第九話「悪雲」
少年の名はアシュラ。
ハモン・ヴェラスケスの子だ。
肌は生まれた時から灰色で腕は四本あり、この風貌からか世間からは避けられてきた。
あの親父を持ったばかりに。
今は大陸最西部のサイケ村でのんびり過ごしているが、十七歳になった今、村の大人達もアシュラの腕力に敵わず、誰も干渉しなくなった。
あの魔女でさえ、彼を支配する事は出来ん。
ハンモックに寝そべるアシュラが日の出を見たのは、そんな事を考えていた矢先だった。
まさかあの魔女が敗れたとでも言うのか。
にわかに信じられない話だ。
魔女の実力は父ハモンをも凌駕する。
村の長老が挨拶に来た。
アシュラはハンモックから起き上がる事もなく、「何だ?」
と睨みを効かせた。
「アシュラ。魔女アンドロメダ様が完全召喚の餌食となり瀕死の状態じゃ。この村の存亡を賭けて『聖水』を見つけろとの話じゃ」
「…………」
アシュラは特に返答する事もなくため息をついた。
魔女が死んだら好都合じゃないのか?
いやあの女の冷徹さを今だに恐れているのだろう。
だが彼は違う。
アシュラは魔女が来ようが西の勇者が来ようが正面から迎え撃つつもりだ。
「頼む……」
長老は土下座していた。
聖水は洞窟の奥にある。
トロールの縄張りであるそこへ赴けるのはこの村じゃアシュラだけだろう。
若者であるアシュラに六十過ぎの男が頭を下げている。
暇潰しに「聖水」を手に入れてやるか。
魔女の支配領域に住んでいるこのアシュラが三食飯にありつくには長老達と上手くやっていく必要がある。
それにしてもあの魔女が瀕死とはねぇ……。
「いいだろう。報酬はたんまり頂くぞ」
ヴェラスケス家は代々素手で戦う。
親父ほどの筋力は無いが、スピードならアシュラの方が一枚上手のはずだ。
それにしても此処テルミナ帝国跡地は本来なら父ハモンの土地だったはずだった。
東の東から現れた新興勢力アンドロメダ。
この七年間でこの世界全てを手に入れようとしている。
「早速の聞き入れ感謝する。因みに酷なようだがお前の親父さんもミルナ島で死んだそうじゃ」
「何!?」
ミルナ島にそんな強者がいたのか。
親父とは特別仲が良かった訳ではないが、誰が殺したかは気になるところだ。
「レナ・ボナパルト……」
確か異世界からの刺客だった。
新しい時代が訪れようとしている。
魔女は弱り、親父は死んだ。
この流れに乗じ魔女を殺してやろうか。
いやもう「聖水」を取りに行くと決めた後だ。
アシュラは難しい話を考えるのは昔から苦手だった。
「勇者レナとはいずれぶつかる事になるだろうな」
異世界の人間の肌が皆んな灰色だという可能性は……限りなくゼロに近かった。
噂ではレナは五人の美女を従えていると言う。
奴には孤独を理解する事は出来ん。
親父の敵討ちという形になるが、いずれレナを殺してやろう。
アシュラはモヒカンだった。
親父はスキンヘッドで、顔を布で隠していたが、彼は曝け出している。
人々に恐れ避けられるのはもう慣れた。
仲間など必要ない。
気に入らない奴は殺すだけである。
「そろそろ行くか……」
ようやくハンモックから起き上がり、藁で出来た家を出た。
迎える朝日は目に染みる。
数年ぶりの日の出は悪い気分ではなかった。
「親父……」
何となく西の海を眺めた。
母は自分を産んだ時に亡くなり天涯孤独である。
こんな姿に産んでこうも早く亡くなるのか。
魔女が「聖水」で復活すれば戦争は起こるだろう。
アンドロメダの性格なら完全召喚を成し遂げた西を許すとは思えない。
そして名声が欲しいレナはその戦争で必ず躍り出てくるはずだった。
長老達も本当は魔女に加担したくないのだろう。
だが彼女の持つ軍隊に逆らえば命はない。
アシュラと違い、生への執着は大きい村人は多い。
つまり力が全てなのだ。
そう思えばヴェラスケスの血を恨む気持ちも擦り減る。
この混沌の時代を乗り越えるべく闘うことになるのか。
名声に興味はない。
もはや何の為に生きているのかも見失ってしまった。
だから魔女などに加担するのだ。
自分が王に?
