22. あの人との出会い《夢》
昭和三十五年、十九歳の夏。
蝉時雨の鳴り止まない、じんわりと汗の滲んでくるような暑い日に、あの人と出会った。
*
顔も見たことのないような遠い親戚が持ってきた一枚の釣書は、まさに骨皮筋右衛門と言っていいような男性だった。話を聞くと、戦前には商家として栄えていたお家の長男だという。家は落ちぶれて家業をたたみ、その人はサラリーマンとして働いているらしい。
「いい人なのよ、一度会ってみない?」
小さな村の地主の次女で、女学校を卒業したはいいもののろくに働きもせず畑仕事をしているだけの私が、断れるわけもなかった。
*
「本日はこのような機会を設けて頂きありがとうございます」
あの人は、ただただ静かに、正座をしてそこにいた。身長が高いからか、凄く綺麗で、そこだけ空気が違うような気がした。
写真通りの痩せっぽちなのに、こちらにスッと向けられた切長な目が印象的で。目が離せないままその場に立ちすくんでしまった。
「恵美子、何を突っ立っているんだ。座りなさい。失礼だろう」
「ご、ごめんなさい」
「ぼーっとした娘で。すみません」
謝る父に、あの人は短く「いえ」とだけ言った。
低い声が、広い部屋に響いた気がして。あんなに煩く感じていた蝉時雨が、急に聞こえなくなった。
「初めまして。戸田────と申します」
「は、初めまして。鈴木恵美子と申します」
それからは親や仲人同士が、話して、話して、何かを聞かれて、よくわからないまま頷いて。どこか別の世界にいるようで、頭が追いつかなかった。
「この後は若いお二人で」
どこかで聞いたお決まりの言葉で、私たちは仲人の家から放り出される。
こんなどこかも知らない田舎で、何をすればいいというのだろう。とりあえず隣を歩いてみるけれど、下を向くことしかできなくて。あの人は背が大きいから、すぐ置いて行かれてしまった。
慣れない上等な着物で急げば急ぐほど、慣れない下駄が擦れて。ちょうど涙が出そうな頃だった。少し前を歩いていたあの人は戻ってきて、私の前で屈んだ。
「……痛く、ないか?」
「へ?」
見れば、鼻緒が赤く滲んでいた。気づいてしまえば、ジンジンと痛みがより増してくる。
ああ、情けない。私は、どうして、こうも……。
「失礼」
ふわっと石鹸と汗の匂いがして。突然の浮遊感。
顔が、近くなって。横抱きにされたらしい。
はい!?!? そんなの、そんなのって。
「っ折れたら大変ですよ!?」
「……折れ?」
「そんなに細いのに私なんて持ち上げたら骨が折れちゃいますよ!」
私のせいで骨折なんてさせてしまったらどうしましょう。こんなのまともにお見合いができないことより大問題だわ。
なんて焦っていると、あの人の顔がフッと緩んで。
「……持ち上げたごときで人の体は折れない」
優しい顔でそう言われて、私も少し落ち着いたのでした。
そのまま横抱きで運び、切り株に座らせて、不器用ながらも応急処置をしてくださって。
「…………こ、ここは、のどかだな」
「そうですねぇ」
目が潤んでいたのを気づかれてしまったのでしょうか。寡黙そうな人なのに、気を遣って話をしようとしてくれた。
ああ、なんて優しい人なのかしら、と思った。その矢先でした。
「ああ、今の時期はトマトがよくなってますね」
「…………」
「まさか、野菜が嫌いなんですか?」
このほんの一瞬の会話が、穏やかで生ぬるい空気を壊したのです。
あの人ったら、野菜の話になった途端に露骨に嫌な顔をして。トマトとは明後日の方向を見て。
対して私、恵美子の好きなものは一に野菜、二に野菜、三に料理。
「そんなだから痩せっぽちなのでは?」
「……野菜がまずいのがいけない」
「……なんですって!? 野菜がまずいわけないでしょう!」
「不味いものは不味い」
「食わず嫌いはいけませんよ! 私の作っているトマトを食べてみなさい絶対美味しいですから!」
「嫌なものは嫌だ」
「この頑固者!」
先ほどまでの距離はどうしたのか。いつのまにか口論に。
「いいから食べてごらんなさい!」
「そこまで言うなら食わせてみろ」
「うちに来てくださればいくらでも!」
売り言葉に買い言葉。息が切れて口論が途切れた時、お互いによくわからなくなっていたのでした。
こんなしょうもない会話が、あの人との、はじまり。
*
「……起きたか。いくら天気がいいとはいえ、もう寒い。外で寝るな」
目覚めると、ケネス様がこちらを覗き込んでいて。あらまあ、寝てしまっていたようね。
「何か、大事な夢を見ていた気がするのに、忘れてしまいました……」
「夢なんてそんなものだろう」




