ある哀しき【姉妹】の惨劇
コロコロという虫の鳴き声が、部屋底の静寂にしっとりと滲み入る。
僅かに開かれた窓と、時折思い出したようにはらりと流れる水玉模様のカーテン。吹き込む微風を感じさせるはためきに呼応するように、部屋へと差し込む月灯りは、ゆらゆらと白く艶かしく、2人の少女を照らしていた。
塚本瑞穂は自室のベッドに腰掛けながら、傍らで横になり寝息を立てている人形の少女、ノエの寝顔を見つめている。精緻で美しいその横顔は磁器のようで、膨らみかけの胸元がゆるやかに上下していなければ、本当に人形と見紛えてしまいそうだ、と瑞穂は心の奥底で独りごちた。
「――こ――ここは――?」
不意に静寂を揺らす、鈴の音のように高く澄んだ少女の声。
ノエは目覚め、ゆっくりと瞳を開き、そしてすぐ横に腰掛ける瑞穂を見上げていた。
「――目覚めたんだね、ノエさん」
瑞穂は、ノエの声に気づくと顔を綻ばせ、ふうっとホッとしたように息を吐く。そしてそのまま脱力したようにぐったりと、それまでの緊張が一気に緩んでしまったかのように、その場に横になった。
月灯りが映し出す陰影の中で狭いベッドに寝転がる、小さく儚げな2人の少女。
ベッドから落ちないように身を縮め、相手の鼻先まで顔を近づけて、瑞穂は言葉を続ける。
「心配しないで、ここは私の部屋だから。ところで、身体の傷は大丈夫――?」
「――ええ、以前にも言ったかもしれないけれど、私には再生能力の機能があるから――さすがに、魔術を帯びた鎌で身体を貫かれたから、少し時間がかかってしまったようだけど――もう大丈夫」
ノエは囁くように言うと、ふと今思いついたように付け加えた。
「あっ――そういえば、買ったお肉と魚は冷蔵庫に入れておいてくれた?」
「えっ、こんな時に食材の心配――?」
「貴女に、先日思いついたレシピを食べて欲しいから――」
「へぇ――」
瑞穂はごくりと喉を鳴らす。
「どういうお料理?」
「それは、秘密よ」
くすりと笑い、瑞穂は何かを噛みしめるように瞳を閉じた。
「ふふっ、食べる時のお楽しみってやつだね」
「――で、訊かないの?」
不意に放たれたノエの言葉に、瑞穂は小首を傾げる。
「何を――?」
「なぜ、四天王クラスの魔族が、私を連れ戻しに来たのか。その理由を」
「うん――もちろん、それは気になってるよ。どうして、あのヨツバって四天王は、あなたを殺さず、動けない程度に傷つけた上で、連れ去ろうとしたのか――」
そこまで言って、瑞穂はゆっくりと目を開き、肩を竦めた。
「でも、それはたぶん、あなたが【自分で自分を殺そうとしている】ことと何か関係があると思うから――そのことについて、ノエさん答えたくなさそうだったから」
「なるほど――なら、今それを話してもいい?」
思いがけないノエの言葉に、瑞穂は不思議そうな面持ちで頷いた。
「いいけど――どうして急に――」
「ごめんなさい――でも、もう時間が無いから」
ぽそりと呟いて唐突に謝ったノエは、瑞穂から視線を逸らそうとするかのように寝返りをうち、仰向けの状態でその眼差しを窓の外へと向けた。
「そういえば――あなたを連れ去ろうとしていたあの人も言ってた。【次の満月まで、もうあまり時間はない】――って」
「あの仮面の魔族、そんなことを言っていたの――? でも、確かにその通り。なぜなら、満月になるたびに犠牲者が増えるから」
「犠牲者――?」
瑞穂はノエの横顔を見つめたまま、眉を潜めた。
「以前、ティマニタという魔族の話をしたことを覚えているかしら。私という人形を造った、【雷匠調教】の二つ名を持つ魔技師――その男は、研究のためにこの世界に来ていて、そして――」
言いながらノエは少しだけ身体を傾けて、瑞穂の不安げな表情を流し見る。
