衣装【ドレス】を揺らし、夜景を抱いて
遠くから響く唸り声にも似た音は、地上で鳴っているのだろうサイレンの音。
窓も、壁すらも、遮るものすべてが失われたスカイラウンジのメインホールから見渡せるのは、空を覆う夜の闇と、眼下に広がる光の粒子のように煌びやかな夜景。差し込むのは、真円に近い形をした月から放たれる仄かな灯り。
その柔らかな白い光に照らし出されるのは、幾つかの人影。
ひとつは、意識を失って横たわる少年。投げ出されるようにして伸びた左腕に、その手首に喰い込むように、紫色の妖しく光る枷が嵌められている。
もうひとつは、可憐な衣装を身に纏って蹲る小さな少女。青いツインテールを垂らし、項垂れているようにも、眠っているようにも見えたその少女は、しかし息を殺して、膝元に置いたそれの様子をひたすらに眺めていた。
最後の――みっつめの人影は、その青い髪の少女の膝を枕にして横たわっている、一糸纏わぬ少女の裸体。腰まで伸びた紫色の長髪に、雪よりも白い透き通るような肌。人形のように精緻で美しいその顔に彫られた瞳は、眠りとも気絶とも異なる次元の、凍るような沈黙を湛えて閉じられていた。
魂が抜けてしまったかのようなそれは、まるで本当の人形のよう。
「さすがに、そろそろ起きようか、ノエちゃん――寝過ぎるのは身体に良くないんだよ」
青い髪の少女、瑞穂は静かな声で優しく囁いた。
その声に呼応するかのように人形のような少女の切れ長の睫毛がぴくりと震える。瑞穂の声を聞き、底抜けに深い無意識から目覚めたのか。それとも逆に、瑞穂が目覚めのタイミングを予期して声をかけたのか。――あるいは、その両方か。
「おはよう――ノエちゃん。おはようと言っても、今は夜だけど――」
おどけたような言葉とは裏腹に、瑞穂の口調は湿っていた。そう言う内に首のあたりがひくひくと震えだし、それを堪えられぬままに肩の辺りまでもが、ふるふると震えだして。
人形のような裸の少女――ノエはゆっくりと瞳を見開く。ぼんやりとした眼のまま上体を起こし、茫然とした様子で周囲を見渡し――そしてそこで初めてその存在に気付いたかのように瑞穂の顔を凝視し、信じられないとでも言いたげな表情で呟いていた。
「これは――どういう――こと――? 底無しの熔鉱炉に取り込まれたはずの私が――どうして、生きて――」
「簡単だよ――」
瑞穂は即座に、しかしゆったりとした口調で応える。
「あなたと、あの熔鋼とを、断ち切った。それだけ」
「それだけ――って、そんなことはできないはず――だって、あの時すでに私は、アレと完全に融合してしまっていた――いくら神秘斬滅であっても――あそこまで深く融合して、ひとつになってしまったものを断ち切ることなんて――」
頬に手を当て、ノエは微かに首を振る。その手の甲の上から静かに指先を重ね、瑞穂はノエの困惑し切った表情へと顔を近づけた。白皙の少女のひんやりとした息遣いが、瑞穂の首筋を撫でるように流れていく。
「ノエちゃん――私もね、やっとこの能力の本当の力がわかってきたんんだよ――これは【断ち切る】能力――つまり、2つあるものの繋がりを断ち切ったり――ひとつのものを2つに断ち切ったり――」
「でも――それは能力者自身が、断ち切る対象を認識出来ていないと――だから、貴女は視ることのできない結界は独力では断ち切れなかったはずだし、寄生型魔族を宿主から切り離すこともできなかったはず。なのに、何故《なぜ》――」
瑞穂は小さく頷く。柔らかな頬と頬とが触れ合い、火照った感触と、つんと冷たい感触とが、少女たちの中で交わっていく。
「そう――神秘斬滅は能力者が――つまり私が、断ち切るべき対象である繋がりや流れや因果を認識した上で、それを刃で捉えなければ断ち切ることは出来ない――私も、そう思ってた。でもね、それは逆だったんだよ」
