妖艶なる風魔軍【アウラ】の長
灰色の広場にて噴水を挟んで対峙する、覇王アシャと屍傀の大男。
先に動いたのは、屍傀の方だった。
「ヴヴヴゥ――ウグオォゥ――!」
猛獣そのものの唸り声を上げながら、屍傀の大男は拳を振り上げた。黒ずんだ腕のその先端がザクロのように弾け、骨が剥き出しになる。途端、その骨がみるみるうちに組み代わり、そして斧のような形状へと変形していた。
「ほう――生前の能力か屍傀としての能力かは知らんが、なかなか面白いことをしてくれる」
骨斧を振り上げて接近してくる大男を見上げ、アシャはその場から動きもせずに独りごちていた。前へと突き出した紅い腕をゆっくりと持ち上げ、自身へと、その頭蓋へと振り下ろされようとしている骨斧を受け止めんと、拳を開く。
ズシンッ、と空気が震える。
「どうした――? 貴様、その図体でこの程度の力しか無いと――?」
煽るようなアシャの声。持ち上げられた紅い腕は、振り下ろされた骨斧を軽々と掴み握っていた。屈強な腕の筋肉はミシミシと犇めくように盛り上がり、マグマの如き流動する紅い筋が、その隙間を這い伝うように走っている。無数の紅い筋は、肩に浮かんだ魔法陣へと収束していき、爛々とネオンのような鮮烈な輝きを放ち続ける。
「グヴヴヴヴゥヴッ――ッ!」
渾身の力を込めただろう一撃を易々と受け止められ、屍傀は憤怒のような呻きを噴出させる。アシャは大男の腕から生え伸びた骨斧をグイと強く掴み寄せ、その動きを封じると、背後に佇む少女たちへと声を放っていた。
「今だ、小娘。この屍傀の動きは封じた。そこに磔にされている勇者の女を助けてやれ。これの中にいる奴が余計なことをする前にな――!」
アシャの声にミズホとナルは頷き、ヒメアが磔にされている噴水のオブジェへと駆け出した。アシャは大男の腕を握り潰してその動きを制しつつ、横目で少女たちの様子を眺める。
「ヒメアさん――ヒメアさん――! 大丈夫ですか――? すぐナルさんに治癒魔術をしてもらいますから、もう少しの辛抱です」
ミズホはぐったりと項垂れているヒメアへ声をかけると、刀剣を振るって彼女の身体とそれを磔にしているオブジェとの繋がりを切り離した。重力のままに女騎士の身体はぐらりと倒れ落ち、すぐ下で待機していたナルの腕に受け止められる。
「うわ……本当に腕を斬り落とされてる。それにこれだけの出血……普通の人間だったら即死だよ」
ナルは痛々しげに顔を顰めつつ、その場にヒメアを横たわらせた。ばっさりと刈り取られた腕の断面へと手をかざし、治癒魔術をかけ始める。患部はうっすらとした薄緑色の光りに包まれ、止め処なく溢れていた鮮血が鎮まっていく。
少女たちが女勇者を救出したのを確認すると同時に、アシャは視線を眼前で唸り続ける大男へと戻した。
「ヴヴヴッ――ヴヴァァァッ――!」
腕の先端を掴まれ、動きを封じられた巨大な屍傀は、動けない代わりとばかりにその力を咆哮へと注いでいるかのようだった。アシャは上目遣いに金色の瞳を流し、吼え続ける巨躯を睨みつけた。
「貴様、まだ居たのか――もはや、その上っ面の皮になど興味は無い――そろそろ本性をあらわしたらどうだ――? それとも、こちらから剥いでやった方がいいということか――?」
「グルルルッ――グルルヴァアァッ――!!」
「黙れ――【爆ぜろ】――!」
激しさを増す咆哮が、感情も抑揚も無いアシャの詠唱に掻き消された。その一言とともに、覇王の紅い腕を這う筋が流動し光を帯び、肩に展開された魔法陣から送り出される濃縮された魔力がそれを伝い、拳の中より黄色の光の瞬きとなって放たれる。
