第十四話「退屈」
男の名前はアレク。
アレクサンダー・レイドロー。
漁師の子として生まれたアレクは此処アラナミ村で育った十七歳だ。
髪は生まれつき黒をベースに外側だけ赤く、ツンツンしている。
背は百八十センチ弱と高めでやや細身だが彼女は居ない。
この村の娘たちに惹かれる事はなく、チェリーボーイとしてだが村の恋愛気質の者たちを見下している。
そんなこんなで今日もハンモックで横たわる。
この村は平和なこった。
正直漁の方は親父に任せっきりだが、代わりに剣の腕を磨いてきた。
いつか役に立つ日が来るだろうと勝手に考えていたアレクは、四年前に買ってもらった剣を振るい村の子供たちの中では孤立していた。
パイオニアはいつの日も異端児扱いされるものである。
金になるのは漁師ではなく町の騎士だということを予感していた。
だが誰も相手してくれない。
剣を買ってくれた親父でさえも心の底からアレクを信用していると言うよりは趣味程度と考えている節がある。
知ったことか。
剣を磨き強い男になる。
バケモノを退治できればそれこそ金貨数十枚は貰える。
そしてーー何よりロマンがある。
いつか世界中を旅してみたいんだ。
この事を詳しく誰かに打ち明けるという事は無かったが、アレクには確かな野望があった。
窓から青空に浮かぶ雲を眺めた。
このアレクと同じように、雲はあてもなく空を漂っている。
現在退屈じゃないと言えば確かに嘘になる。
とは言え呑気なアレクは親の脛をかじりながら剣を磨くこの日常を、特別嫌ってはいなかった。
この剣が役に立つと何処かで確信していたからだ。
アレクが起きる前から親父たちは漁に出かけている。
藁で出来た家の一階では母親が朝食を作っているはずだ。
つまり何不自由ないのだ。
ひたすら己を磨き続け、やがてはそれを開花させる。
四年前まではのんびりとした一般的な男子だったが、思春期に差し掛かり考えが変わった。
大剣士カイザを超えるような立派な剣士になる。
因みにカイザは王に仕える騎士で剣の腕は国一番と言われている。
アレクは伸びをし、ハンモックから起き上がった。
一階で出来上がった目玉焼きトーストの匂いがしたからだ。
こんな生活をしているアレクを実は見下している者もいるだろう。
こんな辺境の村で剣なんか振るって馬鹿なんじゃないかと考える者もいるだろう。
だが動じない。
遥が遠くに聳え立つ首都兼要塞都市「クレイモア」の存在を知った時からアレクの剣術への情熱は消える事を知らない。
階段を降り切った。
母親はどちらかと言うと愛情深い人だが、アレクの野望については何一つ口出ししてこなかった。
陰で応援しているかは分からないが自分にとっては好都合だ。
「アレクー、アリサちゃんが今朝あんたに用事があるって言ってたわよー」
アリサはアレクの幼馴染で顔は悪くないが恋愛対象には入っていない。
お互いにとって気の合う仲間と言ったところか。
アレクはトーストに齧り付いた。
それにしてもアリサがねぇ……。
「後で会いに行くよ」と母親に告げガブリガブリとパンを食す。
目玉焼きには胡椒が振ってあり、味は悪く無かった。
唯一話してて退屈しないのがアリサだった。
同い年の女の子だが何の用事で来たのか思い当たる節がない。
仕方ない剣の稽古がてらアリサの家に向かうか……。
アレクは部屋の隅に立てかけてあった剣を手に取り、家を跡にした。
ここアラナミ村は五十人ほどの者が暮らす小さな村だった。
潮風が心地よくカモメが鳴いている。
平和そのもの、のはずだった。
「アレクお前まだ剣なんか担いでんのか?その細い腕で良くやるねー」
村の大人たちがいつもの通り小馬鹿にしてくる。
ギロリと睨んだが、嗤い声は止まらなかった。
チッと舌打ちし目の前を通り過ぎる。
この前まで舌打ちすら出来ない餓鬼だったが、強くなりたいと怨念のように願い続けると次第と恐怖は消えていった。
最終的に気の強い男は子供時代弱かった場合が大きい、と何かの本で書いてあった。
本を借りるのも、これから向かうアリサの家からだった。
だがそろそろ村の大人たちを黙らせないとマズイ。
剣の腕は少しずつ、だが確実に伸びてきているがアレクのハラにも限界はある。
斬ってやろうかとは流石に思わなかったが、一回ギャフンと言わせたいものだ。
