第五十四話 癒し
甘々なお話です
一時の苦しさから解放され、足りない空気を肺に満たすように酸素を取り込む。
また暗い空間に閉じ込められた。歩いてもいいが、何か遭った時の為に警戒しておかなくては。
違うサキュバスがまた襲ってくる可能性もある。その時はその時で壊してやろう。
「アーロ」
何処からか声がしたが、同じ手に引っかかるほど俺は愚かじゃない。
「もしかして疑ってる?」
何を当然なことを。どこの誰かも知らない女の声が突然聞こえたら警戒する。
「疑っているっぽいわね。それじゃどうしようかしら」
今度はヒールを履いていない。足音で底の浅い靴を履いているのだけは分かった。
少しずつ近づいてくる度に、森林の香り漂ってくる。
この匂い、何処かで……。
「あまり、こういうやり方はしたくないのだけど、私の事忘れてるからちょっとしたお仕置ね」
顔は見えない。その女が手を軽く叩くと、自分の心臓を何かがゆっくりと締め付けていく。
なんなんだ、この女は。何故、手を叩いただけで俺の心臓を。
「どうするの、アーロ。そのままだと私の事思い出さないまま死んじゃうよ?」
「あんたはいったい、誰なんだ」
「あれだけ私のことを想ってくれていたのに、忘れてしまったの?」
「何度も……?」
近くまで来てようやく女の顔が見えた。白く長い髪に緑の目、身長はおおよそ170cmほど。
胸はそこまでではないが、容姿で、声で、雰囲気で心を奪われる。
「会ったことあるのか?」
「何度も会ったわ。お互いなくてはならない存在になるまでね」
締め付けとは違うことで心臓が激しく鼓動している。頭に血が登らないせいで、考えるのも辛い……。
「わからない、おもいだせない。なんども、あっているなら、わすれるはずはない……」
目の前が霞む。立っているのもげんかいだ。
「心臓を壊しちゃダメって、私は前から言ってたわ。他の方法が見つかるまでやってはいけないって」
何も見えない。だが、女の気配が近づいているのだけは分かる。そっと触れた手が心地いい。
自分の頬に触れた途端、心臓を圧迫していた何かが緩んだ。
「相当ストレスが溜まっていたのね。普段の貴方ならそんな方法は選ばず、真っ先に私の所に来ていたもの」
そうか。壊すこと以外にも方法はあるのか。
どんなやり方なのだろうか? 抱きしめてくれるのだろうか?
「少し休みましょうか、アーロ」
腰に回された腕が心地いい。目の前の女性になら、俺は殺されてもいいと思えてくる。
例え、どんな殺され方をされようと、文句は言えない。
「バカなこと言わないの。ここで死んだら泣いてしまうわ」
泣く? こんな俺のために? 人かどうかすら怪しい俺に?
「そうよ。私が貴方を必要としているように、貴方も私を必要としているの」
そうか。必要なのか……。
ただ、俺は何も出来ない。自分は何かを破壊することしか出来ない。
「破壊していいわ。ただし、貴方の心と私と司令以外ね」
司令が誰かは分からない。言葉からして大事な人なのだろうな。
二人だけなら両手で抱えながら護ることが出来る。
自分の命をかけて。
「私達の守護者にまたなってくれる? アーロ」
ああ。いくらでもなってやる。
「ありがと」
顔が近づいてくる気配と、口に何か柔らかいものが当たった感触がある。これは……。
「誓ってくれたお礼」
口付けされたのか? 何とも言えない柔らかさと甘さなのだろうか。
先程まで何も感じなかったところが、今では熱を持っている。
「触れて分かるのなら、いっぱい触るわね」
言葉通り、触ったところから少しずつ温度が上がっていく。
もっと、触れてほしい。この体全て貴女のものだ。満足いくまで触れてくれ。
「身体だけじゃないわ。貴方の心も私のものよ。誰かにあげてやるものですか」
束縛という愛情表現が可愛いと思い始めている。飽きなんて来ないとすらも。
「……私からも触れて良いですか?」
「ええ、もちろん」
腰に手を回されただけじゃ物足りない。もっと他の所を。彼女の頬、首、腕や背中。
「1ヶ月も離れてたから激しいわね、アーロ」
「正確には1ヶ月と1週間です」
「そうね」
鈴のような声が、擽ったそうにクスクスと笑っている。久しく聞くことがなかった彼女の声だ。
「……ソフィア」
「やっと思い出したのね。もう少し遅かったら頬抓んでたわよ」
「それはそれでしてほしいですが」
心が温かい。
そうか……。知らないうちに疲れが溜まっていたんだな。
身体的な疲れは分かっても、精神的な疲れは自分では分かりにくいものだ。こうやって誰かが気付いたり、自分で気づかないと更に悪化する。
向こうにいる時は、いつもソフィアや司令が命令という名の半休日を、上からもぎ取っていた。そのおかげで10年間壊れずに済んだんだな。
「ありがとうございます」
「ん」
朗らかに笑った顔を見れた途端、肩の力が抜けたような気がした。
「眠そうね。横になって、アーロ。今はゆっくりと体を休めるのよ」
ゆっくりと私を床に座らせ、後頭部に柔らかい感触が当たる。朧気な目で上を見たら、愛しいソフィアの顔があった。久しぶりの膝枕と髪を優しく撫でる手に、急激な眠気が襲ってくる。
「おやすみ、愛しい人」
なんて、心地いい……。




