【約束】の一閃は君の魂を断ち切る
「そろそろ――時間だ」
アシャはその金色の瞳を僅かながら歪めるようにして、呟いていた。
その言葉通り、眼前に展開された半径数メートルほどの絶対遮蔽領域の境界たる薄紫色の光は次第に薄れていた。その内部は、ノエの放った全力の冷気によって白く染まり、どのようになっているのかを窺い知ることはできない。
「しかし、あの人形の女、無茶をするものだ。あの小さな身体よりこれほどの魔力と冷気を発するとは――我が絶対遮蔽領域により隔離されていなければ、この周辺数十キロにわたって絶対零度に包まれ、あらゆる生物は死滅しただろう――」
「そ、そんなに――ですか?」
瑞穂は驚きと困惑の入り混じった声を漏らす。泣きはらした頬は紅潮し、その瞳はいまだ涙に揺れている。
「うむ。だが、暴走した底無しの熔鉱炉を止めるには、最低でもこのくらいの反属性をぶつける必要があった――なるほど、我が身体はそれを予期して、突然に割り込んできたということか」
「ノエちゃん――大丈夫でしょうか――」
不安げな声で呟き、瑞穂は胸元を掌で押さえる。アシャはちらと横目で少女の姿を見やり、金色の瞳をゆるやかに細めて。
「それを見届けるのは、お前だ――小娘」
瑞穂は小さく頷く。哀しげに俯きながら、剣の柄に手をかける。
「俺の意識は、夢幻拘束により縛られて、もうすぐ眠りにつく――消え去りし絶対遮蔽領域の先にあるものを【どうするのか】は、お前が決めることだ――」
そう言い切ったアシャの瞳は、閉じられていた。目尻から僅かに漏れる金色の光はしかし、あまりにもか細く、今にも消え入りそうなほどに弱々しい。
「――約束――したのであろう? ならば、お前ができることを――してやるがよい――」
がくん、と少年は頭を垂れ、その場に崩れ落ちるようにして倒れた。
覇王アシャの力が再び拘束されることよって、絶対遮蔽領域が消えていく。ドーム状に展開された薄紫色の境界が色を失い、内部に充満していた白い冷気が漏れ出し、そして段々と晴れていく。
次の瞬間、圧縮されていた空気が、衝撃波のように周囲へと拡がる。瑞穂は一瞬、睨むような鋭い目線でそれを見定め、一太刀の内にその衝撃波を薙ぎ斬る。それを断ち切った少女の周囲を除いて、衝撃波によってホールの壁は吹き飛び、粉々に散っていく。
「ノエちゃん――!」
瑞穂は叫ぶ。だが、その声の先にあるのは、彼女が呼んだ少女の姿ではなかった。
――グギギギギギ。
響き渡るのは、金属の擦れるような音。
ぞくり、と瑞穂の背筋に悪寒が走る。
そこにあるのは、黒々とした鉄の塊。形容し難い歪すぎる形状から無数の脚のようなものが生えたその異形は、喩えるならば影を捏ね繰り回して造った蜘蛛のよう。
少女ノエの姿は、そこには無かった。あるのは悍ましい姿をして蠢いている鉄蜘蛛だけ。
「そんな――ノエ――ちゃん――」
絶望しきったような声を漏らす瑞穂。
瑞穂は悟る。考えられる可能性は、ひとつだけだった。ノエは、その核は、底無しの熔鉱炉に取り込まれてしまった。その成れの果てが、今、目の前で蠢いている異形の鉄蜘蛛なのだ、と。
唾を飲み込み、瑞穂は手にした刀剣の柄を握りしめた。
――もし、私がアレに取り込まれるようなことがあれば、その時こそ――容赦なく私を殺して――。
熔鋼に立ち向かおうとするノエの背中と交わした約束が、あの鈴の音のようなか細い声が、瑞穂の脳裏に浮かび上がる。
――約束――したのであろう? ならば、お前ができることを――してやるがよい――。
胸の奥に響いてくるアシャの言葉。拘束間際でありながら、しっかりとはっきりと響き渡った、芯のある覇王の導き。
ふぅと息を吐き、震えそうな唇をきゅっと引き結ぶ。瑞穂は何かを決心したように顔を上げ、真正面に蠢く鉄蜘蛛を凝視し、そして刀剣を構えた。
「約束――したものね――」
――グギギギガァ――!!
歪な鉄の塊が軋む、耳障りな音を響かせながら鉄蜘蛛はガサガサと脚を動かし、瑞穂へと迫りつつあった。
目の前の動くものへと反射的に襲いかかる――まるで動物的な、獰猛な獣のような反応。そこには知性の欠片もなく、必然として自分の声はその中にあるだろう核へと届くことはない――と瑞穂はふと思い知る。
「だよね――それなら――せめて、この刃で――」
鉄蜘蛛が跳び上がった。無数に生えた脚で眼前に捉えた獲物を刺し掴まえようと、鋭利なその先端をぐいんと伸ばす。
一閃。
ガシャンという音を響かせ、鉄蜘蛛は床へと墜ちる。着地に使うはずだったであろう無数の脚は、一切の容赦なく神秘斬滅の一太刀によってすべて刈り取られていた。
そこにいるはずだった少女は、素早い動きでその場から跳び退いていた。可憐な水色の衣装がはらはらと靡き、着地と同時に少女はその華やかさに似合わない、鋭くも苛烈な勢いをもって握りしめた刀剣を薙ぎ振るう。
もう一振り、白い閃刃が走った。
鉄蜘蛛の左上部分がごっそりと削げ落ちる。
――ギグググギィィ――!!
奇声が響き渡る。鉄蜘蛛の深部から鳴り響くそれは、身体の一部を断ち切られたことによる痛みからか、それとも単なる稼働しようとする軋みの音か。
シュンと音がし、鉄蜘蛛の両サイドから細く長い鎌のような鉄片が生えてきた。その切っ先が、瑞穂のこめかみのあたりを狙って空を切る。
瑞穂は視線すら動かさずに腕を振り上げ、瞬時の内にその鉄片を断ち切っていた。一切の反撃を許さないかのように鋭く細められた瞳は、ひたすら鉄蜘蛛の中央部分を、その奥にある何かをじっと見据えている。
一分の隙も無く、一瞬の遅れも無く、瑞穂は斬撃を放ち続けた。右上が削ぎ落ち、無数の脚がさらに短く刈り取られ、前面を覆う突起だらけの部位が撥ね上げられ、そして――。
ふう、と刀剣を手にした少女が再び息を漏らす。何度目かに撥ね上げた鉄片の奥から、きらりと輝く何かが剥き出しになっていた。瑞穂はその瞬きに気づき、視線を注ぐ。
それは水晶のように透明に煌く塊。氷機少女のノエと呼ばれた、人形の少女の魔力核。
――これが――私の魔力核です。これを斬れば、私は死にます――。
初めて出会ったときのノエの言葉が、瑞穂の胸の中を駆け、渦巻く。
雪のように仄かな白い輝きを放つ少女のツインテールが、さらに強い白色を帯びていく。
「その核を――断ち切れ、私の剣――!」
神秘斬滅の少女は白い刃を突き立てる。剥き出しになった水晶のような塊へと、氷機少女の魔力核へと、一片の躊躇いもなく。
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