「――逆、とは――?」
怪訝そうに眉を寄せるノエに、瑞穂は微笑んで見せる。
「【私が認識出来ないものは断ち切れない】ということは、裏を返せば【私が認識したものは絶対に断ち切ることが出来る】ということ。
熔鋼の中にあなたががいて、私がそこにあなたを認識したのなら、完全に融合していようが、既にひとつになっていようが――私は熔鋼の中から、あなただけを斬り出して、あなただけを熔鋼から断ち切って、私の認識した通りに、あなただけを切り離すことが出来る」
呆れたように首を振り、やはり状況を飲み込めない様子でノエは呟いた。
「そ、そんな――ことが、簡単にできるわけ――」
「もちろん簡単じゃないよ。だから、あなたのいう通り、以前は襲いかかってきた寄生型魔族に寄生された人を、私はその能力で別々に切り離すことはできなかった。今回成功したのは、本当に単純な、でもとっても大事な理由があっただけのこと――」
瑞穂は寄りかかるようにノエの肩を抱く。小さくか細い少女の身体が、先程よりもさらに、はっきりと小刻みに震えている。やがて漏れ聞こえてくるのは、瑞穂の絞り切るような微かな嗚咽と言葉。
「わっ――私は、初めて出会った時からずっと、ノエちゃんのことを知りたいと思ってたから――仲良くなりたいと思ってたから――短い間ではあったけど色々とお話をしたり、一緒に寝たりとかしたりして――それで今の今になって、こんな状況になってやっと、何となく少しだけではあるけれど、あなたという人間がどういう人間なのか、理解るようになった気がするから――。
だから、私にはわかったよ――認識できたんだよ――熔鋼の中にいる、あなたのこと――飲み込まれてしまって、苦しそうな感情――あとは、ただガムシャラにそれを断ち切って、切り離して、抉り出すだけだった――」
ひくひくと嗚咽とともに漏れる瑞穂の言葉に、ノエはそれまでの訝しげな雰囲気を解き、ふうと溜息を吐く。少女の小さな身体を抱き返すように、その肩に手を回して。
「要は――行き当たりばったり、ってことね」
囁くようなノエの声に、瑞穂は不満そうに、しかし少し照れたように返す。
「むう、違うもん――って、言いたいところだけど、そうとも言う――かな」
「でも、ありがとう――瑞穂ちゃん。私はただ死ぬことしか考えてなかったら――こうして生きて、貴女と一緒にいられて、今とても嬉しい気持ち――」
「お礼を言うのはこっちかな。ノエちゃん、約束――守ってくれて。おかげで私はあなたを死なせることも、殺すこともせずにすんだから――」
抱き合いながら、少女たちは静かに立ち上がる。絡まりを解くようにゆっくりと離れた少女たちは、そこで初めてお互いの格好の不自然さに気づき、顔を見合わせて苦笑した。
ひとりは、所々が破けて端の焦げてしまった切れ端のような衣装を纏い、もうひとりは下着すら無く、白い肌とほっそりとした体躯とがこれ以上ないほどに顕になっている素っ裸な状態。
ノエは瑞穂の身体を上から下まで観察するように見つめ、そして自分の一糸纏わぬ姿をちらと流し見て、ほんの少しだけ申し訳なさそうに小首を傾げていた。
「せっかく買ってもらった衣装――ダメにしてしまったわね――」
瑞穂はふるふると首を振る。雪のように白く透き通った少女の手首を握り締め、横たわる翔真の方へと振り返ると、瑞穂はノエの手を引き歩き出す。寄り添うような少女たちの歩みは、まるでお互いのその触れ合う部分に確かな生の感触を求めて、確かめ合っているかのよう。
歩きながら、瑞穂は肩越しにノエの顔を見やり、小さな声で呟きかけていた。
「そんなのいいよ――それより、また一緒に買いに行こう?」
○ 第4話 終わり ●




