あるべき終着は呪いに【熔けて】
「ふははははっ――いかに枷の男とはいえ、この膨大な魔力を帯びた熔鋼と魔熱には耐えられまい――! しかし計算通り、これは凄まじい力だ――制御用の核となるべき存在が失われたのは惜しいが、しかしこの強大な力の前には些細なことであったか――」
底無しの熔鉱炉の腹より溢れ出た熔鋼の流れが、アシャたちを飲み込む様を眺めながら、ティマニタは嗤っていた。
「そう、これを造ったのは儂だ――! ついに圧倒的な――何者にも抗うことのできぬ力を造り出したのだ。くははははっ――まずは我が傑作が、この世界をいかに熔かし尽くすかを眺めるとするかのう――!」
目の前で蠢く怪物の姿に、その全身から溢れ出る強大過ぎる力に、ティマニタは子供のようにはしゃいだ言葉を漏らす。
「くくくくっ――こちらの人間どもに、この圧倒的な魔装を止める術など存在しまい――儂の造りしものが世界を滅ぼすとは――ぞくぞくする、なんと素晴らしいことか――!」
熔鋼は流れ続け、ホールの壁を熔かし、スカイラウンジの窓から滝のように流れ落ちる。沸き立つ魔熱は、周囲のものを灼き尽くす。まるで、歯止めの効かない火山の溶岩流のように。
その時――濁流のように溢れ、流れ続ける熔鋼が、流れの道筋を変化させた。
「――この程度のものが【世界を滅ぼす力】だと――? ふん――笑わせるなよ爺」
蔑むようなアシャの声が、煮え滾るホールの中に響き渡る。
「なっ――まさか、枷の男――!? 生きて――おるだと?!」
ティマニタが動揺に満ちた声を漏らすと同時に、赤黄色に沸き立つ流れの丁度真ん中の辺りから――アシャたち3人の立っていた場所から――熔鋼が弾け飛んだ。
「――教えてやろう爺。世界を滅ぼす力とは、絶対的な最上位能力――抗う心を折る圧倒的な物量――そしてそれ故の、深淵なる絶望――だ。それに比べればこんなもの――ただの悪趣味で非効率な呪いに過ぎん――」
弾け散る熔鋼の中から姿を現したのは、金色の瞳の少年アシャと、それに寄り添うように立つ刀剣と重火器とをそれぞれ手にした2人の少女。そして、彼ら彼女らを熔鋼と魔熱から護るように包み込んでいる、ドームのように展開されし薄紫色をした透明な領域。
「バカな――あの熔鋼の流れに飲み込まれて――無傷だと――?!」
信じられないといった様子で呻くティマニタ。驚愕と畏怖に歪む老人の視線の先で、覇王アシャは左腕を上げ、その手の甲を掲げていた。左腕の手首に嵌められていた枷は断ち切られ、解き放たれたその手の甲に浮かび上がっていたのは、盾の形に似た紫色の魔法陣。
「これこそ、かつて真なる世界の滅びへと抗いし力――我が左腕の枷に封じられしは、【領域という概念の再定義】――この世のあらゆる境界の法則を自在に改変し上書きするがゆえ、【領域】という概念そのものを再定義する能力――それによって生み出されし、【絶対遮蔽領域】」は、いかなる攻撃を、呪いを、侵食を――そう、あらゆる滅びを阻む盾となろう――」
手の甲に浮かぶ魔法陣から放たれた薄紫の光は、アシャの頭上から拡がるようにしてドーム状の領域を形作っていた。その領域――絶対遮蔽領域と呼ばれたそれは、熔鋼の侵食を完全に阻み、濁流のような夥しい流れから、アシャ自身と2人の少女とを護っている。
「あ――あり得ぬ――これ程の魔熱を帯びた熔鋼を――これ程に高密度で莫大な魔力の流れを――こうも完全に防ぎきるなど、理論的にあり得ぬ――」
「貴様――人のことをどうこうと言っている場合か?」
動揺し続けるティマニタへ、アシャは興味なさげに言葉を投げる。
「な――どういう意味だ――」
「理解らぬか――? そこに鎮座する呪い、もはや保たぬぞ」
「なんだと――!? ということは、まさか――」
老人は咄嗟に、底無しの熔鉱炉を見上げる。腹から内容物をぶち撒けたばかりのそれは、しかしそれでもまだ吐きたらぬとばかりに四つん這いになり、ぶるぶると痙攣しながら、ぼとぼとりと己の中身を滴り落としている。全身から人間の上半身のような形をした突起物が次々と、まるで突き破らんばかりの勢いで蠢いて――アシャの言葉通りそれは、その存在の維持が限界に近づいていることを示しているかのようだった。
