【江戸時代小説/男色編】変愛(屁んあい)
その日、平助は腹の調子がよくなかった。屁がよく出るのである。
屁は江戸時代でも人前でするのは失礼とされており、陰間たちは屁が出やすくなる芋を食うのを禁じられたという。
「実に馨しい香りだ」
平助の屁の匂いにつられてやってきた侍がいた。名を小次郎といった。
「これはなんの匂いかな」
小次郎がうきうきした顔で尋ねるものだから、平助は咄嗟に「魚が焼ける匂いだい」と返した。
「それじゃあ、それをひとつ貰おうか」
そう返されて、慌てる平助。
(大変だよ、おいらの屁の匂いなのに、あのお侍さん、焼き魚の匂いと勘違いしてるよ、どうするよ……)
どう言って乗り切ろうかと平助は考え込んだ挙句、思いついたのがこれだった。
「これは焼きたてで熱っついから、火傷しちまうといけねぇ。お侍ぇさん、家はどこだい? おいらがそこまで持ってってやんよ」
「おう、そうかい。それは助かる。家はすぐそこだ」
平助の考えはこうだ。
まず夕餉にとっておいた魚を焼いて本当に焼き魚を用意した。それを袋に詰めて、侍の家に着く頃には匂いもおさまっているということだ。
(おいらの屁は結構匂うからな。気をつけなきゃな)
ふたりは小次郎の家へと歩き出した。
数分経った、そのときである平助はまたもお腹が張るのを感じた。
(うぐぅ、で、出るっ!)
すーーぅ。
透かしっ屁でなんとかやりきる。
「ん? なにやらまたいい匂いが……」
「さ、魚かなぁ。こうやって回せば熱っつい魚も冷めて、家に着く頃にはいい按配になってるってもんさ」
あはははは、と明るく気丈に振る舞ってみせるものの、内心、平助は気が気でなかった。
(や、また、出ちまうッ!)
ぷっ、ぷッ、プッ。
「おや、良い匂いと共になにか鳴った気が……」
平助はもはや赤面し歩くどころではなくなった。
「きっと小鳥が鳴いてるんですよぉぉお」
平助はひとり走って道をゆく。
ぶっ、ぶ、ぷっ、ぷッ、ぷすぅと平助の走るリズムに合わせておならが出る。
(うぅっ、止まらねぇ……!)
平助は恥ずかしさのあまり泣きたくなった。
平助が道端に座り込んでうずくまっていると、小次郎が平助に追いついた。
「なぜに泣く」
小次郎は平助の肩に手を置こうとした。しかし平助がその手を振り払う。
「触んなよ。おいらは汚ぇから!」
「汚のうない。ほれ」
小次郎は平助に立ち上がらせるとその唇にそっと口づけをした。
(へっ? おいら、いま口づけされてる?)
小次郎の腕に抱かれ、平助は抵抗するのも忘れた。
「知っていたさ。あの匂いはおまえの屁だったんだろう?」
うなずく平助。
「知っていて、いい匂いだと思ったんだよ」
世にも奇妙な出会いをした平助と小次郎であった。
おしまい