途端、屍傀の巨体が、その上半身が爆発によって吹き飛ばされた。赤黒い体液と青く変色した肉片とが細切れに勢いよく飛散する。それらは瞬く間に光に灼かれ、そして消滅していった。
その時だった。
屍傀の上半身が消し飛ぶと同時に、その中から何かが飛び出していた。まるで爆発による熱波と衝撃から逃れるかのように素早く。身を包む肉塊の皮を、もはや不要とばかりに躊躇いなく脱ぎ捨てるように瞬時に。
「まったく、もう――アナタ、随分とせっかちなのねぇ――」
飛び上がるそれから聞こえるのは、妖艶な女の声。しかし、蒸発した肉塊の残滓が上方に充満し、覆い隠された視界はその姿を捉えることはできない。
「えっ――ちょっ――キャアアッ――!」
不意ににミズホの悲鳴が響き渡る。予期せぬ悲鳴に、アシャは僅かに視線を逸らしてミズホの方を見やった。
「小娘――!?」
思わずアシャは声を漏らした。覇王の視線の先で、ミズホは苦しげに顔を引き攣らせていた。その小さな身体は、細く硬質な何か――鋼索のようなもので雁字搦めに縛られている。
「ぐっ――アシャさん、私のことは――いいので――目の前の敵を――」
「たわけ――! お前、魔術師の女と勇者の女はどうした――」
言いかけたアシャの横を、勢いよく女の身体がすっ飛び通り過ぎていった。一瞬見えたそれは、何か強い衝撃によって弾き飛ばされたナルのそれに違いなかった。ギャアという悲鳴が、背後でゴロゴロと転がっていく。
「わ――わたし――何を――?」
続いて聞こえたのは、勇者の女――ヒメアの声。彼女は雁字搦めに縛られたミズホの後ろに立ち、わけがわからないとでも言いたげにふるふると首を振りながら後退っている。その視線は怯えと絶望の色を帯びて、刈り取られた腕の断面を、そこから肉を掻き分けて生えてくる無数の鋼索のようなものを見据えていた。
そして、そのワシャワシャと長く伸びているその鋼索こそ、ミズホの小さな身体に絡みつき、縛り上げているものの正体だった。
「なに――これ――こ、こんなの――イヤ――イヤアアアッ――!!」
「ヒメアさん――! 気をしっかり! こんなの拘束さえ解ければすぐに断ち切って――」
少女たちの声は、そこで聞こえなくなった。
長く長く伸びた鋼索が、締め上げられたミズホはもちろん、それを腕から生やしたヒメアもろともをグルグルと球状に取り囲み、閉じ込めてしまっていたのだ。
球状になった鋼索の塊は、その中にミズホたちを内包したままゴム毬のように空へと跳ね飛んだ。上空を覆う厚い靄と雲の中に消えていくそれを目で追いながら、アシャは咄嗟に叫んでいた。
「くっ――貴様――小娘を連れ去るつもりか――!」
「ふふっ――そうよ。わかっているのなら、話が早いわぁ」
再び聞こえる、妖艶な女の声。
肉塊の残滓は晴れ、次第に鮮明になっていく視界の中で、それは建造物の上から、ゆらゆらと波に揺られるかのように気怠げに、アシャを見下ろしていた。
長く艷やかな黒い髪に、人型をした体躯はすらりと伸びた長身。その顔は人間の女のモデルのように繊細で精緻で、まるで人間以上に人間らしい美しさを兼ね備えた姿をしていた。
だが、美麗な人間の女とも見紛うばかりの容姿の中で――その表皮だけが異様だった。その女の身体は、頭から爪先に至るまで全身のすべてが、生気の無い灰色を帯びていたのだから。
「うふふ――ようこそ、枷の男。わたしの名前はリツルミ。ダイスロウプ風魔軍を統括せし四天王のひとりよ」
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