【イフェスティオ】という名の厄災
「なるほど、奴の言っていた【手遅れ】の意味はこれか――確かにこれは、制御不能な暴走と言えよう。
うむ、思い出してきた――かつて、【アレ】に対抗するため、これと似たモノを造り出した、たわけがいたことをな――」
敵の消え失せたホールに佇み、部屋の中央に展開した透明な薄紫のドームを、その中に満ちた熔鋼の滾りを見つめながら、金色の瞳の少年――覇王アシャは独りごちていた。
「それで――これでよかったのか? 人形の女」
視線を動かさないまま、アシャは背後に立つノエへと言葉をかけた。こくり、と頷く少女もまた、山吹色の瞳を細めた物憂げな眼差しで、熔けて形状の殆どを失いつつある、底無しの熔鉱炉の姿を見据えている。
「ええ、あの男が消滅した以上、もう犠牲者が増えることはない――重ねて礼を言うわ、覇王アシャ。あとは――」
ノエは一歩、前へと踏み出す。底無しの熔鉱炉の放つ光が、少女の白い頬をゆらゆらと赤黄色に眩く照らす。
「アレを――姉さんの魂を――眠らせてあげないと――」
呟くノエに、アシャはそこで初めて視線を動かし少女を見た。
「ふむ、これがどういう状態か、理解るか」
「当然よ――私は本来、これの核になるはずだったのだから。それに、さっき貴男も言っていたわね――【不安定化した底無しの熔鉱炉はすべてを飲み込む。それを止める術は無い】――と」
2人の会話を聞き、瑞穂は眉を寄せて、茫然と声を漏らした。
「えっ――?! そ、そんな――それじゃ、このままだと――」
「うむ――アレは既に崩壊と膨張の段階に入っている。今はまだその周囲を絶対遮蔽領域で覆い隔離することによって外への影響を免れているが、それが無かったとしたら、瞬く間にこの周辺は数キロにわたって焦土と化し、その被害は止め処なく拡がっていくことだろう――。
本来であれば、数十年とその膨張が収まるまで絶対遮蔽領域によって隔離しておくべき案件だが――」
アシャはそこまで言うと掲げていた左腕をぶんと振り、少女たちの眼前へと見せつけるかのように動かす。紫色の魔法陣の浮かぶ手の甲の少し下――手首のあたりを取り囲んでいるのは、うっすらとした光の筋。少しずつ濃さを増していくその光の筋は、まるで縛るかのように、締め付けるかのように、じわじわと少年の手首へと喰い込んでいく。
それは夢幻拘束と呼ばれる魔枷。覇王アシャの能力を【無】へと【繋げる】封印。
瑞穂の放つ神秘斬滅の刃によって一時的に断ち切られていたそれは、しかし、その拘束を復活させ、覇王アシャの無限の能力を再び封じつつあった。
「生憎、夢幻拘束がここまで復元してきている――絶対遮蔽領域を維持できるのは、あと数分といったところだろう――」
「そ、そしたら――アシャさんの展開している領域が消えて、この辺り一帯が焦土に――な、なんとかしないと――」
譫言のように呟きながら、瑞穂は刀剣を握り締める。
「アレを――断ち切ることで、何とかできないですか――?」
「無駄だ、やめておけ。お前――アレの何を断ち切ろうというのだ。核も根源も無い、もはや最初が何だったのかもわからぬような、ただ無秩序に絡み合うだけの魔力の塊を――断ち切るという能力のみでどう無力化するつもりだ。むしろ――絶対遮蔽領域ごと斬ってしまいかねん」
「そ、それなら――以前、アルコールの魔族を夢幻拘束で封じ込めたように、アレにも同じようなことは――?」
「アレすべてを無と繋げるには、しかし量が多すぎる。それに、あれだけの魔熱を放っているのだ――迂闊に近づけば身体が持つまい」
「そ――それだと、打つ手は――」
苦しげに声を捻り出す瑞穂。その時、俯きかけた青い髪の少女の横から、鈴の音のような声が響いた。
「打つ手はあるわ――」
そう呟くノエへ、瑞穂はちらと視線を移す。長い髪と白い肌の少女は、蠢く熔鋼の姿を見据えたまま、抑揚の無い口調で呟きを続けていた。
「アレを閉じ込めている領域を少し広げて、その中に私を入れてくれればいい――」
事も無げに言うノエの言葉に、瑞穂は目を剥いた。
「なっ――何をするつもりなの、ノエちゃん。あんなのと一緒の領域に入っちゃったら、あなたの身体は――」
思わず口を挟む瑞穂に、ノエは力無く微笑んで見せる。
「私は元々、アレを制御するために用意された魔力核――だから、純粋に放出できる魔力量だけで見るなら、アレに押し負けることはないはず。そして、幸いにも私の属性は氷気と凍気――そう、ちょうどアレの正反対。
あの絶対領域の中でなら、私も周囲のことを気にせずに魔力を全力開放できる――アレの拡がりゆく魔熱を、私の凍氷でなら中和し、抑え込めるかもしれない――」
その言葉に、アシャは金色の瞳を歪め、そこに不愉快さを滲ませるかのように、ノエを睨み据えた。
「そう簡単に言うが――アレを打ち消すほどの魔力をその小さな身体から放つということは、つまり貴様もアレと同じように内包する魔力を暴走させるということに等しい。
貴様――へたをすれば死ぬぞ。もし死なずにすんだとしても、抑えきれずに残留したアレの魔力に――核を求めるその混沌に――取り込まれる可能性が高い――と俺は考えるが――」
アシャがそこまで言ったところで、瑞穂は唐突にかぶりを振った。
「そっ――そんなのダメだよ――! 死ぬかもしれないなんて、そんなこと――」
いつの間にか少女の瞳に溜まっているのは、いっぱいの涙。ノエは困ったように小さく首を傾げ、聞き分けの無い子供へと諭すように瑞穂へと語りかける。
「でも――他に方法は無い。それに、私は所詮、屍体に寄生した魔族――もともと死んでいるようなもの――だから、別に命も惜しくはない」
「屍体とか寄生とか――そんな言い方、2度としないでって言わなかったっけ!? それに――そんなの嘘だよ。ノエちゃん、亡くなったお姉さんのこと【姉さん】って呼んでるじゃない。ノエちゃんにとって、その身体はもう――ただ借りているだけの身体じゃなくて――ノエちゃんそのものになっていて――だから、魔族だとしても、ノエちゃんのその身体は人間だよ。その心も人間で――だから、命が惜しく無いなんて嘘に決まってる――もしも――もしも、仮にそうだとしても――」
瑞穂は次第に涙声になっていくのを堪えるように、勢いよく一頻り叫ぶと、ノエの白い腕を掴み、ぐいと胸元へと引き寄せた。
「私は、ノエちゃんが死ぬようなことになるのは嫌だ――!」




