第46話 想い人 中編
「……裕作と言い合いになった」
まるで喧嘩をした子供が親に打ち明けるように、口を尖らせながらぶっきらぼうに話すと、
「ふふ、いつものやつだね」
その言葉に、沙癒は微笑みながら返事を返す。
秋音は抱きかかえたクッションをぎゅっと力を入れて、更に体を小さく丸める。
それとは反対に、沙癒は拳一個分ほど空いた二人の距離をさらに縮めるように近づき、肌と肌が接触するくらい身を寄せ合う。
「秋が悩むのって、大体裕にぃ絡みだもんね」
「うっさい」
「ほんと、二人は仲良しさんだね」
「もう、からかわないでよ~!」
照れ隠しのつもりか、秋音は抱きかかえていた柔らかなクッションを沙癒に押し付ける。
先ほどまでの暗い表情から一遍、耳先を赤くしながら抵抗を見せる秋音。
しかし、沙癒はすかさずクッションを奪い、そのまま没収した。
「別に、あいつとはその、ただの親友ってだけで……何にも思ってないんだから!」
「私、まだ何も言ってなよ?」
「うーむかつく!」
いよいよ頭上から蒸気が噴き出しそうになるくらいの怒りを見せるが、それを沙癒は難なくあしらい続ける。
いくら言葉を並べようとボロが出てしまう秋音が悪いのか、それとも誘導がうまい沙癒に原因があるのか。
どちらにせよ、秋音がどれだけ言葉を並べたところで、沙癒を言いくるめる事など不可能に近い。
……まぁ、客観的に見て、なんとも微笑ましい空間が広がっている事は確かだ。
「正直になればいいのに」
「……正直って、なんの話よ」
「裕にぃのこと、好きなんでしょ?」
「は、はぁ~!? そ、そそそ、そんなわけないじゃない!」
あちこちに泳ぐ大きな瞳、震える手先。
今日一番の赤面をさらしている秋音は、言葉では否定しているが動揺を隠しきれていない様子だった。
「大体、その、あいつとは親友だし? あんなやつ、別に、なんとも思って――」
「秋、聞いて」
慌てふためく秋音の言葉を遮るように、沙癒は言葉を投げかける。
表情は真剣そのものであり、ジッと秋音の目を見つめる。
その吸い込まれそうな綺麗な瞳は、まるで蛇のように鋭く威圧感すら感じられる。
見られたものはその美しく輝く宝石のような目に魅了され、言葉を失ってしまう。
魔性の瞳……と言ってもいい。
それに睨まれた秋音は、もはや睨まれた蛙のように体が凍り付いてしまう。
「その気持ちに、嘘はダメだよ」
言葉の意味が分からない。
その気持ちとは、どういうものなのだろうか。
裕作に対する怒りも気持ちなのか。
言い合いになって、話しかけづらい心情のことを言っているのか。
……それとも、また別の想いなのか。
そのことは、今の秋音には理解出来なかった。
いや、理解しようとしてはいけない気がした。
心の奥に留めていた感情。
【■き】という、純粋な気持ち。
だが、その想いは自分が抱いてはいけないものだと、秋音は無意識に感情を押し殺している。
「ふ、ふん! 別に、あんたには関係ないでしょ! もういい、この話は終わり!」
金縛りの様に固まった体を無理やりねじって、沙癒にそっぽを向くように視線を逸らした。
――だって、彼を最初に見つけたのは沙癒だから
後追いで芽生えたこの気持ちは、きっといけないモノだから。
――だって、沙癒の方が彼の事を思っているのだから
自分の気持ちを素直にぶつける人間は、報われるべきだから。
――だって、あいつだって沙癒の方が大切に思っているから
自身よりもかわいくて、魅力的な存在がいるのだから。
どれも自分が勝手につけた理由であり、一般的に、どれも正しいものなのかも分からない。
けれど、一人の人間の純粋な気持ちを抑えてしまうには、十分すぎる材料となる。
だから、この気持ちを自覚してはいけないのだと、あらゆる思考が枷となり、無意識の間に秋音の心を縛り付けてしまったのだ。
「……頑固」
そんな秋音の姿を何年も見続けてきた沙癒は、感情を抑えて生きる彼の姿が窮屈そうに見えて仕方がない。
けれど、それは彼自身の問題であり、自分がどうこう出来る問題ではないと沙癒は理解している。
きっかけや気付きを得られるように何度も話を振っては見るが、どれもはぐらかされてしまう。
……彼が本当の気持ちを打ち明けてくれるのはいつのなるのだろう。
今はその時を待つしかないと思う沙癒だったが、それでも余計な一言が漏れてしまった。
「な、なによ頑固って!」
「ううん、なんでもない。やっぱりそういう不器用な所も秋らしいかなって」
「うーなんかむかつくー!」
どこか俯瞰した態度を取っている沙癒に対し、可愛らしく威嚇していた秋音はいよいよ彼に手を出した。
「ふん! どうよ、参った?」
もちもちとした柔らかな頬を優しく摘まんで、フニフニと引っ張り始める。
痛みどころか、少し気持ちの良い程度の攻撃で自信満々に鼻を鳴らす秋音に対し、当の本人は何のダメージを受けていない。
「……秋」
「なによ、あんたが悪いんでしょ」
「違う、そうじゃない」
いつまでもじれったい態度を取る事に憤りを感じたのか。
それとも、秋音の生ぬるい攻撃に不満足だったのか。
秋音の行動によって、沙癒のサディズム精神に火をつけた。
「こんなんじゃ、誰も満足させられないよ?」
「ひゃッ!?」
頬を引っ張る手を払いのけて、沙癒はそのまま秋音を押し倒した。
「ちょ、あんた! 何する気よ!」
仰向けのまま沙癒に訴えかけるが、こちらを覗き込むような視線は鋭く、威圧感すらある眼光に体が動かなくなる。
「……いい機会、誰かを弄るってどういうことか教えてあげる」
「な、何言って――」
秋音の言葉を遮るように、沙癒は『言い訳をするのはここか』と言わんばかりに、喉元に人差し指を置く。
そして、そのままわざとらしくゆっくりと、顎から胸元へ一本の線を描くようになぞる。
「ん、やめ……んっ」
自分で触ってもなんとない場所でも、他人が触れば敏感に反応してしまう。
沙癒は触れるか触れないかの匙加減で指を滑らせている為、尚のこと感覚が伝わってくる。
時には指先を立てひっかくような強い刺激を与えたり、指の腹で優しく撫でるように触る。
心地よい痛みと肩を震わせるようなくすぐったい感覚を不規則に与えることによって、慣れる事のない絶妙な刺激がずっと続いている。
小さく漏れる可愛らしい声など無視しつつ、あばらの辺りまでなぞり終える頃には、秋音の体はガチガチに固まってしまった。
全身が強張った事を確認した沙癒は、そのまま右手で上顎あたりをクイッと掬い上げる。
「力抜いて。ほら、深呼吸……」
抵抗しなくてはいけないという気持ちが脳裏によぎるが、体の主導権を奪われたように、秋音は無意識に小さく深呼吸をする。
感情に反して動く体に違和感を覚えるのを他所に、数回の深呼吸を挟むと体の力は抜けていった。
――いけない
今更そんな感情が芽生えたところでもう遅い。
秋音の体はまるで暗示が掛かったかのように身動きが取れず、だらしなく脱力してしまっている。
全身どころか、指一本満足に動かせない。
「ふふ。秋は裕にぃと違って直ぐに堕ちちゃうね」
柔らかな優しい天使のような微笑みも、秋音から見れば悪魔の笑みのように映った。
※後半に続きます