先ずアリサに会ってその後稽古に移ろう。
そう決めたアレクはアリサの家の前で「お邪魔します」と叫んだ。
子供じゃあるまいし嫌な台詞だったがこれ以外思いつかないのだから仕方ない。
どちらかと言うと頭は良くない方だった。
だが妄想力はある。
一流の剣士になって旅する妄想などはお手の物だ。
「アレク!」
出迎えたのはアリサ本人だった。
三つ編みの茶髪にそばかすで、先程も言った通りブスではない。
嗚呼悲しいかな男は恋愛を顔で判断する。
だがこのアリサに限ってはどんな顔であろうが恋愛感情は浮かばない気がした。
「今朝海辺でね、ボトルに入った手紙を見つけたの。一緒に開けてみない?」
何だそんなことか。
これがアレクアレクサンダー・レイドローの日常。
時たま変わり映えのある事をこのアリサが運んでくれるが大した手紙の内容じゃないだろう。
「分かった。読んでみようぜ」
欠伸をしながら答えるアレクはアリサの家の中に入った。
テーブルに置かれたボトルの中には確かに便箋のような物が入ってある。
どうせロクでもない手紙だろう。
アレクはアリサの代わりに栓を抜いた。
『三千年前の君に送る。アルマゲドンを倒し、世界に平安を齎してくれ』
アルマゲドン?聞いたことない。
おまえに三千年前ってなんだよ、悪ふざけとしか思えない。
馬鹿馬鹿しいと思ったアレクとは対照的に、拾ったアリサ自身は興味深げに見ている。
どうせいつものくだらない日常弁当のお惣菜に過ぎないんだこんなモノ。
「それだけか帰るぜ」
と一蹴したアレクを「酷くない?」と首を傾げるアリサ。
知るか剣の稽古があるんだ、と家を跡にしたアレクだったがこれが彼女と交わす最後の言葉になるとは知る由もなかった。
ブルンブルンと剣を振るう。
村の空き地はアレク専用の練習場。
剣の長さは八十センチ程で、昔は重くて両手で握っていたが今は片手で扱える。
ついでに盾も欲しいところだが、アレクの家庭は裕福じゃない。
剣が貰えただけでも感謝しないと……な!
藁人形に斬り込みを入れた。
自作の藁人形はもう既にボロボロだが良い練習相手になる。
人形を作るよう促したのはアリサだった。
村の餓鬼共がからかいに来る前に終わらせる!
剣は藁人形に深々と突き刺さった。
馬鹿にしないのはアリサだけだった。
そう言った意味では貴重な存在。
便箋の事もうちょっとしっかり見てやるべきだったかなぁ……。
ええい知るか、そう言った細かい気遣いは苦手なんだ。
チェリーボーイアレク様の剣の稽古は終わった。
何処からでもかかってこい。
腕が細かろうが素手の町の奴らなど相手にならない。
いざとなればこの村で一番強い、そう考えていた。
村の餓鬼共は今日は来なかった。
いやその前に自分が退散したのか。
いずれにせよこれがアレクの変わり映えない人生だった。
いずれ嫌でも波乱の波に飲み込まれるのだが、この時のアレクは半ばのほほーんとしていた。
レイドローの家の一人息子の十七歳は、刺激に飢えかけていた。
家に帰ろうとした時、何処か遠くで聞き覚えのない咆哮が聞こえた。
嫌な感じだ……バケモノか?
剣を持ってその方向へ歩き出す。
まさかいきなりデカイ竜と戦うなんてねーよな?
最初はちっこいゴブリン三匹ってのがお決まりなはずだ。
妄想では東の森に潜むとされる緑色の棍棒を持った身体一メートル程の魔物が初めて殺す相手だった。
妄想は大きく外れる事になる。
大きな赤い翼をはためかせる体長十メートルは優に越すドラゴン。
手首には腕輪に鎖が付いており禍々しい雰囲気を醸し出している。
「出たーバケモノだー!」
今朝アレクを小馬鹿にしてきた男たちとすれ違う。
自分はそんな腑抜けじゃねえ。
村の為に戦うんだ。
不意にアリサの顔を思い出した。
ドラゴンの居る方向……間違いねえアリサの家の近くだ。
走り出す。
心臓が高鳴り呼吸が荒い。
頼むアリサ無事で居てくれ……!
既に戦う覚悟を決めていた。
幼馴染を守りたい想いが恐怖をかき消したのだ。
ドラゴンは地響きと共に着地し、大きく息を吸い込んだ。
家から飛びだすアリサ。
竜の口から吐き出される獄炎が容赦なく家に降り注ぐ。
一歩家を出るのが遅かったら丸焼きにされていただろう。
嫌な夢なんじゃないか……?
