レイモンドの反撃
とうとうこの時が来たのかと思い、膝から崩れそうになったが必死に耐えた。前髪はレイモンドによって左右の耳にかけられ、露わになった瞳を心配そうに覗かれている。
「意外と驚かないんだな」
「手紙を…、貰っているから。偽名でごく偶にしか届かないけれど、書いてあったの『何が起きても惑うな』と。きっとその婚約のことなのでしょうね、ふふっ、彼らしいわ」
分かっている、これは強がりだ。
でも、言ってどうなるのだ。
不安だと、
他の女性と婚約だなんて、
胸が張り裂けそうだと。
「ヴェロニカ…、俺の前では強がらなくていいんだよ。あの頃に比べれば立場も随分変わったからな。もし、あいつを諦めて俺を選んでくれるなら、その望みは容易く叶えられるだろう」
「レイモンドったら、私を慰める為にそういう冗談を言うのは止めてちょうだい」
「なっ、ヴェロニカ、冗談じゃなくて、俺は!」
「えっ?…あっ」
気付けば大勢の人々に囲まれていた。
慌てて前髪を元に戻し、正面に立っているレイモンド越しに周囲を見渡すと、エミリーやその取巻きたち、それに風紀を正すことに己の命を懸けていると評判のバーバラ先生の顔が確認出来た。多分、男女2人きりになってはいけないという校則を振り翳すことで、私を責めるつもりなのだろう。
ニヤリと笑ったかと思うと、エミリーが一歩前に出て私たちを詰り出す。
「こんな人気のない場所で、男女が2人きりだなんて淑女の風上にも置けません!しかもヴェロニカはこともあろうにアンドリューと婚約中の身。王命とは言え、こんな浅慮で節操の無い相手を宛がわれたなんてアンドリューが可哀想」
はいはい。
「バーバラ先生から理事長を通して陛下に進言いただくことは出来ないのでしょうか?あの清廉潔白なアンドリューの婚約者が、こんな恥知らずではローランド家の行く末にも影を差すことになりますわ!」
凄いな、今回は先生まで巻き込んでしまうのか。
私の母と同世代のバーバラ先生は確かに風紀を乱す者には厳しいが、その伴侶が文官の職に就いているお陰で俗世事には聡い御方だ。だからレイモンドの身分について当然知っているだろうし、私との関係も分かっているはずなのだ。
かと言って、校則は校則だから特例を許すと後々やり辛くなるだろうし、バーバラ先生はいま正に窮地に立たされているとも言える。助け船を出したいとは思うのだが、ここで私が反論しても事態は収束しないだろう。
あれこれ思案していると、レイモンドがその背中で私を庇う様にして声を張る。
「はあ?お前なんかを侍らせている、アンドリューが清廉潔白!」
「お、お前って、なんて下品なの!よく聞きなさい、アンドリューは公爵家の子息で、本学院の中でも一番身分が高いんだから。それを貶めるような発言をして、いったいどういうつもり?!」
バーバラ先生に掴まれた腕を振り解きながらエミリーは更に続ける。
「いま私の友人がアンドリューを呼びに行ったから、本人の前で謝罪なさいッ」
「お前、名前は?」
「人の名を訊ねる場合は、先に名乗るべきよ!」
「俺の名は、レイモンド・ラングストン」
途端に周囲が騒がしくなる。さすがに隣国の王族の名を、知らぬ者はいないのだろう。
「レイモンド・ラングストン…知らないわね、爵位は何?」
訂正、どうやらエミリーは知らないらしい。
「隣国の王甥だ」
「りん…ごく…?」
「この国は東南を海に囲まれ、隣国と呼べるのはガルツィ王国しか無いだろう。まったく、お前はバカなのか?」
「えっ、ガルツィ王国?!」
ここで漸くアンドリューがやって来て、苦笑いをしながらエミリーの口をその手で塞ぐ。
「お許しください、レイモンド様。この者は辺鄙な山奥で育った女ゆえ、世俗事に疎いのです」
「はっ、アンドリュー、都合の悪い時だけ俺に敬語を使うな、寒気がする。そんなことより、その女の名前を教えろ。あ、そこにいる取巻きの奴らもな」
先程までの勢いは何処へ行ったのか、エミリーとその取巻き連中の顔色はこのまま倒れそうなほど真っ青だ。
「聞いてどうするんだよ」
「分かってるくせに。俺、これでも一応さ~、国賓扱いなんだよね~。元婚約者に対する非礼をこのまま見過ごせないだろ?現在の婚約者が不甲斐ないから、俺が頑張るしか無いじゃないか」