右足を縛りし【翠】の枷
「そこまで君がひとりで抱え込む必要はない。さっきまで拘束されていたその身体で、四天王と戦おうだなんて、無茶を通り越して無謀だ。君はずっとそうやって無茶ばかりしている。
だから――今日くらいは僕に無茶をさせてくれ」
ショウマは一歩前へと踏み込み、その肩越しに背後のミズホをちらと見やった。
「ショウマさん――? まさか、枷の能力を使うつもりですか――? それこそ無茶ですよ。ついさっき右腕の枷を断ち切って、紅き腕の能力を使ってから、まだ数時間しか経っていないんです――いつもなら半日以上の眠りにつくのに、今回はそれもない――こんな短期間で連続して枷を断ち切って、封印された能力を解き放って――再拘束がかかった際、その身体にどれだけの負荷がかかるか――」
「だから無茶をさせてと言ってる――夢幻拘束の再拘束時の負荷は。それは解き放った能力に比例するから、たしかに厳しい――それでも、今はこの枷の能力を使わなければいけない時だと思う。僕は、今、この場で、こいつを殺さなきゃいけないから――」
言いながらショウマは視線を落とす。その目線の先にあるのは、灰色の女の背後に転がる無惨な肉塊。かつて、ヒメアと呼ばれていた女勇者の身体だったもの。彼は糸のように目を細め、そして自身の右足に嵌められた、緑色の枷へと視線を移す。
困惑した様子で、ミズホもまた彼の右足首に喰い込んだ緑の枷を見下ろした。少年の普段とは異なる口調に、射るような鋭い眼差しに、不安を覚えているかのように問いかける。
「あっ、あの――しょ、ショウマさん――? それとも、アシャさん――ですか?」
「もう、その問いに意味はない――もはや、僕は俺で、かつてショウマと呼ばれた器の中にある、コインの表と裏に過ぎないから。君の呼びたい方で呼べばいい――。
そう――かつて、僕は俺に言った――ひとつの器にふたつの精神。抱く気持ちが同じならば、それぞれが受け持つのは半分でいい、と。
そして、今また僕は知った。ひとつの器にふたつの精神。抱く怒りが同じならば――我が身に疼く激情は倍以上になるのだと――」
少年は顔を上げ、瞳を見開く。その眼は、金色の輝きを帯びていた。
「屍体を漁り纏いし下賤の魔族よ――貴様、街の人間たちの身体を弄び、勇者の女を殺して、その身体を奪い――そして、俺の小娘をこうまで苦しめ、怒らせた――それらの報いを受ける覚悟――出来ておろうな?」
低い声で、金色の瞳の少年は――覇王アシャは告げる。
リツルミは愉しげにゆらゆらと揺れながら、身構えるように両腕を広げた。右手の甲から再び橙の光が少しずつ漏れ出でる。
「あらまぁ――例の枷の能力を解放するのねぇ――? でも、私の超光加速の疾さについて来れるのかしら――? もう、そちらの手の内はわかっているし、こちらも油断はしない――前のようにはいかないわよ。今度こそ、瞬殺してあげるんだからねぇ――!」
「手の内がわかっているのはこちらも同じだ。貴様こそ――枷に封じられし我が能力について来れるものかな――?」
「うふふふふっ、戯言を――。
開始なさい――その速さは沈黙の狭間を握り――」
嗤いの混じった上擦った声で、リツルミは超光加速の詠唱を諳んじる。
「小娘――急げ。奴が詠唱を終える前に――我が右足の枷、断ち切るがよい。お前の怒り、哀しみ――今日ばかりは、我が代わりにそれらを濯ぐ矛となろう」
金色の瞳をギョロリと動かし、アシャはミズホを見やる。
ミズホは息を呑む。そして少女は躊躇いがちに、しかし意を決したように手にした刃を振るい、少年の右足首に喰い込むようにして嵌められている緑の枷を――断ち切った。
「あはははははっ――! もう遅いわよ――! その疾さは認識の谷を超え――今、わたしの身体を――舞い動かせ、超光加速――!」
けたたましく吼え嗤うリツルミ。詠唱を終えると同時に右腕の手の甲に埋め込められた宝玉から橙の閃光が迸る。
そして、灰色の色をした女は消える。橙の残光だけをそこに置いて、肉眼では捉えることすらできない超高速で舞い、リツルミは突っ立っている金色の瞳の少年へと――覇王アシャの身体を切り刻まんと、腕や指先より生やした無数の屍惨鋼索を振るう。
「あっ、アシャさんっ――きゃあっ――?!」
ミズホは思わず声を上げた。少女の身体が、何か柔らかな衝撃に弾かれ、少年の背中から引き離される。
そして次の瞬間、翠の一閃が、虚空を射抜いていた。
「うぐぐえぇ――ぐえ゛ぇぇっ――!」
響き渡る、女の濁った呻き声。グチャリ、と湿った音とともに、至るところから鋼索の生え伸びるグロテスクな左腕の断片が、地面へと墜ちていた。
「あ゛あ゛あ゛っゔあ゛ああぁっ――!!」
引き千切られ地面に転がる左腕の傍らに、呻き叫ぶリツルミが姿をあらわす。左肩に剥き出しになった断面を庇うように右腕で押さえつけて、灰色をした魔族の女は、痛みと憎悪に歪んだ顔で、痙攣する血走った眼で、対峙する金色の少年アシャを凝視している。
「あ゛あ゛っ――お゛前――今のは、何だ――今の――疾さは――」
バサリ、と何かの広げられる音。
少年の背中から展開されるのは、翠の輝きを帯びた4枚の翼。
踏みしめられた右足を中心に地面に描かれているのは、澄んだ翡翠の色をした魔法陣。ネオンのように輝く光の筋が、魔法陣より少年の背中へと伸びていき、そこで花弁のように広がり展開され、翠の翼を形作っていた。
背中から生えた翼をふわりと揺らしながら身体を傾け、アシャは灰色をした魔族の女を一瞥する。そして見下すような口調で、彼は言い放つ。
「何だ、貴様――ずいぶんと遅いではないか。俺には、止まって見えたぞ」
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