何度も頬をつねりたくなる状況の中、アレクは焼き焦がされるアリサの家を目の当たりにした。
「アリサー!後ろー!」
アレクの声が虚しくアラナミ村に響き渡る。
全く村の大人たちは何してんだ!
こうなったら剣で倒すしかねぇ……!
無謀にも襲い掛かろうとした次の瞬間、アリサは噛みつかれていた。
その体は高々と持ち上げられ、鋭い牙の餌食になる。
(アリサ……!)
彼女の体は真っ二つに裂かれ、アレクは幼馴染の死を目の当たりにした。
グロテスクな死は一瞬アレクを暗闇へと陥れたが、直ぐに気持ちを立て直す。
「コノヤロォォォ!」
剣をドラゴンの太ももに突き刺そうと試みるも、鱗が硬くて弾かれる。
何度も何度も藁人形で練習してきたじゃないか……!
四年間の修行は何だったんだ?
こんなはずじゃ……こんなはずじゃ……!
再び斬撃を試みるがやはり硬くて通じない。
このままじゃ……食われちまう……!
グララギャアァァア!
鼓膜が潰れそうになる咆哮。
足がすくみそうになる自分がいた。
ここで死ぬのか……?
なんて退屈な人生だ。
町の大人共を見返す事も出来ず、アリサを救うのにも失敗しただ食われる……。
アレクは……アレクサンダー・レイドローは……何者だったんだ?
ドラゴンと目が合った。
足が震えている。
潔く死ぬことすら……出来ねえって言うのかよ……!
「ミタカ、コレガオマエノジツリョクダ……」
ドラゴンが人語を喋った。
思わず目を逸らしそうなるが睨み続ける……。
コイツはアリサを食ったやつだ絶対に許せねぇ。
「返せよ。アリサを返せ!」
再び剣で攻撃を試みた時、何かが光った。
眩い光で視界を奪われたアレクはバランスを崩しその場に倒れ込んだ。
だが光を嫌ったのはドラゴンとて同じ事……もがき苦しむ様子が耳から伝わってくる。
その時、誰かに持ち上げられた。
助けてくれるのか?
よく分からない状況だったが、もしかしたら光を放った人が手を差し伸べたのかもしれねぇ。
目が自由になった頃、目の前にいたのは灰色の肌の男だった。
ーーセンジュ族。
四本の腕を持ち濁った灰色の肌を持つ彼らは長い間この国で差別の対象とされてきたが、徐々にその認識も薄れてきている。
センジュ族の若者が口を開いた。
「君、勇敢だね。普通クランケーンには一人で挑めないよ?おかげで光玉を一個消費させられた」
クランケーン?
あの竜の名前だろうか。
本の間でしか知らなかったセンジュ族を初めて目の当たりにしたが、この若者はアレクを助けてくれたのは確かだった。
「僕の名前はグロンギ。君は?」
「アレクサンダー・レイドロー……」
どうやらアラナミ村の空き地の隅に連れてこられたようで、まだドラゴンは暴れている可能性が高かった。
「僕は偶々通りかかった退治屋だ。強力な魔物の気配がしたもんで立ち寄った。蓋を開けてみれば炎王竜クランケーンだ。君の幼い命を守る為に貴重な光玉を一個消費したが、二度目はないよ?」
「でも母さんを助けないと……!」
「恐らく村の者はもう助からない。クランケーンレベルだと僕でさえ一人では手も足も出ないんだ」
「そんな……!」
「でも君の勇敢なとこ見ちゃったしなー……。剣の腕はまだまだだけど将来化ける可能性もある。退治屋の僕について来るかい?」
クランケーンにアリサも母さんも殺させて一人逃げろって言うのかよ……冗談じゃねぇよ……。
「ついていくって何処へ?」
「要塞都市クレイモアだ」
噂では聞いたことがあった。
この国の首都にして金や権利が集まる要塞。
行ってみたいのは山々だが……。
「クランケーンに復讐したいならちゃんとした訓練を受けるべきだ。はっきり言ってこの村で何年修行したって炎王竜には絶対敵わないよ」
それに父親はどうかしらんが母親はもう居ない……。
アレクはこの村で生きていく術を失くしかけている。
母さん……ちっくしょぉぉ!
「分かったグロンギ……アンタについて行く」
こうしてアラナミ村での生活にピリオドが打たれた。
藁で出来た家々は全焼し見るに絶えない姿になっていた。
あのウザい村の大人たちならまだしも母さんまで犠牲になるなんて……絶対強くなってクランケーンを倒してやる……!
アレクは命の恩人グロンギに連れ出されアラナミ村を旅立った。




