第十八話「使命」
リョーマは召喚された。
もっと言えばゲートを潜り、異世界へと足を踏み入れた。
日本の大学生だったアカツキ・リョーマはこの信じ難い事象を何とか飲み込もうとしている。
この中世を連想させる城は、先程ランニングをしていた海辺とは世界観が違う。
そして、帰りのゲートはない。
走っている中突如紫色のゲートが現れ、気づいた時には帰れなくなっていたのだ。
途方に暮れていたところを城の如何にも王が居座っていそうな場所で、口元を布で覆った女性に出会った。
だが違う言語だった。
英語じゃない。
恐らくイタリア語かスペイン語……だがこの城は明らかに別次元だ。
なんせ雲の上にある。
そしてこの女性もファンタジーを連想させる格好をしており、リョーマは彼女の指差す下へ赴くべきと悟らされるのだった。
この城の下に何かあるのか?
日本語で尋ねようとしたが、無駄だった。
女性は煙と共に消え、城の中は再び沈黙で包まれた。
(何だったんだあの人……)
此処が何処で何時代かも分からないし、さっきの女性はどこか青白く光っていた。
幽霊みたいに……だから消えたりできるのかな?
何にせよ帰れないとマズイ。
ここは彼女の助言通り下へ向かうべきか。
先程のゲートのあった場所には大きな鐘のような物があった。
そこから真っ直ぐ行った所に王の間はあったのだが、先程の女性以外誰もいない。
嘗ては王国が栄えていたが、今は使われなくなった城といったところだろうか。
リョーマは鐘の前から王の間に来る途中、曲がりくねった階段があった事を思い出した。
雲すら見下ろせるこの城は、かなり高い位置にある事が推測されるので、当然空気は薄い。
全くなんて所に連れてこられたのだろう。
自分はただランニングしていただけなのに……。
言ったところで始まらなかった。
取り敢えず螺旋階段を降りよう。
そう心に決めたリョーマはあの女性の指示に従い、下へと向かう決意をした。
そしてとんでもない物に出くわす。
腐った人間の死体だった。
階段の中程に何故こんな物が。
自身の死を連想させる物体が放つ恐怖を押し殺し、リョーマは降りた先の広間へと足を踏み入れた。
シャンデリアが吊るされた広い空間は一見の価値がある。
だがそれよりも。
ゾンビのようなユラユラと揺らめく死体が、部屋の中央からのらりくらりと接近してきていたのだ。
まるで意思を持って行動する彼らは、明らかにリョーマに殺意を抱いていると言えた。
「う、うわぁあ!」
剣による縦の斬撃。
なんとか左にかわすが、なんて物騒な。
リョーマは敵の剣の柄を握りに行っていた。
腕力で勝てるとは限らないが、斬られるわけにはいかない。
そこへ、もう一体のゾンビが姿を現した。
(だが知能はそこまで高くないだろう……!)
リョーマは二匹目の剣の攻撃を、一匹目を盾代わりにして防いだ。
血。
大量の血が背中から貫かれた一匹目のゾンビから飛び散った。
今だ。
力尽きた一匹目から錆びた剣を奪い取る。
(喰らえええ!)
無我夢中で二匹目の首を飛ばした。
何とか生還できた。
余りの緊張感に、肩で息をしている。
問題は山積みだった。
先ず錆びた剣が本当に錆び切っておりこの先に待ち受ける敵と戦えるか不安なとこ。
そしてもう一つは言語が通じないところだった。
これでは人に会ったとしても助けてもらえる可能性が低い。
だが躊躇してもいられない。
こうなったら意地でも下にたどり着いてやる。
リョーマは平和な日本育ちだった。
そんな彼が突如現れたゲートを潜った途端、命懸けの戦いを迫られるのは理不尽極まりないが、ゲームの世界と思うしかない。
死と隣り合わせだが、余りの緊張感に脳が現実逃避している。
広間を抜け、木製のエレベーターに辿り着く。
レバーを捻ると鎖が作動し、ガタガタと音を立てながらリョーマは更に下へと降りていった。
長いエレベーターだ。
かなり下の方まで来たらしい。
だが降りた先には鎧姿の騎士が待ち伏せていた。
リョーマは装備の整った騎士を前に戦意喪失していた。
どうせ斬ろうとしても弾かれる。
つまり逃げるが……勝ち!
