25. ケネス・ウォードは癒されたい
「はい、お弁当です」
「……ああ」
「いってらっしゃい。無理なさらないように」
「……ああ」
向こうから申し出てくれたとはいえ、こんな早朝に悪いと思っていたのだが……そんなのは杞憂だったと知る。勝手口を叩こうとした時には元気に畑仕事をしていた。しかもすでにお弁当を作り終わってるという。人の仕事量を心配する前に自分の生活リズムの方を気にするべきじゃないだろうか。八時に寝て四時半に起きるとか、老人か何かか。
「今日は小松菜の胡麻よごしですよ」
胡麻よごし……また知らない料理だ。エミリーの作る料理はほとんどが聞いことのないものだ。しかしなぜか口に合う。あれだけ嫌いだった野菜でさえ、美味しく感じてしまう。むしろ、これじゃないから嫌いだったのではないかと思うほどだ。
俺が見えなくなるまで手を振っているエミリーを横目に馬車に乗った。
「お熱いことで」
「……うるさいぞ」
「えーだって本当のことじゃないですか。こんな馬車の中でさえ仕事しなきゃいけないくらいに忙しいのにぃ」
子供らしく足をブラブラさせながらニヤニヤしているテオが、書類を渡してくる。ちゃんと揃えてあるのが、なんというか怒りづらいところだ。
「ああ、あとドラモンド家から連絡が入りました」
「……確認しておく」
相変わらず、テオはよくわからない奴だ。齢十一歳にして俺の仕事を捌き、管理でき、読み書きまでできる。拾った俺が言うのもなんだが優秀すぎないだろうか。
「オレの顔に何かついてます?」
「……いや、何も」
「大丈夫ですよ、ちゃんと恩は感じてますから」
恩というかもう少し立場に相応しい態度にしてほしいものだが……この年に言ってもな。
「拾ってもらえなきゃオレ今頃一文なしですもん。どっかでのたれ死んでたかも」
テオは、元々貧困街出身のスリだった。しかしやり口の巧妙さにもしやと思い衣食住と職を与えればこれだ。結果的に俺の仕事は楽になった。
「……本当に、貧困街出身なのか?」
「それいつも聞きますよね。それ以外どこで生まれたんだって話ですよ」
なんて話しながら仕事をしていれば、いつの間にか学園に着いていた。
「やあ、ケネス先生!」
「……殿下」
「ここで殿下はやめてくれ、ルイスでいい。私は一生徒だ」
「…………」
いけしゃあしゃあとよく言う。誘いに乗らなければ、エミリーに惚気やら色々バラすとまで脅しておいて。
苛つく笑顔だ、まったく。
「昼は一緒にカフェテラスで食事にしよう」
「すまないが、弁当がある」
エミリーの作ってくれた、今日一日の活力が。これがなければ気分は最悪だっただろう。非常勤講師なんて、顔を売り、繋がりを作る以外にはデメリットしかない。
「弁当なんて庶民的な……ほぉ、随分と嬉しそうな顔だ。さては愛妻弁当か」
「……まだ妻じゃない」
そもそもあんな形で婚約して、エミリーは本当に良かったのだろうか。逃すつもりは一切ないが。
*
「お、ここにいたのか」
「……カフェテラスで食事するはずでは?」
「気が変わった。君が愛妻弁当を食べるところを見ようと思ってね」
授業をつつがなく終え、学生時代に気に入っていた人気のない中庭で食おうとしていたところに、どこからともなく殿下が生えた。最悪だ。ストレスを増やさないでくれ。
「おい、無視か」
飯の邪魔だ。弁当を開けると、細かい肉と炒り卵、今朝言っていた小松菜の胡麻よごしや煮物が入っていた。うまそうだ。
「いただきます」
エミリーと飯を食べるようになってから、自然と言う癖がついた。弁当を包んでいた布に挟まっていた紙を読むと、
【今日の献立。そぼろ、小松菜の胡麻よごし、煮物、漬物。小松菜の胡麻よごしは、擦った胡麻と醤油と砂糖で和えたもの。小松菜は今が旬】
とだけ書いてあった。なんの解説だ。
「美味しそうだな」
「実際うまい」
「いないところでだけ素直だよな君は」
しょっぱい小さい肉と米があう。甘めの炒り卵と合わせてもうまい。胡麻汚しは胡麻のまろやかさと甘じょっぱさ、風味に癖がありつつも小松菜の歯ごたえがいい。
「君も変わったよなぁ」
「……エミリーのせいだ」
「恋は人を変えるってやつか」
ストレスの根源が横で何か言っているが、聞こえなかったことにする。