その【黒き瞳】は怒りに疼き
「へえ、助けに来た――ねぇ」
つかつかと前へと歩いていくノエを眺めながら、リツルミは愉しげに独りごちた。腕を掲げ、伸ばした指先と剥き出しになった屍惨鋼索とを相手へと向け、迎え撃つ体勢をとる。
ノエは自身へと向けられた鋼索の先端を見つめ、僅かに顎を引きつつ立ち止まった。山吹色の瞳を不快げに細め、拳銃の形を作った掌を振り上げると、ピンと張られた指先を相手へと突き返す。
灰色の女リツルミと、白い少女ノエが、お互いの武器を突き付けながら対峙していた。
「うふふふっ――ねえ、あなた、氷機少女と名乗ったわね。その身に宿した魔力――氷の魔術属性――その身体と核――もしかしてあなた、ティマニタが造っていたという人形かしら――?」
ノエの頬がピクリと動く。
「ええ、そうね――私のこと、知っていたのね」
「話には聞いていたわ。あの男も、かつては四天王だったわけだし――それにしても、魔族に造られた人形の分際で、魔族に――しかも四天王に仇なすなんて、やってくれるじゃない?」
小馬鹿にしたような口調で捲し立て、リツルミは不意にじろりと鋭い視線を向けた。
「せっかく展開していた領域・不蝕を解除したのは、あなたの仕業ね――?」
「そうよ。ティマニタは、ドミジウスと比べて戦闘に向いていない出来となった私に、いろいろと小細工を施していた。これは、その小細工のひとつ【絶対権限】。
それは――防護障壁、結界領域、ファイアウォール――外部からの侵入を阻む、いわゆるセキュリティと呼ばれる概念を無効化する能力。
そのプロセスは、セキュリティを展開している管理者よりも更に上の権限――すなわち絶対権限となってセキュリティそのものの設定を上書きすることによるもの。
こじ開けることも、忍び込むこともできないのなら、この能力で真正面からドアノブを叩けばいい――そう、簡単なことよ」
事もなげに言い放つノエに、リツルミは顔を歪めて嗤う。
「うふふ――ふはははははっ――なるほど、ティマニタったら面倒な人形を遺したものね。領域・不蝕さえ無効化してしまえば、あとは物理的な城壁など属性魔術か何かで消し飛ばしてしまえばいいだけだものねぇ。予定ではそんなことができるのは神秘斬滅の能力者だけのはずだったのだけど――意外な邪魔者がいたものね」
「あの娘ほど簡単に断ち切れるわけではない上に、相応の魔力を消費してしまうけれど――ね。
さて、種明かしはこのくらいにして――そろそろ、その娘を返してもらう――!」
ノエがそう言い終えるや否や、掲げた指先から青白い光が迸った。
「――射氷弾装」
詠唱と共に響く銃声。凍気の弾丸が放たれ、空を裂きつつ、リツルミの身体を目掛け軌跡を描く。
「うふふっ――それ、遅いわよ――舞い動かせ、超光加速――!」
途端、リツルミの右腕の手の甲から橙の閃光が溢れ出る。
光とともに、灰色の女の姿は消える。と同時に、ビュンと鞭のような何かが空を切る音が、無数の方向から鳴り響き――。
「――ぐゔっ――ぐぇっ――!?」
ノエの呻き声が木霊する。その声が放たれ消える一瞬の内に、少女の両腕はそれぞれバッサリと引き千切られていた。続いて、胴体が腹の辺りで裂ける。そして最後に宙を舞ったのは、人形のように精緻な顔。その白い顔の中で、物憂げな山吹色の瞳だけが、凍りついたように茫洋と虚空を見つめ、くるくると回っている。少女の首は――鋼索によって瞬時に刎ね飛ばされ、弧を描くようにして床へと墜ちていた。
「あははははっ――! そんなに遅いんじゃ、超光加速した私の屍惨鋼索は避けられないわねぇ――! あらあら、バラバラになっちゃって――」