はっきり言ってそんな柄じゃ決してなかった。
「行ってくる」
長老にそう告げ、村人たちが一定の距離を空けて恐れながらも見送ってくる。
洞窟はトロピカルジャングルの奥にある。
道は、日が出た事もあり見失わないはずだった。
自分はこの大陸の南で生まれた。
それが七年前父の北伐に乗じ場所を変え、魔女に攻められ一般人に成り下り、サイケ村に流れ着いたのだった。
「ん?」
暫く歩いていると森の中で墓標が立っているのが分かった。
文字はレナ・ボナパルトと書かれている。
七年前の戦いで父ハモンに敗れた際の墓か。
だが奴は何故か生きているーー。
どう言うわけだ、グレンの魔法か?
答えを導き出せないままアシュラは墓の前を通り過ぎた。
洞窟はあと少し東に行ったところにある。
更に東に行けばそこはテルミナの都ゼラートで魔女も気に入っているとされるテルミナ城がそこにある。
アシュラは歩を早めた。
復讐かーー。
ハモンに負けたレナが七年越しのリベンジを果たした事になる。
その報復をするとなると連鎖は止まりそうない。
レナの傍には同じく勇者のナオミ・ブラストがいるのだ。
「着いた……!」
アシュラは四本の腕をそれぞれ組みポキポキと鳴らした。
トロールの背丈は四メートルを超えるだろう。
棍棒も持っているはずだが、奴の攻撃は当たらない。
人間離れしたスピードで撹乱する事が可能だ。
水の滴る音が聞こえる。
「聖水」は洞窟の最奥地に池として存在し、そこから袋に入れて持って帰れば任務は終了だった。
だがやはり現れるは緑色のトロール。
この洞窟の主だ。
お互い化け物同士、仲良く喧嘩と言ったところか。
「覇!」
アシュラは敵の棍棒を右上に飛び上がる事でかわし、洞窟の壁を蹴る事で反転した。
(顔面にーーパンチを……!)
四本の腕で二十発近い正拳突きを見舞った。
手応えあり……。
鈍いトロールも流石に痛みで顔を抑えている。
クルクルと回転しながら地面に着地。
呼吸を整え、フーッと毒霧を吐いた。
紫色の煙幕がトロールを襲う。
これで更に動きが遅くなるはずだった。
やはりこの程度の魔物では相手にならない。
テルミナの東の国境付近にあるフメア山の主ブルードラゴンならそれなりに骨がありそうだ。
敵がフラフラっとした所を迷わず追撃に移る。
父親譲りの必殺技「流星群」だった。
青白い光は容赦なく対象を焼き殺す。
勝負アリだった。
「さてーー、聖水を汲んで帰るか」
いやーー直接渡しに行こう。
魔女は恐らくゼラートにいる。
此処からそこまで遠くはない。
ゼラートは大理石で出来た家々が立ち並ぶ場所で、魔女の居座っている可能性が最も高い場所である。
更に東の山を越えた所から来た彼女は、褐色肌との噂だ。
チャプチャプと「聖水」を汲み、アシュラは洞窟を跡にした。
親父の流星群だったら洞窟ごと壊れてたか。
まだまだ伸び代があると言った具合だ。
トロピカルジャングルに出ると色とりどりの鳥達が鳴いていた。
異世界がどんなところか想像がつかないが、流石に虹色の鳥は居ないだろう。
それに耳を澄ませながら東へ東へと足を運んだ。
それにしてもあのレナの墓標。
今西にいる奴はアンデットだとでも言うのか。
暫くすると鳥達が何かメッセージを伝えようとしているのが分かる様になってきた。
人語を操る鳥……このアシュラになんか用か?
「ゼロシャノヘイキヲマジョハネラッテイル。ソレガカノジョノモノトナレバコノヨハオワル」
零社の兵器?
