四天王、屍操装蝕【レヴナントインペリウム】
身体が――動かない。
まるで、その小さな身体が無数の糸に縛られているのかのよう。
視界は――揺らめくだけで何も映さない。
まるで、その意識が水底に沈められているかのよう。
「やっ――やめて――! これ以上、あたしを――こんなあたしを――どうするつもりなのっ――!?」
突如として響き渡る、震える女の金切り声。耳をつんざくその声に、白いヴェールのように意識へふわりと掛かっていた朧気な微睡みは、拭ったように掻き消えていた。
ミズホは目を醒まし、頭の芯に残る不快感を振り払うかのように、ゆっくりと瞼を開いた。
少女は、その惨状を目の当たりにして、息を呑んだ。
呼吸が止まったかのように、ヒィッという小さな声が漏れる。
目の前に見えるのは、ボロボロの布切れを纏った隻腕の女――ヒメア・イランドの姿。彼女のその身体は、無数の鋼索によって縛られ、吊り下げられていた。
「どうするって――? そんなの――決まっているじゃない――?」
別の女の声がする――と気付くと同時に、ミズホの視界の中へ、ズルズルと身体を引き摺りながらヒメアへと近づいていく異形の姿が割り込んできた。
それは灰色の肌をした、妖艶な女の形状をしていた。ぞくりとするほどに整った大人の女の顔立ち。振り乱されていながらも、艶やかで長い黒髪。海外の有名モデルを想起させるほどの細く長い腕と胴。そして――。
――その女には、足と腰が無かった。何か強い力によって強引に捻じ切られたように、何か超高温の熱によって灼き切られたように、腰とそれより下の部位は存在していなかった。その代わりに剥き出しの断面から生えるのは、無数の鋼索。触手のようにうねうねと蠢くそれは、まるでタコ型の宇宙人のように女の上半身を支えていた。
「わたしのこの身体を見て、わからない――? ご覧の通り、わたしの足腰はズタボロにされちゃってるの。ねえ――わかるわよね? それが失われてしまった以上、替えが必要だってことに――」
灰色の女は呟きながら数本もの鋼索を伸ばし、ヒメアの腰へと纏わりつかせる。そして、ミシミシと鈍い音を響かせながら、少しずつ締め付けて――。
「ぐっ、うああっ――! な、何を――する――つもりなの――」
ヒメアは痛みに喘ぐ。苦し紛れに開かれた口元から血の滲んだ涎が垂れ、充血した瞳に涙が溜まっていく。
「うふふ、何を言っているの――? ちゃんと人の話を聞いているのかしら――? 替えが必要だって言ったでしょう――?
だから――それは、ちゃんとここにあるじゃない――そう、ちょうど――今ここに、わたしの目の前に――ね?」
途端、苦痛に歪んでいたヒメアの顔が恐怖に引き攣った。けたたましい悲鳴とともに暴れだす彼女の身体は、しかし雁字搦めに絡み付く鋼索によって微動だにせず、ただただ余計に酷く喰い込んで――。
「ま、まさか――私の――身体を――や、やめろ――そ、そんなこと――や、やめてぇっ――!!」
鈍い銀色の鋼索より響く、ギリギリとミシミシという金属の擦れ軋むような音が、次第にその音量を増していく。
それは余りにも凄惨な光景。ミズホは堪らず目を逸らした。だが、ヒメアの悲痛な叫び声は、灰色の女の愉しげな囁きは、防ぎようもなく否応なくミズホの耳へと入り込んでくる。
「大丈夫よぉ――わたしの屍惨鋼索はねぇ、とても切れ味がいいいの――その対象を殺さぬままに、綺麗にその身を裂くことが出来るくらいに――ね?」
「ゔああ゛ぁぁっ! だ、だずげ――!!」
「うふふ、ごめんなさいねぇ――切れ味鋭いわたしの屍惨鋼索だけれど――でも、残念ながら、その痛みまでは緩和することはできないのよねぇ――うふふっ――うふふふははっ――!」
女の高笑いと、ヒメアの泣き叫ぶ声が、混ざり合い辺り一面に響き渡る。
しかし、その音は唐突に途絶えた。
そして聞こえる、鈍い音。
続いて、湿った音。
ずるずると何かが這うような音。
「うふふっ――あなた、いつまで目を背けているつもり――? もう、終わったわよ」
ミズホヘと向けられた、灰色の女の声。少女は恐る恐る視線を戻し、息を呑んだ。
灰色の肌をした女は、両足で立っていた。失われていたはずの足と腰は、元に戻っているかのようで、その実――。
「そっ、その身体――その足腰――まさか――ヒメアさんの――!?」
悲鳴すら上げられず、ミズホは引き攣った顔を仰け反らせた。見覚えのある足と腰を我がものとした灰色の女と、その背後に打ち棄てられたように転がっているヒメアの残りの身体。そのどちらからも、必死に目を逸らすように。
「あらまぁ――驚かせてしまったかしら――? そうねぇ――なら、装衣投影っと」
灰色の女は短く詠唱する。その身体が光に包まれ、瞬く間に衣服を纏った姿へと変化していく。純白の衣装に黄金の甲冑――それは、かつて見た女勇者ヒメアの装備そのものだった。
「うふふ――どう? 似合うかしら? あの女勇者が着ていた服を投影してみたのだけれど――この腕に埋め込まれた宝玉ともマッチしていないかしら――?」
愉しげに言いなから、灰色の女は右腕をかざして見せる。その右腕の手の甲に埋め込まれていたのは、橙の宝玉。それは、超光加速の勇者ヒメアが、その能力を発動させる際に輝かせていたものそのものに違いなかった。
「そ、その腕――足腰だけで無く、右腕すらも――すべて、ヒメアさんの身体から奪ったということですか。なんて――非道い――ことを――」
「非道いだなんて心外ねぇ――これがわたしの能力なのだもの――有効に使わないとねぇ――?」
「あなた、いったい――」
「うふふ――そういえば、まだ名乗っていなかったわね。我が名はリツルミ――ダイスロウプ風魔軍を統括する四天王がひとり――またの名を――【屍操装蝕】のリツルミ。
――そう、わたしの能力は屍体を操ること――単に操るだけじゃなく、屍体を纏い、その屍体が生前持っていた能力を我がものとすることができる――この足腰や右腕だけじゃない――この胴体も、この顔も――かつてわたしが殺した誰かの屍体なのよねぇ――」
四天王リツルミと名乗った魔族の女は、ゆるゆらと水面に揺れる漂流物のような足取りでミズホヘと歩み寄っていた。屍惨鋼索に締め上げられた小さな身体へと躙り寄り、女は長い指先でその首筋を撫で上げる。
屍体に撫でられたような冷たすぎる感触に、ミズホは顔を顰めて身を捩る。その様子を愉しげに、嘲るような目つきで観察しながら、リツルミは少女の耳元へと、ふぅと甘い息を吹きかけるようにして囁いていた。
「そして今、わたしは、あなたが欲しい――あなたの、その能力が欲しい――だから、その身体、じっくりと調べさせてもらうわねぇ――神秘斬滅の少女ちゃん――?」
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