「だから、訊いたのだ。『言いたいことは、それだけか?』――と。貴様、調子に乗って【詰め込み過ぎた】な。確かに魔力は圧縮すればするだけ高密度となろう。そして、量を確保しようとするならば、この世界の人間は、確かに無尽蔵と言ってもいいだけの個体数を有している――だが、そもそも人間は不純物を多く含有しすぎている。その身体は肉体で、魔力の元たる魂は感情から近い位置にあり――それをそのまま混ぜこぜにして圧縮したならば、やがて崩壊するは必然であろう。
そう――貴様の造り出したその熔鋼は、すでに貴様ごときでは止められぬ。漏れ出る熔鋼と魔熱とが、貴様を含めたすべてを飲み込む――それは、もはや秒読み段階と言えよう」
「ぐぬう――そんなことはとっくに承知のこと。お前に言われるまでもないわ。それ故に、スミノより抽出した灼零核に由来する高純度な魔力核が制御のために必要だったのだからな――しかし、核の無い不安定な状態で人間たちを無秩序に熔かし込んで圧縮していったがために、その形状を維持できぬまでに至ってしまったのもまた事実――ここまで不安定化が進行してしまっては、もはや核があったところで役には立たぬか――ならば――!」
吐き捨てるように言い放つと、ティマニタは跳び上がる。と同時に、老人の背中がばっくりと開き、そこから翼竜を思わせる形状をした金属製の翼が展開される。
「ここは一旦、退くとしよう――だが、大量の人間を熔かし込み、そこに含まれる魔力を極限まで圧縮することによって、並の魔族を遥かに超える魔装を造ることができるという、儂の考えは間違えではなかった――核が間に合わず制御ができぬのが心残りではあるが、紛れもない我が【最高傑作】がこの世界を灼き尽くすのを、あちらより眺めるとするわ――クハハハッ――」
金属製の翼がはためき、老人の身体は上昇していく。
「にっ――逃げる気ですか――!」
瑞穂は上方を見上げて叫ぶ。ノエは咄嗟に腕の機関銃を構えようとする。
「案ずるな――小娘」
2人の少女を制するようにアシャは低く、しかし芯の通った声で呟いた。その時――。
ガコン、という音とともに老人の飛翔が止まった。金属製の翼が、何かに阻まれているかのようにひしゃげている。
「な――何が起こった――何故これ以上、上昇せんのだ――?!」
ティマニタが狼狽えたような声を漏らす。
その上昇は止まったわけではなかった。それどころか、老人の身体は少しずつジリジリと、煮え滾り荒れ狂う底無しの熔鉱炉へと近づいていた。
「なっ――何だ――儂の身体が――引き寄せられ――いや、違う――これは、貴様の仕業か、枷の男――!!」
目を剥いて眼下のアシャへと叫ぶティマニタ。金色の瞳を爛々と輝かせてそれを見上げる少年は、左手の甲を掲げながら口の端に蔑むような笑みを浮かべていた。
「言わなかったか? 我が左腕は【領域の概念を再定義する】と――故に貴様の【行動範囲】を弄り、少しずつ【狭めていく】ことなど造作も無いこと」
老人の身体と底無しの熔鉱炉は、いつの間にかひとつの薄紫色のドームに――絶対遮蔽領域に包まれていた。段々と狭まっていく領域に押され、両者の距離はどんどんと近づいていく。ティマニタの表面が魔熱に灼かれ、黒く泡立っていく。
「あうぐあぁぁぁッ――!! や、やめろ――あ゛づい゛ッ――あがあぁッ――!!」
熱さと痛みに呻き喚くティマニタ。アシャは冷ややかな視線でそれを見つめ。
「貴様――よもや、俺から逃げられるとでも思っていたか――? そして、それは貴様が造ったものであろう――?
数多の人間を犠牲にし、その魂を弄び、怨嗟を踏みにじり、恐怖を悦び、哀しみを食い物にして――それらすべてを熔かし込んで造った呪い――。
そう――それは、貴様のくだらぬお遊びが造りだした、死を啜る塊――ならば、最後は貴様自身の死をもそこに熔け込ませ逝くのが、あるべき終着の在り方というものだとは思わぬか――?」
「ひ――ひーッ――! あづうッ――あがああああぁぁッ――!!」
グチュ――という、何かが熔けて潰れるような音と同時に、ティマニタの声は途切れた。
老人と熔鋼とを内包した薄紫色の領域は、すでに大人ひとりがやっと収まる程度にまで縮まっていた。そこにはもはや魔族ティマニタの老獪な姿はなく、赤黄色の流動する熔鋼だけがドーム状の領域の中いっぱいに満たされて、ぐつぐつと滾っていた。
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