56. テオには記憶があります
突然ですが、オレ、ケネス様の従者テオには前世の記憶があります。
前世の名前はポチ。捻りもなにもない名前でしょう? ケンさん……健二郎さん、現在はケネス様がつけたんです。
そう、オレはケンさんに拾われ、恵美子様に養ってもらっていた犬でした。
『……しょうがないな』
オレは、お金持ちの家で飼われるも、お嬢様の前で粗相をして捨てられてしまいました。
元飼い犬なんて野犬のグループに入れてもらえず、飢え死にしないように必死にゴミを漁る日々。
もう無理かもしれないと半ば諦めていたその時ケンさんが家に連れ帰ってくれました。東京では珍しく雪の降っていた夜のことです。
『おかえりなさい……ってまあ。どうしたんです?』
『……拾ってきた』
『拾ってきたってあなた……。うちは裕福じゃないんですよ』
家に連れ帰るや否や、恵美子様に難色を示されたケンさんが少し緊張したことで、オレにはわかってしまいました。この人は強がってはいるけど奥さんに弱いんだって。犬は序列をつける生き物です。だから、オレの飼い主は、恵美子様とケンさんになりました。
『まあ、こんな痩せっぽちをこんな寒い中また捨てるのも可哀想ですね。名前とか決めてあるんですか?』
『……ポチ』
『本当に名前まで……これは飼うしかないわねぇ。しょうがない』
いや絶対嘘です。今決めたんですよ。ほら、ケンさんの目が右上を向いてますよ恵美子様。
……こうしてオレは戸田家の犬となりました。
『あなた本当に良い子ねぇ……なんで捨てられたのかしら』
実際、オレのつけた序列は正しかったです。恵美子様は飯をくれて、散歩に連れて行って、なにより可愛がってくれました。そしてその姿にケンさんはちょっと嫉妬してました。犬に嫉妬とか恥ずかしくないんですか。
『……恵美子』
『はいなんでしょうケンさん』
それでも、本当なら嫉妬なんてされるはずもないくらい、お二人は仲のいいご夫婦で。
そうしてオレが成犬になった頃に、家族が増えました。
『だぁーー!』
『ほら、ポチが可哀想でしょう』
子守りはなかなかに大変でしたが、これも恵美子様のためと頑張りました。
『お母さん、ポチの散歩行って、ついでにみっこの家寄ってくるー』
『はいはい、気をつけて行ってらっしゃい』
そうして東京から引っ越して、家族が増えて、長い時が経ちました。
一番上のお嬢さんが中学生になったときくらいでしょうか。オレはすっかり年老いていました。
『ポチ、向こうでも元気でね』
『………じゃあな』
『ポチぃ……』
『うわーーーん』
オレは家族に看取られて、生涯を終えました。捨てられた時には想像もできなかったほどに幸せな犬生でした。
それからしばらく、オレは戸田家のことを見守っていました。お嬢さんが結婚して、坊ちゃんが就職して、一番下の坊ちゃんも成人して。家にはケンさんと恵美子様だけになりました。
『健二郎さん……』
そして、最後には、家は恵美子様ひとりになってしまいました。
たまにご近所さんやお孫様が来たりしますが、それ以外はずっとひとりぼっちの恵美子様。
見ていられませんでした。
写真嫌いのケンさんの、唯一の写真が入っていた引き出しは、ずっと閉じられたままで。……昔はよく見ていたのを、オレは知っているんですよ。
……でも、オレも置いて逝ったから、ケンさんのことを責める気にはなれなかった。
『おい、お前大丈夫か?』
だから、また会えた時、誓ったんだ。今度はオレが、お二人を看取るって。
二度も救ってくれたこの人に恩を返す時だ。このためにオレは人間に生まれたんだ。
お二人の結婚式が待ち遠しくてしょうがない。




