第五十話 性欲
「アーロ」
「ソフィア? 何故ここにいるのです? それより、姿が見えないのですが」
遠くから聞こえる。聞きたくて仕方のなかった彼女の鈴が転がるような声が。
ヒールを履いているのか、コツコツと音を鳴らしながら近づいてくる。
だが、おかしい。ここに彼女がいるはずがない。この世界に来たのは私だけだ。
いくら彼女がハイエルフで私よりも強いとはいっても、危険な場所に行かせるつもりはない。
なら、私の元へ歩いてくるソフィアはいったい?
「随分疲れているのね。目の下にクマが出来ているわ」
「このくらい、何ともありません」
隣に来て、私の目袋に指を這わせ、何度も同じところを触っている。
感触は彼女の手だ。すべすべしていて、赤ん坊のように柔らかい。
「少し休む?」
「そうですね。なら、就寝する前にいつものしてもいいですか?」
額と頬、そして手の甲にキスをするのが、私のルーティーンだ。
それから抱擁しながら眠りにつく。こうすることで、戦場から戻ってきたと実感出来る。
ソフィアはハイエルフで、私は人と木の間の存在。
どちらも親密な関係なせいか、密着することで安心感を得られるのだ。
「……今日はいいわ」
「調子が悪いのですか? 風邪を引いたとか」
普段病気になることのない彼女が、不調を訴えている。これは、ストレスなのだろうか?
私を心配するあまり、寝込むような事があったとか? それでここに来てしまったのだろうか?
そんなことあり得るのだろうか?
「それならば、私の膝を使って横になってください。体温計は今持っていないのですが、額を触って確認しなくては」
本当に体調が悪いのならば、彼女こそ寝ていなくては。
自分は横にならなくても彼女が近くにいるだけで休むことはできる。
「本当に大丈夫だから」
「ソフィア……」
いったいどうしたのだろうか。いつもなら喜んで傍に来て、キスしてくれるというのに。
何か嫌なことを私がしたのだろうか? 彼女以外に愛を囁いたこともないし、口づけもしていない。
仲間を慰める時以外は抱きしめたこともない。
「わかりました。貴女が触れるなというのであれば、私は今日一回も触りませんし、近づくこともしません」
一歩引いて、彼女が抱きしめてくれるまでは何もしない。それで嫌われてしまっては元も子もないからな。
「そ、そうじゃないの」
「では、何でしょう?」
戸惑っている気配がする。
何かしたい時ははっきり言ってくれるのに、今日はどもったり、遠慮したりしてソフィアらしくない。
「恥ずかしいのよ」
「今更ではありませんか。それともまだ最初の頃のような気持ちをお持ちで?」
「最初?」
「まさか、忘れたのですか?」
彼女にとって、7年はあっという間だ。それでも忘れていたなんてことはなかった。
反対に私が忘れて不機嫌になることもあったが、その後ちゃんと言ってくれるソフィアが忘れるなんて……。
「お、覚えているわ」
「そうですよね。貴女が私のことを忘れることなんて、一度もなかったのですから」
記憶力は彼女の方が上だ。流石に数百年前のことを覚えているなんてことはないだろうが。
「では、私は寝ます」
「ええ、おやすみ。長い夢を見てね」
座ろうと腰を落としたことで、今更ながら立っていたということを自覚した。
彼女を抱きしめて安らぎを得られないのは惜しいが、少しでも身体を休めておかなくては。
ん? 何かおかしな事を言わなかったか?
「長い夢とはどういう事です、か……」
相変わらず視界は暗いままだが、服を脱がそうとしているのだけは分かった。
そもそも、今私はどっちなんだ? 眠っているのか? ただ空間が暗いだけなのか?
「積極的なのは嬉しいですが、ここは床が固すぎます。ベッドへ……」
「ほら、眠って」
手で私の目を覆おうとしているのが分かる。
強制的に眠らすことが出来るほどの力は持っているのは知っているが、無理矢理することは今までなかった。
しかも、同意もなしに。
となると目の前にいるやつは……。
「私の想い人、ソフィアではないな。お前は男を襲う夢魔、サキュバスだろ。遊ばずにさっさと生命力を奪えば良かったものを、20数年何もしていない私の体はそれほど魅力的に映ったか? 見縊られたものだな。彼女の姿、声を形作って騙そうとするなら完璧に真似るべきだった。それなら成功していたかもしれんぞ」
「さ、さっきから奪っているのに!」
本性を現したのか、声が荒くなった。さきほどまで似せていた声も雰囲気も無くなっている。
25年分のという言い方はおかしいが、そんな一瞬で無くなるはずもない。
「腹いっぱい食うといい。それで自滅しようが私には関係ないが」
「あんたいったい何者なのよ!」
自分の腰に手をやると、何かの感触があった。これはピストルか。
夢の中に持ってこれたのは良かった。
なければ殴って強制的に起きるしかなかったが。
「さぁ、どっちで死にたいか選ばせてやる。狭量を超えた状態で死ぬか、頭を撃ち抜かれて死にたいか。どちらも苦痛を味わうがな」
「い、いや!!」
逃げようとしていたが、追いかけて布らしきものを掴み、地面に投げ捨てた。
悲鳴が聞こえたが、知らんな。
「さんざん弄んだんだ。今更逃げられると思うなよ」
私を精力奪う相手としたのが間違いだったのだ。
これがこいつの意図なのか誰かに指示されたのかは不明だが、私自身を馬鹿にするのは別に構わない。
だが、彼女の姿や声を偽って性欲を奪おうとするのは許さん。
「それ相応の罰を受けるのは決定事項だ」
大体の頭の位置を想像で把握するしかないが、女性の姿を取っていようがどうであろうが容赦なく撃つ。
相手が敵なら尚更な。
「ゆ、許して……」
「いや、許さん」
これ以上、話していても時間の無駄だな。さっさとリカロを始末しなくては。
「ではな、サキュバス。二度と私の前に現れるなよ」
軽い音と泣く声が止まった。これで視界が元に戻ればいいが。
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