【重み】すら断ち切る刃
「こ――この異形は、いったい――」
友人の危機に駆けつけた瑞穂は、今にも圧し潰さんばかりにノエの小さな身体へと覆い被さっていた未知の力を――即ち、奇声とそれによる空気の震えとを刹那のうちに断ち切ると、上空を見上げて当惑したような声を漏らしていた。
白銀の軌跡を描く瑞穂の束ねた髪。小柄な少女の視線の先で、屈強な白い異形はゆっくりと翼をはためかせて飛翔し、大空の中央に陣取るようにして眼下を望んでいた。
「瑞穂ちゃん、気をつけて――その異形の声は、モノを潰す力を帯びている。まともに食らってしまえば、逃げる間もなく圧し潰されてしまう」
ノエ横たわったまま、息も絶え絶えといった様子で声を絞り出す。
「了解、ノエちゃん。モノを潰す声――さっきの変な音と空気の振動みたいなやつのことだね。気をつけるよ」
瑞穂はちらと心配げにノエを見やり頷くと、再び視線を上方へと向けた。白き異形の姿を凝視し、刀剣を握り締め身構える。
「それにしても、この感じ――今まで戦ってきた相手と、何か少し違う――」
「ファォォォォォッ――ァァァ――ヴォォ――ッ!!」
少女の呟きを遮るように、白き異形は重奏を放った。奇声が空より降り注ぎ、ビリビリとした空気の震えが渦巻く。
「これが、潰す声――? でも、これなら――!」
瑞穂は紫紅色の瞳をじろりと動かし、震え響く重奏の芯を捉えた。雪の如き白銀となった髪をふわりと靡かせ、神秘斬滅の少女は刀剣を薙ぎ振るう。刹那舞う閃刃は、渦巻く重奏を輪切りにするかのように迸り抜けていた。
途端に奇声が途絶え、空気の震えが霧散する。重奏は、少女の一太刀の前に断ち切られていた。
「――聴こえるものなら、視えるものなら――認識できる。それは即ち、私の刃で断ち切ることができるということ――!」
「ヴォォルォファァァァ――ッッ!」
言い放つ瑞穂に構わず、白き異形は間髪入れずに2波、3波の重奏を放つ。
再び、少女へと降り注ぐ奇声と空気の震え。瑞穂は小さく舌打ちし、手にした刀剣を構え直した。仄かな白銀の輝きを湛えた刀身で、その頭上に半円のような軌跡を描く。
少女を圧し潰さんと寸前のところまで迫り来ていた重奏は、瞬く間に断ち切られていた。螺旋のように重なり合ったその存在は即座に散り去り、消える。
「何回やってきても無駄――いくらでも断ち切るだけだから。とはいえ――」
呟きつつ瑞穂は、ただの空気の流れと化した重奏の残滓の遥か向こうに浮かぶ白き異形の姿を、眩しいものでも見るような細められた瞳で見上げる。
「――あんな上空に浮かばれると、こっちの攻撃も相手には届かない。空気を断ち切って衝撃波を飛ばす――ことはできても、流石にこれだけ離れると威力は落ちるだろうし、そもそもそんな小手先の攻撃は、あの異形には通用しなさそうでもある――」
少女がそこまで呟いた――その時だった。
「コオォ――ォ――?! ソノ――チカラ――エル――?!」
突如として白き異形は言葉のような声を発した。まるで動揺しているかのように、何かに驚いているかのように。己の力をやすやすと断ち切った少女の小さな姿を、貌の無いのっぺらぼうな顔を下に向け、食い入るように見下ろしていた。
異形からの凝視に満ちているのは、狼狽えと驚嘆と――そして、警戒心。
「相手の動きが――止まった――?」
瑞穂は空を見上げたまま訝しげに眉を顰《ひそ》める。
「ルォ――ザラバ――ルルバル――フォォォッ――」
意味不明な言語を立て続けに放ちながら、白き異形は肩より伸びた両翼を更に広く展開した。その翼はゆっくりと羽ばたかれ、撹拌された空気は蒼いライン這う白き屈強な体躯の周囲に巻き起こり、そして――。
――ドンッ――!
空気の破裂するような音が響くと共に、白き異形は急上昇した。青空を突っ切り、幾重もの雲を突き破り――そして、その姿は彼方へと消え失せていた。
突然のことに、瑞穂はぽかんとしたままその場に立ち尽くしていた。そしてようやく、一言漏らす。
「――逃げた――いや、退いた――の――?」
「どうやら、そのようね」
瑞穂の背後で、ノエは言う。彼女はアスファルトの破片を振り払いつつ立ち上がり、ふぅと一息つくと瑞穂へと目配せした。
「お互いにまだまだ様子見――といった感じのように見えたけれど――。
それより、ありがとう瑞穂ちゃん。貴女が来てくれなかったら危なかったわ」
「ううん、ノエちゃんがなんとか無事で良かったよ。それにしても、あの白い異形――あれもやっぱり、魔族なの――かな?」
瑞穂の口にした疑問に、ノエは山吹色の瞳を細め、そして短く首を横に振った。
「いえ、多分――違うと思う。あれは異形でありながら、しかし魔族とも異なる存在だった――」
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