52. シャーロット・ロレーヌは恋がしたい
『なに、かしら』
ずっとずっと幼い頃のある日、書庫で綺麗な装丁の分厚い本を見つけたことがありました。隠されるかのように高いところにあったその本の中には、私の知らない世界を教えてくれました。
好きな人のために身分を捨てたお姫様、家族から虐げられていたけれど王子様に見初められて幸せになった伯爵令嬢、呪われて魔女になった令嬢が数百年越しの恋によって救われる話。
……そう、この世界には、恋や愛という魔法があるのだということを。
『私も……いつか……』
素敵な恋をして、愛を育んで、お慕いしている方と幸せに暮らしたい。
思わず、そう願ってしまいました。今考えれば、こうならないように、隠されていたのかもしれません。
私は公爵令嬢として厳しく大事に育てられてきました。貴族とは富を集め、施しを与える、責任ある使命を背負う存在。故に、自由はない。ずっと、そう言い聞かされてきたのです。
私は親が決めた結婚以外は許されない。国の、民の、お家の利益となるように立ち回らなければならない。
『……見つけなければ、よかったわ』
籠の中の鳥は、大空を知っているからこそ逃げようとするのだから。子供みたいに泣きそうになって、誤魔化すように目を擦りました。忘れられますように、と神に祈りました。
それからしばらく経って十歳の春のこと。
『初めまして、殿下。シャーロット・ロレーヌと申します』
『初めまして、シャーロット嬢。ルイスだ』
これが、出会いなのだと悟りました。私の運命を決めた出会いです。
サラサラの金髪に、アクアマリンのように澄んだ水色。どんなドレスや宝石よりも、綺麗だと思いました。この人の妻になるのが、嬉しかった。
『何度申し上げればわかるんです!? 殿下は一度でお覚えになりましたよ?』
だから、耐えましたの。淑女教育に加え、護身術、政治、地理、人心掌握術、婚約者としての社交界の立ち回り方。どれだけ辛い王妃教育でも耐えました。そもそも弱音を吐くことも、逃げ出すこともできるわけありませんが。
『ご機嫌よう殿下』
『ああ、シャーロット嬢』
そうして学んでいる間に気づいたのは、殿下の笑顔の違和感。精巧に作られた隙のない笑み。気づいてしまえば恐怖すら感じるもの。
本当に笑って欲しかった。でも、私ですら笑い方なんて分かりませんのにどうやって笑わせられるのでしょう。
殿下はあまりにも優秀すぎて、私は追いつこうとするだけで精一杯でした。寝食を削り、必死に勉学に励んでも、学園での成績には絶望的な差があって。会話をするだけでも、一苦労。
殿下は思っていた以上に知的好奇心が旺盛で、頭を使うことを好むお方でした。そして目的のためには手段を問わず、それでいて情がないわけでもない。
『それでしたら、私も存じ上げております』
『それはよかったよ』
それでも、どうにかお互いを名前で呼べるようになり、本当の性格も少しずつ知るようになって。
私は少し安心していました。
その頃、ルイス様はある方と出会います。それがケネス・ウォード伯爵令息。酷く太った体格と見るに耐えない見た目と、外見に反してとても優秀なことで有名な方。
『ルイス様、何か喜ばしいことでも?』
『ああ、やっとまともに話のできる相手を見つけたんだ』
私は初めて、ルイス様の笑顔を見ました。知的好奇心を隠せない瞳、少し歪に曲がった口元。
ああ、私はもっと努力しなければ。この人を笑顔にすることなんてできない。
『なあ聞いてくれ。ケネスに婚約者ができたんだ。これが……』
焦っていた私の最後の砦を壊したのは、あのウォード伯爵令息の婚約者でした。
ルイス様から、女性の話なんて、聞いたことがなかったのに。
聞いてみれば、男爵令嬢で、自由で、風変わりで。どうして。なんで。
これは一言申し上げなければと、気が狂ってしまっていました。