第46話 想い人 前半
「――ん」
目を覚ますと、またもや見慣れぬ天井が視界に映る。
……いや、厳密に言えば少し覚えのある光景だった。
徐々に覚醒する意識と、眠る直前の記憶を頼りに現状を理解する。
仰向けの状態のまま周りを見渡すと、可愛らしいぬいぐるみの数々や、大きな棚には魔法少女のような派手な格好をしたフィギュアが飾られている。
おまけに、今眠っているベッドは保健室の物とは比べ物にならない程肌触りが良く、このままずっと眠ってしまえそうな程居心地が良い。
「……ここは、秋の家か」
秋音の家に違いない。
そんな確信を得られるような、可愛らしさと高級感が混ざった摩訶不思議な部屋だった。
体が沈むような柔らかなベット、夕暮れに差し掛かる日の光。
どれだけ自分が眠っていたのかを確認する為、微かに香る甘い芳香剤の匂いに釣られるように、沙癒は体を起こした。
体は重く、意識も散漫としている。
決して万全の状態とは言えないけれど、裕作や秋音に会いたいという気持ちが先行している為、沙癒は立ち上がった。
……それに。
「……しんか、いや、七海君にお礼を言わないと」
そう、保健室に運んでくれた七海に対して、改めてお礼を言いたいと沙癒は思っていた。
彼がいなければ、今頃自分はどうなっていただろうか。
七海は気にしなくてもいいと言ってくれたが、ちゃんとした形で話がしたかった。
……その上で。
「友達、か」
保健室で目を覚ましたあの時、彼は自分の事を友達と言ってくれた。
その言葉を思い出すと、胸がキュッと締め付けられるような嬉しい気持ちが込み上げてくる。
才川沙癒には友人がいない。
いや、厳密に言えば同い年で友人と呼べる存在がいないのだ。
昔に比べてかなり改善はされたが、沙癒はコミュニケーション能力が乏しく、親しい友人は本当に限られている。
中でも、同級生の中で沙癒と親しく話せるような存在はほとんどいない。
事実、沙癒は昼休憩や放課後の時間は裕作や秋音と一緒に過ごすことがほとんどだ。
だからこそ、七海の言った「友達」という言葉は、沙癒にとって特別なものなのだ。
あの言葉は、本当に自分を友人だと思って言ってくれたものなのか。
それとも、ただの社交辞令だったのか。
そのことを確かめる意味でも、沙癒は動き出す必要があった。
「……よし」
二、三回ほどドアの前で深呼吸を挟んでから、先ほどまで眠っていた部屋を後にする。
廊下に出ると、見覚えのある場所に出る。
どうやらここは二階の様で、このまま真っすぐ行けば一階へ降りる階段があったはずだ。
週に一度は訪れる秋音宅だ、流石に廊下まで出れば沙癒でもある程度の場所は分かる。
「――こんな部屋あったんだ」
……その上で、沙癒は未だに入ったこともの無い部屋があったとこに驚きを隠せていない様子だった。
沙癒は何度も秋音の部屋にお邪魔していたが、隅々まで家を探索したことはなかった。
今度お泊り会をする際はこの部屋を使わせてもらおうと思いつつ、沙癒は階段を目指して歩き始める。
いくつかの部屋を通り過ぎると、一階へ続く階段が見てきた。
広い家とは言えど、流石に数十歩ほどで歩けば目的の場所へたどり着ける。
階段下からは微かに話声のような音が聞こえ、誰かが下にいることが確認できる。
その音に吸い寄せられるように、沙癒は階段を降りようとした。
「…………?」
しかし、沙癒は足を止めた。
「……秋?」
階段から最も近くの部屋、そこは秋音が普段使っている自室だった。
ドアには「秋音」と書かれた可愛らしいネームプレートがかけられており、先ほど通り過ぎていった部屋よりも幾分か使用感を覚える。
一階から聞こえる賑やかな声とは反対に、シンっと物音一つしない部屋の前で向き合うように沙癒は制止する。
――いる
人気の感じない空室の前で、どうしてかは分からないが、この部屋には秋音がいるという確信を得る。
長年付き合っているからか、それとも沙癒の感覚が鋭いからなのか。
どちらにせよ、誰もいないはずの物静かな部屋を目の前に、沙癒は控えめで小さく三回ほどノックをした。
「秋、いるよね?」
返事は帰ってこない。
しかし部屋の中から微かではあるが、服が擦れるような音が聞こえた。
そんな小さな音を聞き逃すことなく、沙癒はもう一度ノックした後に「入るね」とそのままドアノブをまわして部屋に入っていく。
すると、ベットの隅の方で膝を抱えて丸めながらクッションを抱きかかえた秋音の姿がそこにはあった。
「――なによ、もう起きてきたの?」
不機嫌さが分かる程暗い声のまま、秋音は沙癒を睨みつけた。
サイドテールにした髪を解き、化粧の下処理を全て終わらせた秋音は、学校で見る早乙女秋音とは少し印象が違うように映る。
可愛らしい顔つきはそのままだが、どこか少年のような印象を与えるその顔つき。
綺麗な服装も今はラフなパジャマに着替えており、少女らしい可憐さよりも、年相応の可愛さの方が目立っている。
「うん、もうばっちり」
本当はもう少し眠っていたいが、少し無理をして万全である様なアピールを返す。
そしてそのまま、可愛らしい威嚇をし続ける秋音のそばにゆっくりと近づき、沙癒は何も恐れることなくその隣に座った。
「……ふん!」
甲高く鼻を鳴らしてそっぽを向く秋音に対し「ふふ」と余裕たっぷりの表情で微笑みかける沙癒。
それから数分、二人は時計の秒針がカチ、カチと鳴り響くような静けさの中、特に何かを話すでもなくその場で座り続ける。
沙癒は何の変哲の無い壁をジッと見つめ、秋音は依然変わらず膝を抱えた姿勢のまま俯いている。
傍から見れば気まずい雰囲気の様に見えるが、彼らはそんなことを微塵も思っていない。
むしろ、沙癒は秋音が口を開くのをゆっくりと待っているこの時間が心地よいとも感じており、柔らかな表情のまま話始めるのをジッと待っている。
その姿勢に根負けするように、長い溜息を吐いてから秋音が小さな声で口火を切る。
※中編に続く