レイモンドのこと
目の前にいるレイモンドとの婚約は、僅か1年で解消されてしまった。
そもそもこの人は私の好きなあの彼の友人で、彼が私を迎えに来てくれるまでの時間稼ぎ…つまり、仮初の婚約者だったのだ。
勿論、まだ10代の子供が最終的には王命という形で取り決められる婚姻に干渉出来る力など持ち合わせていない。けれど彼はいつの間にか父親経由で宰相やその側近に要望を伝え、交渉を済ませていたのである。
そうして1年の月日が順調に過ぎたが、事態は意外な結末を迎える。
レイモンドの父リチャード・ラングストンは元々、領地を持たない貴族の一人息子だったそうだ。常に困窮していた両親を助ける為に一念発起し、材木業で財を成した苦労人なのだと。
そんな若くて野心家でもあり、知性に溢れたリチャードに恋をしたのが、隣国ガルツィ王国のフェリシア王女だ。外遊中に参加した仮面舞踏会でダンスを踊り、そのまま二人は恋に落ちたと聞く。周囲の反対を押し切る…と言うよりも、既に妊娠していたせいで仕方なく婚姻を認めるしかなかったと言うのが正解のようだ。
ガルツィ王国は広大な土地を持つ大国だが、それは好戦的な国民性であるが故、近隣国を戦争によって統合し続けた結果そうなってしまったらしい。好戦的と言っても気性が激しいのではなく、裏表の無いハッキリした性格とでも言っておこうか。欲しければ『欲しい』と口に出し、それを手に入れる努力は惜しまない…それがガルツィ王国の人々の気質だ。情熱的という表現の方が相応しいかもしれない。
とにかくレイモンドはそんな庶民的な父と、情熱的な母との間に生まれた。
ガルツィ王国は一夫一婦制なので、王族として生まれる子は他国に比べるとかなり少ない。現国王とフェリシア様に於いては2人きりの兄妹で、その現国王には王女が1人しか生まれなかった為、レイモンドが王座に担ぎ出されそうだという話はたびたび耳にしていた。レイモンド自身は、商人として暮らしていくことが夢だったようだが、残念ながらそれは実現しそうにない。
そう、私と仮初の婚約をしたせいで、この人の人生を狂わせてしまったのだ。
「なんか今更だけど…ごめんね、レイモンド」
「バカ、謝ったら本気で怒るぞ。あれは何もかも親父が悪いんだ!」
──当時は業界2位だった、ラングストン家の材木会社。これを更に飛躍させようとしたリチャード社長は、してはならない選択をしたのだ。
『追い詰められていたんだ』
…と後にその人は打ち明けている。己の技量だけで這い上がったはずが、隣国の王女を娶る際に公爵の爵位を与えられたせいで、全ての努力が泡となって消えたのだと。慣れない社交界と上辺だけの交流。それに寄って疲弊した精神を更に削ってくる周囲からの誹謗中傷。
王女を誑し込んだお陰でここまで事業を拡大出来たのだろうと妬まれ、本当は卑しい身分の癖にと蔑まれ、嫌がらせは増えていく一方。ここ数年は国へ水増し報告をするほど売上は落ち込んでおり、それを思い悩んだ結果、愚行に走ってしまったのだよと。
『ヴェロニカ、今晩は嵐になるそうだ。このまま我が家に泊まっていくといい』
それは、ツィタライエンの森で山火事が多発すると懸念されていた時期で、ラングストン家の領内に幾つか点在していた森へ水を与え終わり、帰ろうとした矢先のことだった。
『はい。ではそうさせて頂きます』
予定はみっちりと詰まっていたものの、一泊くらいならば問題は無いだろうと考え、厚意に甘えることにした。同行していた父と侍従が急用で先に帰ってしまい、単独だったということも理由のひとつだ。ところが残念なことにその翌朝、私はラングストン家の敷地内に建っている別邸の地下室で監禁されてしまうのである。
バカな。
そんなバカな。
こんなことをすればどうなるか、分かっているだろうに。
「開けてください、リチャードおじ様!もし、他の領地の森が火事になったら…森だけでは無く、周辺の家屋や人にまで被害が及ぶかもしれないのですよ?!」
「案ずるな、ヴェロニカ。他の領地の森が燃えてしまえば、きっと我が社の木材が売れまくるに違いない!」
その時のリチャード・ラングストンは、明らかに正気を失っていた。