奇跡屈折【ステラプリズム】
仄かに香る甘い芳香に、瑞穂は心落ち着けるように軽く息を吸い、そして瞳を細め、小さく頷いていた。
「ええ――気づいたんです。あなた――アシャさんの紅い拳による攻撃や、奈留さんの魔術による攻撃は、触れもせずに曲げることができるのに、私の剣撃はわざわざその鎌を用いて防いでいるって――」
「なるほど――? 続きを、聞きたいわね」
仮面の奥から漏れ聞こえるのは、既に答えを知っているかようなわざとらしい相槌。
「その理由を考える上でのヒントは、奈留さんが教えてくれました。
それは、『神秘斬滅で【断ち切る】ことのできないものは存在しない。
唯一の例外は――夢幻拘束のような、神秘斬滅と同格の能力だけ――』ということ。
おそらく、あなたの能力は神秘斬滅と同格の――【曲げる】能力。
であれば、夢幻拘束の時と同じようなことが起こったのでは、と推測しました。
【断ち切る】能力である神秘斬滅は、【繋げる】能力である夢幻拘束を断ち切ることはできるものの、それは一時的なものに留まり、再び繋げられる。
つまり、『同格の能力と能力とがぶつかった時には、矛盾が発生してしまい、お互いの力を弱めあってしまう』ということ。
そして今回の場合は――。
――絶対的な【断ち切る】能力は、絶対的な【曲げる】能力を【断ち切ろう】とする――。
――絶対的な【曲げる】能力は、絶対的な【断ち切る】能力を【曲げよう】とする――。
――断ち切られるが先か、曲げられるが先か――しかし、それは同格。
――その矛盾が辿る先にあったのは、お互いの能力の無効化だった――。
――ということなのでは、と」
そこまで瑞穂が言い切ったところで、仮面の少女は自身の仮面を掴んだ格好のまま、小さく頷いていた。仮面の軋む音が微かに響いて。
「正解よ。続けて」
「その理屈で言えば、あなたは私の神秘斬滅の【断ち切る】能力を無効化する代わりに、私の斬撃を【曲げる】ことは出来ない。
だから、わざわざ鎌を使って、直接的に私の斬撃を防いでいた。そういうことなら私は――」
ミシッと仮面のヒビ割れが僅かに拡がる。瑞穂の言葉のそれより先を遮るかのように、仮面の少女は軽く息を吐き、声を出す。
「まったく正解。流石は、瑞穂ちゃんね。
そう――そして、お互いに能力を無効化してしまうのであれば、その上を行けばいい。
だからこそ、あなたは神秘斬滅の斬撃に雷属性の魔術を上乗せして放った。
神秘斬滅自体は無効化されたけれども――同時に、私の【曲げる】能力もまた無効化されていた。
それが――あなたの狙いだった。あとは通常の物理法則に従って、刀身に籠められた雷魔術は触れた瞬間に鎌を伝い、私へと至り、感電させた。
能力が作用していれば、瞬時に【曲げて】防げただろうそれも、能力を無効化されたことによって、避けることも防ぐことも不可能となっていた――ということね?」
仮面の少女の言葉に、瑞穂はこくり頷く。
「やはり、そういうことね――【私】ならそこまで警戒するけれど、ヨツバにそこまでの用心を期待するのは無理があったようね――」
呆れたように肩を竦める仮面の少女。さらりと白銀の髪が揺れ、瑞穂の鼻先を甘い芳香が掠めて。
「【私】って――それに、この香りに、この声――あなた、もしかして――」
瑞穂はそこまで声に出し、逡巡するように言い淀む。その言葉を引き継ぐようにして、奈留は訝しげな声色で、仮面の少女へと問いかける。
「ていうか、あんた――何者なの――神秘斬滅と同格の【曲げる】能力だなんて――それって、つまりは――」
ごくりと息を呑み、魔術師の少女は意を決したように、その名を口にしていた。
「【奇跡屈折】――だよね――?」
ほぅ、と少し感心した様子で、仮面の少女は奈留の方へと視線を向ける。
「なるほど――【創造の3概念】のこと――よく知っているのね。さすがは、あちらの魔術師――」
「そりゃあ、もちろん。あたしはずっと神秘斬滅の能力者を探し求めてたんだもの。この程度のことは知ってて当然。
神秘斬滅、奇跡屈折、夢幻拘束――世界にカタチというものを生み出した、【創造の3概念】
でもまさか、その3つともにお目にかかれるなんて――」
奈留は驚きを帯びた声で呟く。その時、不意に少女達の声を掻き消すような喚き声が響いた。
「う゛っ――!? う゛あ゛あ゛あ゛っ――! ね、【姉さん】――い゛だい゛――痛゛い゛よ――そんなに、強く――【ボク】を掴まないで――」
それまで沈黙していたヨツバの声が、意識を取り戻したのか、ヒビ割れた仮面から悲痛な呻きを漏らす。
「ヨツバ――あなた、やはり五月蝿い」
仮面の少女はうんざりしたように独り言ちると、仮面を掴む腕を微かに震わせる。ミシミシとそれまで以上に大きな軋みの音が響き、ヒビ割れが拡がっていく中で、その仮面は今にも泣き出しそうな声を発していた。
「ねっ、【姉さん】――ゆ、許して、許してください――ゆる――た、たすけ――! ごぇっ、ゔゔあ゛あ゛ああっ――!?」
仮面からの声は、再びそこで途切れる。少女は白く細い指先を動かして仮面の端を摘みとり、己が顔貌を覆い隠しているそれを、引き剥がすかのように強引に剥ぎ取っていた。ヒビ割れ激しい仮面は無造作に放り投げられ、カツンと短くも乾いた音を響かせる。
と同時に、少女の着ていた白黒の法衣が、霧が晴れていくかのようにすぅと薄くなっていく。魔術の類で着衣を偽装していたのだろうか、魔力の粒子となって散り散りに消えていく。
――その後に現れたのは、見覚えのある制服。
――その上に見えるのは、仮面を外した少女の素顔。
露わになった少女の姿とその素顔に、瑞穂は瞠目する。ようやく絞り出された呟きは、どこか諦めに似た色を帯びて、沈み切っていた。
「やっぱり――あなただったんだね」
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