49. 今も昔も、桜が綺麗ですねぇ
「あら、この花びらは……」
日課の散歩中、風と一緒に流れてきたのは白くて先がピンクの小さな花びら。
まさかと思って吹いてきた方へ向かえば、そこにあったのは思った通り桜だった。外国のような世界だからないかと思っていたのに、こんなところにあったなんて。
「綺麗ねぇ」
山の奥の原っぱのような場所に、立派な桜の木が嫋やかに佇んでいる。もう満開だわ。
「あの人にも教えてあげましょう」
学園に行かなくて良くなったとはいえ、忙しいあの人だもの。来る頃には散りかけてしまっているかしら。まあでも、散りかけでも桜吹雪できっと綺麗ね。封蝋にこの花びらもつけてあげましょう。
「三色団子……お弁当……お酒……」
なんて、いつのまにかお花見の時に食べるものを考えて。これぞ花より団子ね。三色団子は無理だけれどお弁当なら作れそうだわ。
でも、あの人はあんまり食べなかったわよねぇ。ずっと、静かに桜を見て。
「さ、そろそろ帰って手紙を書かなくちゃね」
*
結局ケンさんが来るのは桜が散り始める頃になってしまいまして。そういえばこの世界では桜はあまり知られていないようで、開口一番「桜ってなんだ?」と言われてしまいました。
「ほら、これですよ」
立派な木だからか、辺りがピンク色になるほど花びらが落ちても、全然見劣りがしない。むしろこっちの方が綺麗だわ。
「これは…………凄いな」
「そうですねぇ」
あどけない顔でじぃっと見ながら、大きな桜の木の下を踏みしめるように進むケンさん。
少し前に行ってしまって、桜吹雪で顔がよく見えなくなる。
「エミリー、ほら、見てみろ」
『恵美子』
聞こえないはずなのに、あの人の声も聞こえた。
「っ!」
嫌だ。
もう、嫌だわ。
「っケンさん」
つい手を引いてしまった。
ケンさんは驚いたようにこちらを振り向く。
「どうしたんだ?」
思い出したのは、あの人が死ぬ前に、車椅子で桜を見に行った日のこと。今日みたいに、桜が散りかけで、桜吹雪で顔が見えなくなって、それで。
「おいていかないでください」
ケネス様が健二郎さんだと分かってから、随分と思い出すことが増えた。表情、声色、雰囲気までも鮮明に。
それはつまり、私がそれだけ忘れていたということ。もちろん老化もあったわ。痴呆にもなってきていたし。けれど、一番の理由は。
忘れようと、していたんだわ。思い出さないように日々を過ごそうとしていた。
「すまない」
「……ほら、お弁当作ってきたんですよ。おにぎりと漬物だけですけど」
よくわからずに、それでも申し訳なさそうに言うケネス様。
私ったら何を。この人は健二郎さんであって健二郎さんじゃないのに。そんな、今更恨み言を言ったってしょうがないわよ。
「しゃけおにぎりとたくあんです。うちで採れた大根を使っているんですよ」
「食っていいのか?」
「ええどうぞ。お茶もありますよ」
そうしてその場に座る。
贅沢な時間だわ。桜を見ながら、この人の隣でお弁当を食べて。
今も昔も、桜は変わらず綺麗だわ。
「?」
何やら視線を感じて隣を見ると、私をジイっと見ているケンさん。な、何かしらおにぎりはまだありますよ。
「……いや」
目が口ほどに物を語ると言いますが、私がおにぎりのことだと思っていたのを分かったようで。違うという風に、ふっと笑われてしまう。
「……綺麗だなぁ」
そう呟いた柔らかい雰囲気が、なんだか少しこそばゆいのは気のせいかしら。