残像とともに姿を現し、上半身をくねらせるようにしてリツルミは高笑いの声を発する。
「――いかに疾くても、その眼は節穴のようね」
不意に響くのは、女の笑い声を撃ち抜くような鋭く凛とした少女ノエの声。
「なっ――なにっ――!?」
リツルミは驚くように咄嗟に声のする方へと振り返った。
女の振り返った先に、全くの明後日の方向に佇んでいたのは――先程、鋼索によってバラバラにされたはずのノエの姿。そして――。
不意に木霊する、カシャカシャリと音を立てて地面へと落ちていく鋼索の音。
開かれる、涙のうっすら浮かんだ瞳と、怒りを湛えて女を見据える鋭い視線。
そこに立っていたのは、小柄で幼なげな――青い髪の少女。
神秘斬滅の少女ミズホは、鋼索の拘束から解き放たれ、右腕に刀剣を握りしめて、立ち上がっていた。その横には、彼女に寄り添い、その小さな身体を抱き支える、少年ショウマの姿。
予期せぬ光景に、リツルミは目を剥いていた。
「なっ、なぜ、お前が――いえ、あなたは――今しがた私の屍惨鋼索に切り刻まれたはず――」
「それは偽物よ。ミズホちゃんを救うための隙を伺うための、目眩しと時間稼ぎのための――ね。
極光幻惑――自身の幻像を投影し、相手を撹乱させる機能――これも、あの男が、私に仕込んでいた小細工のひとつよ。
そもそも――絶対権限によって魔力を消費し尽くした私が、四天王である貴女と真正面からやり合うわけないでしょう――?」
素っ気なく言い放つノエに、リツルミは激昂したように腕から伸びる鋼索を地面に叩きつけた。
「うふふふはははっ――! この私を欺くとはねぇっ――いいわ、いいわよ。そこに転がっている肉片と化した女勇者のように、あなたたち、ひとりも逃す事なくバラバラにして、苦痛の中で、泣き叫びの中で、惨めに惨めに殺してあげるからねぇっ――!!」
「人の話を聞いていなかったの――? 私は貴女とやり合うつもりは無い。今ので今度こそ魔力を使い尽くしたし、私はミズホちゃんが無事ならそれでいいわ」
ノエは小さく息を吐き、ミズホの肩を軽く抱く。そして彼女へと何かを促すかのようにその耳元で囁いていた。
「でも、この娘はそうじゃないみたいだけれど――ね」
震える息遣い。微かに上下する肩。細められ、怒りを湛えた紫紅色の瞳。
ミズホはノエの腕をゆっくりと抱き寄せ、一瞬だけその腕の柔らかさに沈むように瞳を閉じた。青髪の少女は小さく息を吸い込み、沁み入るような口調で呟く。
「ノエちゃん、ナルさん――そして、ショウマさん。私のために――こんな危険な目にあってまで――助けてくれてありがとう――」
そして、ミズホは瞳を見開く。ノエから離れ、刀剣を片手に携え佇み、対峙するリツルミを鋭く睨みつける。その口から放たれたのは、感情を排したような無機質を装った口調で、しかしその奥に震える怒りを湛えた声。
「よくも、こんな非道いこと――この街の人たちを――ヒメアさんたちを――私は――あなたを許さない――」
「あははははっ――! 許さないですって? そんな状態でよく言えたものねぇ。人間に毛が生えた程度の身体能力しかない分際で、四天王である私によくもそんな舐めた台詞を吐けたものねぇ――!」
嘲るようなリツルミの言葉。ミズホの口元が怒りを堪えきれぬように歪む。携えた刀剣が振り上げられ、少女が反射的に足を前へと踏み出そうとした、その時――。
「ちょっと待って――君のその怒り、僕が引き継ぐ」
枷を揺らし、その少年は黒い瞳を細めつつ、呟いていた。
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