迫り来る斬撃を逃げるように前転してかわす。
死にたくない、死にたくない!
小さなエレベーター室を出た先に、あの女性は立っていた。
手の平から炎を生み出し、徐々に成長させ騎士に投げつける。
炎を受けた騎士はみるみるうちに崩れてゆき、やがて動かなくなった。
助かったのだ。
リョーマは騎士の装備を剥ぎ取った。
そして剣と盾も。
これで先程よりかはまともに戦えるはずだ。
そして女性の言われるがまま外の庭園へ。
生っていたのは、見たこともない虹色の果実だった。
これを食べろと言うのか。
そういえば腹は空いていたが、それにしても怪しい果物だ。
まあいい……そこまで言うなら食べてみよう。
ムシャリ。
味は不味くない。
少し酸っぱい林檎みたいだ。
だが注目すべきは果実の齎した効果だった。
なんと女性の言語を理解できる!
「私の名前はキアラス。ようこそ我々の世界へ」
一体、何だってんだ……?
「アンタが俺をこの世界に呼んだのか?」
「いいえ。私にそれほどの魔力はないわ。私は只の占い師。でも貴方の味方よ」
そういえば占い師っぽい格好だ。
一体全体此処は何処なんだ。
「此処は想像世界。貴方は三千年ぶりに召喚された異世界人。そしてこの城は大陸の中央ロンダルギアの天空の城よ。お分かり?」
いや……分からねーって。
取り敢えずやはり異世界らしいがこのお姉さんは幽霊らしかった。
彼女らの言葉で表すなら「幻影」。
既に死んだ者が死にきれずに青白い光を帯びて生き延びているという。
「我々幻影をきちんと死なせるのが貴方の使命。その為には古龍を倒さなければならない」
キアラスが着いてきてと言うので庭園の奥へと進む。
移動の最中も彼女の言葉は続いていた。
「古龍との敵対は貴方があの虹色の果実を食べた事から始まってるわ。神々の意思に背いた者として……貴方は古龍『アルマゲドン』を倒す宿命を背負ってるの」
あの果実ってそんな危険な物だったのかい!
だがリョーマは幻影ではない。
他人の不老不死(殺害されれば死ぬらしいが)の苦しみを解くために古龍と戦わねばならないのか。
不満そうなリョーマに構う事なく、キアラスは庭園から地下に続く井戸のような物を降り始めた。
取り敢えず一人は嫌なので着いていくしかない。
聞けば三千年前神々は死に、その時に幻影という概念は誕生したそうだった。
倒した者のうち、一人は自分と同じ異世界人。
名をーー。
降り切ったところで篝火の傍に石像が立っていた。
「レナ・ボナパルトーー」
嘗ての神々に変わって崇拝されるようになった英雄と言った話だった。
キアラスの話はまだ続く。
それにしても暗い場所だった。
だが石像の奥にあった広い空間は六角形に縁取られそれぞれの隅に六つの鏡が立てかけてあった。
どう考えても怪しい場所だ。
「貴方はレナに代わる選ばれし者ーー」
キアラスの目は澄んでいた。
「此処から六つの小国それぞれに移動し、仲間を集う事は可能よ。お勧めはそうねぇメタスかしら」
鏡を潜れば瞬間移動できるのか。
ここ想像世界はロンダルギア含め七つの小国から成るらしかった。
「私は占い師だから貴方が此処に来る事は数日前から分かってた。この世界での活躍、期待してるわよ」
そう言われてもなー。
「仲間を集ううちに元の世界へも戻れるようになる。私が保証するわ。だから頑張ってね」
それを聞きたかったんだ。
俺は平和な日本でカツ丼を食う未来を想像した。
やるっきゃねー。
古龍を倒せるかは分からないけど、絶対元の世界に戻れるよう仲間を探し出してやる。
「そう言えば俺って誰に召喚されたんだ?」
「分からない。占い師だからって全てを見通せるわけじゃないの。でも覚えていて。私は清い心を持った者の味方よ」
キアラスがウィンクした。
二十歳である自分より歳上なのは間違い無いが、リョーマはキアラスの歳を詳しく予想できずにいた。
じゃあ先ずはーーお勧めのメタス。
キアラスによると竜人アレクサンダーなる男が協力的かもしれないと言う。
決まりだ。
アレクサンダーは竜人だが、古龍とは敵対しているらしい。
リョーマは言われた鏡に手を突き出した。
すると腕はぬーっと中に吸い込まれていった。
表面は何やら霧で覆われている。
