げようにも上手くいかないものである。
壁に立てかけられた時計の秒針の音が聞こえてくるような無音の空間、室内にいるにもかかわらず聞こえてくる秋音の怒鳴り声も、本来であればうるさいと思ってしまいそうだが、今はむしろ助かったと感じる七海であった。
話す話題もなく、二人は並んでフカフカのソファに腰掛けること数分、いよいよしびれを切らしたのか、七海は手持無沙汰を感じ目の前に置かれたお菓子のクッキーをおもむろに食べ始める。
一つ、二つ、三つ。
夕飯前というのに無限に甘いものを摂取し続ける七海は、むしゃむしゃとお菓子を咀嚼しながら隣に座る沙癒の顔をちらりと盗み見る。
白く輝く銀の長髪。碧く透き通った丸い瞳に、シルクのようなきめ細かい肌。
とても小さく小柄な見た目とは対照的に、少し大人びた凛々しい顔つきは、すれ違った誰もが振り向くような美貌。
誰もが見惚れるような傾国の美女……のような男の娘。
沙癒の顔つきを改めてすぐ近くで見た七海は、思わずお菓子を漁る手を止めて彼の横顔を見つめてしまった。
「……あの、その」
「――あ、ごめん! 見つめてたのには変な意味はないから!」
「…………?」
沙癒に話しかけられ、ハッと意識を取り戻したように視線を逸らす七海。
しかし、沙癒は見つめられていた事を恥じらっていたのではなく、ただ普通に話しかけただけである。
むしろ、七海が自分の顔を見つめていることなど知らず、話しかけたのになぜ謝っているのか理解できない様子だった。
「ど、どうしたの? お腹すいた?」
突然話しかけられた七海は慌てた様子で、目の前にある甘いお菓子をおもむろに差し出すが、沙癒は小さく首を横に振った。
「ちょっと、聞きたいことが、ある」
直視できない控えめな視線を送りつつ、言葉を絞り出すように話し始める。
「その、えっと……」
「焦らなくていいよ、僕、ずっと聞いてるから」
口ごもる沙癒に対し、真剣な顔つきで見つめる七海。
それを見て安心したのか、沙癒は一度言葉を止めて軽く深呼吸をして、少し気持ちの整理をしてから話を再開した。
「……私が倒れて、し、新海君が助けてくれた時に」
「あはは、七海でいいよ」
「……その、助けてくれた時、友達って言ってくれたのって、ホント?」
友達、その言葉は沙癒にとってとても思い言葉である。
才川沙癒には親しい友人が少ない。
いや、厳密に言えば同い年で友人と呼べる存在がいない。
「友達……私、ほとんどいないから、その」
自信の喪失か、あるいは恥じらいか。
言葉は徐々に弱々しく、儚く消えるくらい小さくなっていく。
昔に比べてかなり改善はされたが、沙癒はコミュニケーション能力が著しく、親しい友人は本当に限られている。
中でも、同級生の中で沙癒と親しく話せるような存在はほとんどいない。
事実、沙癒は昼休憩や放課後の時間は裕作や秋音と一緒に過ごすことがほとんどだ。
だからこそ、七海の言った「友達」という言葉は、沙癒にとって特別なものなのだ。
彼の言った言葉には嘘がない事は分かる。
けれど、それを裏付ける根拠が欲しい。
もう一度、彼に言葉を言ってほしい。
「――沙癒ちゃん」
その言葉を聞いた七海は、指先が震えている沙癒の右手を優しく握る。
「僕、君の事を友達だと思ってるよ」
友達という定義は、七海にとって単純なものだった。
ちょっとした話をしただけで、一緒の部活動に所属しているから……など、コミュニケーション能力が高い七海にとって極論誰にでも当てはまる様な簡単な括りで結び付けられている。
しかし、沙癒は違う。
口下手で、引っ込み思案で、控えめな性格をした彼だからこそ、友達という言葉はある意味すごく特別な意味が生まれる。
指先から伝わる震えや、いつもよりも小さな声で話している沙癒の態度から色んな感情が読み取れる。
緊張、不安、恐れ。
きっと、今彼は勇気を振り絞って自分に問うているのだろう。
そのことを察した七海は、少し恥ずかしい気持ちを抑えつつも、自分が思っている気持ちをなんとか言葉として伝えてようと思った。
「その、なんて言うか。まだ僕たちはそんなにお互いの事を知らないと思うし、これからずっと仲良しになるっていう保証も……出来ない」
けど、と。
泣いている子供をなだめる様に、優しい言葉で沙癒に改めて思いを告げる。
「きっと僕たちは良い友人になれるよ、確信はないけど、少なくとも僕は君とそういった関係になっていきたい」
小さくてきれいな手をキュッと握りしめながら、七海は彼の瞳を直視する。
「だから、改めて……僕と友達になってくれませんか?」
言われた言葉に、嘘など無い。
邪悪な思考も、愛想のない感情も感じない。
ただ純粋に、友人になりたりという強い想い。
その視線を感じた沙癒は、いつしか体の緊張が無くなっていた。
不安でドキドキとしていた心臓も、いつしか炎が灯ったように熱くなる。
この気持ちは恋ではないけれど、彼のことで胸が一杯になってしまう。
「……七海君」
彼の気持ちを受け取った沙癒は、精一杯の気持ちで提案を持ちかける。
「七って呼んでいい?」
沙癒は人の名前を言うとき、それを略して言う傾向にある。
両親の事は「父」と「母」、裕作の事は「裕にぃ」。
そして、親友である秋音の事は「秋」と呼んでいる。
これは昔、ほとんど話せなかった子供の頃の名残である。
物や人の名前を半分にして話す事により自分が発する口数を極力減らそうとしていた。
そして、それを言われる条件というのが、親しい間柄であるということだ。
昔に比べればかなり他人と話せるようになっており、今となっては親しい間柄でしか呼ばないあだ名のような役割になっている。
だからこそ、沙癒にとって略称で呼ぶというのはその人間を心の底から信用しているという事を表している。
「えっと。あだ名みたいなもの?」
「うん、友達になる証として、そう呼ばせてほしい」
「あはは! 構わないよ! というか、僕の方も何か変えた方がいい?」
「大丈夫、好きに呼んで」
沙癒が二つ返事で首を縦に振ると、七海は「じゃあ沙癒ちゃんで」と言い握っていた手を放して腕を組み満足げの表情を浮かべる。
「じゃあ、改めてよろしくね! 沙癒ちゃん」
「……こちらこそ、よろしく、ね。七」
お互いに名前を呼び合うと、不思議と頬が緩み、先ほどまでの気まずい空気が嘘のように穏やかな雰囲気になる。
――同年代の友達って、こういう感じなのかな?
心がくすぐったくて、少しだけ恥ずかしさも感じる。
けれど、その気持ちはちっともイヤではなく、暖かで、優しい気持ちになる。
きっと、自分の兄である裕作とその親友である秋音は、毎日こんな気持ちだったのかな、と。
沙癒は感じたことない気持ちに少し戸惑いを感じつつも、この暖かな気持ちを胸にしまっておくのであった。
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