七年前この世界を荒らし、勇者ナオミを改造した奴らの遺産がこの大陸の何処かにあるのか。
良いことを聞いた。
兵器が想像世界を無に喫するならそれはそれで面白い。
自分を避けてきた世界への復讐だ。
冗談まじりにそんな事を考えているうちにゼラートについた。
大理石の家々が立ち並ぶこの場所で、七年前ハモンは四人の勇者を葬った。
中央のテルミナ城にあの女は居るはず。
アシュラは酒場や売春宿に目を当てる事もなく先を急いだ。
「アシュラ・ヴェラスケスが魔女に聖水を持ってきたと伝えろ」
鎧を着た門番が頷き道を開ける。
テルミナ城は数ある想像世界の城の中でも大きく、建設に歳月を掛けた建物だった。
「早くしろ胸が焼けるようだ……!」
最上階の女王の間に、褐色肌の女性はいた。
一説では歳は三十二とされており、金の衣を身に纏っている。
アシュラは「聖水」の入った袋を手渡した。
ゴクゴクとそれを飲み干す魔女。
次第に完全召喚による痛みは消え、世界にはまた明けない夜が訪れた。
魔女が言った。
「よくやったハモンの子アシュラ。わらわを救った功績を認め戦争では先鋒を任せてやろう」
やはり戦争か。
西へ船を出し、攻める。
頭脳に自信のない自分でもこうなる事は予想できていた。
「それにしても勇者共め〜。サルデア王国の民は皆わらわの牛馬として働かせてくれよう。そして」
アシュラは魔女アンドロメダの目から視線を逸らさなかった。
「やがては異世界へと侵攻するのだ」
そうかその為に魔女は兵器を探しているのか。
それにしても魔力の高まりがエグい。
先程とは打って変わって紫色のオーラが滲み出ている。
護衛の兵が両サイドに居たとは言え、さっきは又とない魔女を殺すチャンスだった。
まあいい。
戦争に参加すればレナ・ボナパルトと戦える。
「既に大陸各地より兵は集め出しておる。先鋒のアシュラにはこの鎧を授けよう」
「断る。俺の身体は鋼のように硬い。変な呪いにでもかかったら大変だしな」
アシュラの態度にムッとしたのか魔女はもうよい行け、と手で払った。
だが彼の言った事は事実だ。
呪いを持った装備など珍しい話ではない。
現に魔女の差し出した鎧は怪しい匂いがする。
「酒場でも行くか」
大理石の酒場へと足を踏み入れた。
まだ十七だが酒を飲めるのがこの世界の良いところだ。
「い、いらっしゃい」
店主の声よりも気になる存在。
確かなオーラを放つ女がそこに存在した。
鎖付きジーンズにファー。
厳ついピアスを開けた彼女は異世界の住人の匂いがした。
「アンタがヴェラスケス家の若造かい?噂は聞いてるよ強いんだってな」
歳は四十くらいか。
聞けば名をフィーネと言う。
アシュラは単刀直入に聞く事にした。
「アンタ異世界人か?」
「いやアタイはアンドロメダ様の右腕、テルミナ生まれだよ」
「その服装は目立つな」
「だろう?これも創造主グレンの産物だ」
グレン・シルバーウィンド。
創造主でありながらこの世界を支配できなかった負け犬。
そこへフィーネが耳元で囁いてきた。
「実はここだけの話……アタイはグレンとミルナの娘なんだ」
「何!?」
だから珍しい服を入手出来たはずだ。
だが何故その様な者がアンドロメダにーー?
アシュラは神々の子孫をまじまじと見つめた。
このような優秀な家系でも魔女の力には逆らえないのか。
「アタイは一時期ハモンの奴隷だった。それを解放して雇って下さったのがアンドロメダ様さ」
「俺はその憎き男の息子だぞ?」
「だが聖水を取りに行ったそうじゃないか。それに戦争にも参加するんだろ?アタイはお前さんに興味持ったね」
「フン……」
「さあお喋りは終わりだ。酒を頼みな。アタイはここで失礼するよ。混沌の時代……お互い生きて生きて生きた先に……楽園が待っていたらいいね」
「楽園……異世界の事か?」
神の子フィーネは嵐の様に過ぎ去っていった。
明るい人だから仲間も多いだろう。
彼女も戦争に参加するのだろうか。
聞きそびれたが、それよりも重大な秘密を知った。
魂を持つ生身の人間が、レナ以外にもう一人……!
グレン達の隠し子とも言える。
あの勇者マンティコアもミルナの片割れの女神の息子なので半神だが、フィーネは正真正銘神族である。
魔女に仕えた事でグレン達に見放されたか?
真相は定かではないが、強力な魔術を使うだろう事は安易に予想出来る。
「カシスソーダを頼む」
アシュラは席につき言った。
レナは七年ぶりにこの世界に舞い戻っている。
ゲートを出現させられるのは半神マンティコア・ライデンくらいのはずだ。
彼以外にもゲートを発生させる強者が……!
(この戦争……甘く見ない方が良さそうだぜ)
店主に差し出されたカシスソーダをグビッと飲み干し、アシュラはフィーネのピアスだらけの顔を思い浮かべた。
敵である男の子供なのに……あんな対応が出来るとは。
自分なら殴りかかっているところだ。
ありもしない様な出会いがあるもんだ。
天涯孤独と決めつけていたが魔女の下にいればああいう出会いもある。
時代の波に流されてみるのも一興だな。
生きて、生きて、生きた先に、このアシュラにも何かが待っている。
そう考えるなら戦争で名を挙げる事も悪い事ではない気がしていた。