覚悟を決め、リョーマは鏡の中へと進み寄った。
ーーメタスの森ーー。
大陸の南東部に位置するらしいこの場所は、クレイモアと呼ばれる要塞都市に繋がっており、先ずは西にあるそこへ向かうべきという話だった。
とは言えリョーマに土地勘は無く、森で迷うことも当然考えられた。
持ち物はない。
魔術も使えない。
強いて言えばこの名前も分からない剣と盾と鎧が、唯一の生き延びる手段だった。
銀色に光る鎧。
見てくれは悪くないが、古龍アルマゲドンを倒せるとは到底思えなかった。
いや、自分の冒険はまだまだこれからだ、そう心の中で呟き薄暗い太陽の沈む西へと歩を進める。
そう、この世界は陽が出ていても薄暗い。
何故かは分からんが……。
取り敢えずはクレイモアに赴き、アレクサンダーと出会う事だった。
「アハハハハ」
何処からとも無く少女の笑い声が聞こえた。
やや気味が悪いが敵対者とは限らない。
リョーマは剣に手を添えたまま、耳を澄ましていた。
「アハハハハ」
まただ。
しかもさっきより鮮明に聞こえた。
森の奥から近づいてくるこの気配……。
キアラスと同じ幻影か?
後ろを振り返ると木の陰に彼女は居た。
金髪三つ編みの十六、七歳の少女。
「私の名はキャンディス。お兄さん死んでないの?珍しいね」
キャンディスは満面の笑みで此方を見てくる。
取り敢えず斬り殺す事はないだろう……。
リョーマは剣の柄から手を離し、両手を上げ敵対するつもりはないと意思表示した。
「君は幻影なんだな?丁度良かったクレイモアまで連れてってくれ」
「お兄さんクレイモアに?別に良いけど……」
キャンディスはクスリと笑い、木の陰からちょこんと出てきた。
白い衣服を着ており、背は高くない。
だが何だろう……この只者じゃない感じ……。
「お兄さん魔力が読めるの?」
「え?あ、ああ……」
「ふーん……」
キャンディスは少し考えるような仕草をし「面白い事になるかもね」と笑ってみせた。
この彼女から発せられるオーラを、この世界では魔力と呼ぶのか。
魔力が高い彼女を仲間に誘うのは悪くない。
だが問題は誘い方。
古龍を一緒に倒そうとこの若い少女に言うのはいかがなもんかと。
「ロンダルギアにキアラスさんっていう優しいお姉さんがいるんだ。来てみない?」
しまった、遠回りし過ぎた。
だが後には引けない。
「『キアラス』かぁ……キャンディスと似てるよね?」
ああ語呂が?
いやそうじゃなくて君が仲間になるか知りたいんだ。
もしや天然混じってるなこの娘……。
リョーマは頭の後ろを掻き「アルマゲドン……」と呟いた。
これで反応を見る……ってすげぇ食いつきようだなオイ。
「まさかお兄さんアルマゲドンを倒しに行くのー!?もしやあの予言の子の正体?」
身を乗り出すキャンディスは古龍を恐れてはいないようだった。
首を傾げたまま今度はブツブツ言ってる。
キアラスさんに比べたら個性的だなオイ。
だがこの少女から発せられるオーラをキアラスからは感じなかった。
もしかしたらとんでもない収穫なんじゃ……。
「うーん私無理。倒せる気がしないんだもん」
何だよあれだけ期待させておいて。
だがこの少女ですら古龍を倒すのは不可能と思い知らされるのか……自分の使命って一体どれだけ大袈裟なものなのだろう。
「でも魔術を教える事は出来る。先にロンダルギアに行ってるね」
「オ、オイ!クレイモアまでの道のりはどうすんだよ!」
あーあ行っちゃった……。
凄い破天荒な娘だな……だがロンダルギアに戻れば魔術を教われる。
アルマゲドンの討伐を正直に打ち明けて良かった。
いや遠回しに呟いただけだが。
とにかくリョーマにはこういった人の繋がりが必要だった。
灰色の太陽の沈む、西へと再び歩き出す。
メタスの国は穏やかだった。
キアラスが最初に勧めたのも頷ける。
敵も……怪物とまでは呼べないものがたむろしている。
緑色の肌のゴブリン。
それも一匹や二匹ではない。
合計四匹の身体一メートルほどのゴブリンが此方に気づき棍棒を片手に接近してきた。
だが戦いはリョーマの生きる糧となる。
この身が滅びるまで……避けては通れぬ道だ。
剣を抜いた。
嗤い声と共に襲いかかってくるゴブリン達だったが、腕力は此方の方が上だった。
(盾で棍棒を弾き、貫く!)