「――そいつは自分の研究のためだけに、満月の夜になるたび、この世界の人間を実験材料にして――殺している」
瑞穂は何も言わず、ただ息を呑む。
「その目的は、こちらの世界の人間の持つ、僅かな魔力の抽出と凝縮。街中から比較的高い魔力を有する人間を捕らえ、その魔力が最大限の伸びを示す満月の夜に、捕らえていた人間を熔かして殺し、もはや元のカタチが何であったかわからないくらいドロドロになったそこから、なけなしの魔力を啜り尽くす――」
ノエの呟きに従って、瑞穂の表情は徐々に嫌悪感に歪んでいく。
「ティマニタの研究によって、すでに多くの人間が犠牲になって――その総数は私にはわからないけれど、3桁か、あるいは4桁か――そして、これからも――満月の夜のたびにその数は増え続けていく」
そっ、そんなに――と小さく漏らす瑞穂。痛々しげなその表情から、ノエは僅かに目を逸らし。
「その犠牲者の中に、あの姉妹がいた」
「あの姉妹――?」
「そう。あれは私が、ティマニタのもとから逃げ出す直前の――満月の夜。次々と熔かされていく人間たちの中で――その日の最後の犠牲者に、貴女くらいの年齢の2人の少女がいた――どうやらそれは、姉妹のようで――」
溜息を漏らすノエ。少女の白い横顔と背けられた眼差しを、瑞穂は息を止めるような思いで見つめて。
「先に殺されたのは、姉の方だった――つまり、姉は妹の目の前で命を奪われ、妹は目の前で姉を殺された――」
「非道い――」
瑞穂は痛みを感じたように目を閉じる。ノエはゆっくりと、無感情な口調のまま続ける。
「そして妹の方は――あの娘は――自分の姉が、熱で熔かされて、ドロドロになって、人間としてのカタチを失う様を――そしてなお異形にその残滓を啜られ辱められる様を――すべて目の当たりにしてしまっていた――」
「そ――その妹の娘は、どうなったの――?」
瑞穂は問いかけ、それに応えるように、ノエは静かに身体を傾ける。向かい合う2人の少女。物憂げに揺れる山吹色の瞳に、青い髪を左右2つに束ね横になった少女の、今にも泣きそうな顔が映り込んで。
「その妹は――目の前で姉が非道い殺され方をしたことにショックを受けて、自分で自分の命を絶った――そう――あの時、あの娘は、言っていた――」
【こんな死に方をするくらいなら、自分で自分を殺したほうがマシだ――】と。
瑞穂は眉を寄せたまま、まるで話の続きを拒むかのように口元を手で押さえる。ノエは静かに手を伸ばし、その手の甲に触れ、指をかけ、私の話を聞いてと言いたげにゆっくりとその掌を自分へと引き寄せて。
「あの娘は、その場にあった、鋭く尖った水晶のような形のものを拾い上げ、握り締めて――自分の胸に――心臓へと突き立てた。そして間もなく、その娘は事切れて――」
囁くようにノエは、瑞穂の鼻先まで顔を近づけた。ノエの口元から漏れる言葉はひんやりと瑞穂の頬を掠める。瑞穂の半開きになった口からこぼれる吐息は、微かに震えを帯びて、ノエの首筋を流れていく。
「でも、その娘が自分の心臓を抉るのに使った鋭い尖ったそれは――とある魔族の魔力核だった。その魔力核は、彼女が死ぬ一部始終を目の当たりにしながら――彼女の胸に突き刺さり、その鼓動が消えていくのを聞きながら、こう思った――。
かわいそうに、と。こんなことを非道いことを繰り返してはいけない、と。
――だから、ここから逃げ出して――【死ななければならない】と」
「もしかして、それが――」
瑞穂はハッとしたように涙の浮いた瞳を見開いた。ノエは袂に引き寄せた瑞穂の掌を自分の胸元へと、ゆっくりと押し付ける。柔らかく控えめな膨らみのその中央に埋め込まれている、ぞくりと冷たくもどこか心地よさを感じさせる魔力核の感触が、衣服を隔ててもなお鮮烈に、瑞穂の指先を巡る。
瑞穂の丸い瞳をじっと見据えて、ノエは頷いた。
「――それが、私」




