守護騎士【ガーディアン】
魔薬にまみれた鋼索の先端が、吊し上げられた少女へと、こじ開けられたミズホの口元へと、押し込まれようとするその直前――。
閉じられた瞼の上を迸ったのは、橙の閃光だった。
ヴォン、という音が空気を薙ぐ。と同時に、液体を漲らせていた鋼索は急激に萎びて、床へと落ちていた。
ミズホは恐る恐る目を開く。眼前に見えるのは、肩を押さえて蹲っているリツルミの姿。押さえられたその肩は、剣で斬りつけられたような傷でささくれだち、黒々とした体液が溢れ出ていた。
リツルミの負傷に呼応するように、少女の全身を縛り上げていた屍惨鋼索もまた僅かに緩み、吊るされていたミズホは身体はゆっくりと地面へと降りていた。
「うっ――うふふふふふふっ――! やってくれたわね――この死に損ないがっ――!」
リツルミは怒気と憎悪に満ちた笑い声を上げ、振り返る。その視線の先には、右腕と足と腰とを奪われた女勇者のヒメアが、その唯一残った左腕を灰色の女へと掲げていた。ピンと伸ばした指先から先程放った攻撃魔術の残滓であろう橙の煙をくゆらせ、ぜえぜえと苦しげな息遣いをして、彼女は今にも消え入りそうな声を絞り出していた。
「ぐっ――ゔぅ――守護騎士が――目の前にいるのに――無防備に背を向けられるなんて――私も――舐められた――ものね――」
「あらまぁ、うふふふふっ――せっかく生かしてあげているのに――ずっと苦しみ続けられるよう、死なない程度に切り刻んであげているのに――あなた、そんなにすぐ死にたいのね――?」
リツルミは怒りを押し殺したような口調で言うや否や、腕から無数の屍惨鋼索を放った。それらの幾つかは己の傷を包み隠し、残りの大半は大挙してヒメアの身体へと殺到し、首筋と左腕とに絡みつき縛り上げていた。
「ぐぅっ――あ゛ゔっ――ゔあ゛あ゛あ゛っ――!」
「うふふふっ――本当はもっと苦しんで、苦しんで、苦しんで――その身にある魔力をすべて恐怖と苦痛の中に溶かし込んで欲しかったのだけれど――さっきみたいに邪魔をするなら殺すしかないわねぇ――。
いかに殺さずに肉を裂くことに長けた屍惨鋼索であっても、その頭と心臓を抉り潰せば、もやは生きてはいられない――但し、その魂は腐りゆく肉体にいつまでも縛り付けられ、何処へも召されることはない――うふふふふふっ――」
「そんな脅し――いまさら、どうだって言うの――身体をこんなにされて――右腕と能力と足腰とを――あんたみたいな魔族に奪われ――あんたのせいで――私はもう終わり――でも――そんなの守護騎士になったときから――覚悟してた――だから――あとは――。
ゔっ――ぐうっ――! ねぇ――聞こえてる――? 神秘斬滅の力を持つ少女ちゃん――まだ、無事よね――?」
数十本もの鋼索に吊し上げあれながら、ヒメアは虫の息でミズホへと呼びかけた。ミズホは全身に絡みつく鋼索を振りほどこうと藻掻きながら、ヒメアの呼びかけへと応える。
「えっ、ええ――ヒメアさん――ヒメアさん――?!」
「私は――ここで死ぬけど――あなたは――生きのびて――夢幻拘束の彼とともに――こいつらを倒して――彼の封印を、断ち切れるのは――あなただけ――だから――この時間稼ぎが――私の、守護騎士としての――最後の――」
ヒメアの言葉は、そこで途切れた。
ミズホの視線の先で、その眼前で――彼女の身体は散っていた。
ヴォンという低い音を空に響かせながら振るわれた鋼索が、彼女の身体に喰い込み、そして瞬く間に引き裂いていた。
辺り一面に、生暖かい雨が、降り注ぐ。
「あははははははっ――! なにが守護騎士よぉ――たかが、人間の分際で、我ら魔族に歯向かうからこうなるのよっ――!!」
愉しげに高笑いを響かせるリツルミ。降り注ぐ雨をその身に浴びながら、全身が染め濡れていくのを気にも留めず、灰色の肌をした魔族の女は、その場で肩を揺らしていた。
「あなた――」
ミズホは呟く。頬を赤い雫が伝う。胸元が、その奥底がどくんと震える。何かを考えるよりも先に、口を衝いて言葉が吐き出されていた。
「こんな、こと――本当に非道い――。ゆ――許せない――こんなこと、決して――」
「ほう――? いまだ拘束されたそんな状態でよく言えたものね――それとも、あなたもさっきのアレと同じように死にたいのかしら――? でも、まずは――神秘斬滅の能力の根源が大事――だからまず、あなたには屍傀になってもらわないとねぇ――!!」
リツルミは叫びながら、振り返りざまに腕を振るった。幾重もの屍惨鋼索が指先から放たれる。魔薬に濡れるそれらの先端は、縛り上げられたミズホの力なく開かれた口元へと即座に、獲物を狩らんとする猛獣の如き勢いで伸びていく。
その時だった。
ゴォン――、という轟音が数十メートル離れた場所から響き渡った。細かく砕けた壁の粒子が埃のように舞い散る。
「――なっ――何者なのっ――!?」
地響きに体勢を崩しつつリツルミは叫び、音のする方へと振り返った。
続いて轟いたのは、複数発の銃声。
その音に呼応するように、ミズホの眼前にまで迫っていた鋼索は、立て続けに引きちぎれていく。吹き飛ばされて宙を漂うその先端は、白い霜に覆われ、凍りついていた。
薄暗い空間に、ぽっかりと風穴が空いている。差し込んでくる光を背にして立っているのは、2人の少女と1人の少年。
「はぁ――はぁ――とりあえず、城壁はぶち壊したよ――今ので魔力を消費し尽くしちゃったから――あとは2人に任せるからね」
そう言うと少女のひとりはその場に膝をついた。眩しい金髪が、はらはらと肩からこぼれ落ちる。
「さすがは、地魔軍の四天王を屠ったとされる魔術の放ち手ね――これだけの物理障壁をこうも容易くぶちぬくなんて――お疲れさま。あとは、私たちでなんとかするわ」
もうひとりの少女は呟き、一歩ずつ踏みしめるように前へと歩き出す。腰まで伸びた紫の髪が揺れ、氷のように透き通った白い顔が、山吹色の瞳が、リツルミを睨みつけていた。
「ミズホちゃん――! な、なんて非道い――」
少女の背後から、少年は叫んでいた。縛り上げられたミズホの悲痛な姿を、見開かれた瞳で見据え、そして彼もまた側に立つリツルミへと怒りに満ちた視線を向ける。手首に、足首に嵌められている枷が、ガチャガチャリと彼自身の感情の波に呼応しているかのような激しい音を奏でる。
「お――おやまあ、あなたたち――神秘斬滅の少女ちゃんを助けに来たのかしらぁ――?」
リツルミは動揺を押し殺すような口調で、乱入者へと問いかける。
「ええ、そうよ。お邪魔するわね、四天王リツルミ。ああ、魔族の流儀に倣って、一応名乗っておこうかしら。
氷機少女のノエと魔術師のナル、そして枷の男ショウマの3人――そこにいる女の子を――友達を、助けに来たわ」
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