渾身の一撃は草木を血で染めた。
あと三匹、こちらの手際の良さに眉間に皺を寄せている。
だが大人数相手だろうと負けるわけにはいかない。
棍棒は鎧の腹部にヒットしたが、何とか耐えれる一撃だった。
ロンダルギアで鎧を手に入れておいて良かった。
だがこう何発も喰らってたら流石にあぶねーよなぁ!
二匹ほぼ同時に首を飛ばした。
少しずつだが確実に剣の腕は上達していくだろう。
残る一匹は震えて逃げ出した。
戦闘は終わった。
死んだゴブリンのポケットから薬草を奪い取る。
傷口が深い場合は使うと良いだろう。
薬草三枚、悪くない報酬だ。
メタスの森には見たこともない鮮やかな蝶が飛んでいたが、鹿やゴブリンと言った大型の生き物を生息していた。
これでも弱い方だろう。
他五つの鏡を潜れば竜や騎士といった奴らと戦う羽目になるかもしれない。
またキャンディスみたいな出会いはないかなーと期待をしながら西へと歩み寄る。
この森を越えればーーきっとクレイモアだ。
リョーマは剣を片手に携えたまま、小さな滝を素通りした。
岩場にあった川を飛び越え、いよいよ要塞都市らしきものが視界に薄ら見えてきた。
間違いない、あれがキアラスの言っていたクレイモアだ。
広そうなのでアレクサンダーと直ぐ出会えるかは分からないが、あそこなら宿屋もあるだろう。
薬草を売り、食べ物を買うことすら可能なはずだった。
元の世界のゲームでもあったよな?
基本物は高く買い取られ、安く売られる。
つまりこの薬草は大事にしなければならないのだ。
他にも何かアイテムがあったらねえ……と辺りを見回していると荷車を引く牛とそれを誘導する男に出くわした。
アイツを襲えば荷物は自分の物に……!
だがそれは倫理観に反する……取り敢えず話しかけてみよう。
「わ、私はクレイモアを目指すしょ、商人だ。な、何だ貴様は」
「俺はリョーマ。同じくクレイモアを目指してる。どうせなら一緒に行こうや」
「い、良いだろう。だが荷物には触らせんぞ」
「分かってる分かってる」
どうやら気の小さい人のようだ。
だが数字には強いかなんかだろう。
そうじゃないと商売などやっていけない。
この物騒な土地を護衛も無しに移動なんて馬鹿げているがな。
リョーマと商人は仲良く丘を下りだした。
「この世界はなんで暗いんだろう?」
「お、お主そんな事も知らないのか?あれは有名な魔女のせいだ。此処から北へ登ったマジョルカに住む女の魔力が、そ、そうさせている」
なるほど魔女か……いずれぶつかる相手になるだろう。
「しゃ、喋ってる間に着いたな。私はここで失礼する。あとコレを」
男は小さな札を懐から取り出した。
「商品売買の時にこの札を見せれば有利になる。だ、大事にしろよ」
「おっ、サンキュー」
やはり悪い人じゃなかった。
早速町で使ってみよう。
リョーマはふーっと一息つき、左右に門番が立っているクレイモアの門を潜った。




