凍て氷る強襲【フリーギドゥス】
【氷機少女】のノエと名乗った少女は、片腕を上げ、その手を瑞穂の方へとかざした。掌が広げられ、白く小さく細い指先の、その先端の空気がゆらゆらと極彩色に揺れる。
眉ひとつ動かない、磁器のように整った美しくも物憂げな顔。その中で薄く引かれた唇だけが、微かに揺らめき言葉を紡ぐ。
「なぜなら――貴女のその能力は――アレの核を両断した神秘斬滅は――私たち魔族にとって、とても致命的なものだから――」
そう言うノエの掌が軽く握り締められ、人差し指と中指だけが突き立てられ、拳銃のジェスチャーのような形を作る。真っ直ぐに伸ばされた指先は、白に近い薄青色の光を帯び、光の中から僅かに覗くのは、鋭く尖った氷柱のような塊。まるで、冷気を纏った氷の弾丸。
「――射氷弾装」
詠唱とも掛け声ともとれる、短い呟き。
ドンッ――という銃声に似た響きと共に、氷の弾丸が放たれる。
粉雪のようなきらきら光る粒子の軌跡を曳きながら、冷気と氷の塊は、音速にも近い速さで一直線に瑞穂へと飛んでいく。その鋭く尖った先端が、白いもやのように纏われた冷気が、瑞穂の肩を抉り凍てつかせようとするその間際――それは閃刃の一振りによって薙ぎ払われていた。
神秘斬滅の斬撃によって上下に分断される氷塊。途端にパリンと音を立てて砕けたそれは、ドライアイスの粉末をぶち撒けたかのような白煙を靡かせながら瑞穂の頬を掠め、そのまま夜の闇へと溶けていった。
『ちょっ――ちょっと、もっちー?! 音だけだと状況がわかんないんだけど、もしかして何かに襲われて――』
「ええ、そのもしかです」
魔術通信越しに異変を察したナルの慌て声が、底冷えした静寂の中に響く。
『やっ――ヤバイじゃん、それ! とっ、とりあえずあたしはショウマくんに連絡入れるよ。彼が来るまで、何とか持ち堪えて――』
ドンッ――再びの銃声が、魔術通信ごとナルの声を貫き、掻き消した。蛍にも似た小さな魔術通信素子の光が、線香花火の残滓のように散って。
拳銃の形のように伸ばされた指先から、もわもわと白い煙を揺らめかせて、ノエは目を見張った。それは思考も感情も見えない少女が初めて僅かに覗かせる、驚きに似た反応。
「ふむ、射氷弾装の機能に異常なし――であれば、先程貴女に当たらなかったのは、神秘斬滅の能力によるものでしょうか――おそらく、放たれた弾から慣性と冷気とを断ち切った――なるほど、これなら――」
何やら独りごちる少女の、一瞬の隙を瑞穂は見逃さなかった。刃を握り直し、今度はこちらが先手を取る番とばかりにアスファルトの地面を蹴り、人間離れした瞬発力をもって駆ける。
「えっ――疾い――」
ノエがおっとりと口走るよりも先に、瑞穂は彼女の間合いに入っていた。その烈火の如き勢いにふわり漂うツインテールが、すぅと白く仄かな光を湛える。下から上へ、身体のバネを巧く使い、瑞穂は肉眼では追えない程に素早い斬撃を、ノエの脇腹から肩にかけて一息に放っていた。
薄い菫色のワンピースが裂け、その中に納められた、か細くも中身の詰まった胴体がばっくりと両断され、血とも何か別の体液ともつかぬ粘性のある液体が、斬られた胴体から、その断面から迸り――。
しかしそれらの光景は、次の瞬間、オーロラのような極彩色の揺らめきと共に、上下2つに分離したはずの少女の小さな身体ごと、闇の中へと消えていた。
「なっ――!?」
斬ったはずの相手が消え失せ、瑞穂は驚きの声を漏らす。と同時に、背後に何かの気配を感じ、彼女は振り返ると同時に咄嗟に刃を振るった。
眼前まで迫っていた氷塊。本能のままに振り上げた刃がその弾芯を捉えていなければ、瑞穂の身体は貫かれ、弾け飛ばされていただろう。
断ち切られた氷の弾丸、その勢いと冷気とが切り離されたことによって、粉々に砕けて闇夜に広がる氷の粉。朧な三日月の光を反射し散り散りに瞬く靄の奥で、氷機少女のノエは先程までと寸分違わぬ感情の見えない面持ちで、拳銃のように握られた手を前へと突き出したまま佇んでいた。
「ふむ――自動回避の発動による、極光幻惑の展開――どのような防御をも問答無用で斬り裂く神秘斬滅と言えども、その刃が実体を捉えていなければ意味を成さない、か――なかなか、想定通りにはいきませんね」
ノエの唇から、鈴の音のように澄んだ呟きが漏れる。
瑞穂は間合いを取り直すように即座に数歩退がり、意味のよくわからない相手の呟きに、おっかぶせるように問いを放つ。
「あなた――何を言って――?」
「気をつけて。自動回避は、自律反撃とセットとなるよう戦闘用回路が組まれているみたいだから。まあ――貴女は眼がとても良いみたいだから大丈夫だとは思うけれど――いえ、それでも――」
山吹色の瞳を細め、小さく白い掌を広げて、ノエは囁くように言葉を続ける。
「貴女――もう少し本気にならないと、私に殺されるわよ――」
「殺すような勢いでいきなり襲いかかってきて、それは――ちょっと、何言ってるかわからないですね」
瑞穂は応えると、刀を握り直し、再び斬りかかるタイミングを図るように呼吸と態勢を整える。ノエはその様子を見つめ、小さく頷くように顎を引く。
「ふむ、確かに――でも、こちらも攻撃を神秘斬滅に防がれてばかりでは埒が明かないから、少し方針を変えるわ――」
妖しげに呟くノエの広げられた指先が再び極彩色のベールを帯び、凛とした鈴の音のような声は詠唱を奏でる。
「素体錬成――」
声に呼応するかのようにノエの指先で揺らめいていたオーロラのような極彩色のベールが、その白い指先に、か細い手首に絡みつき、包み隠す。続いてガチャリという金属の擦れ合う音。やがて薄れていくオーロラベールの中から顕わになっていく少女の腕の先端は――。
「なっ――腕が――変化して――!?」
驚きの声を上げ、眼を見開く瑞穂。それとは対照的に、ノエは涼しげな面持ちで左腕を携え――機関銃のように変化したその腕の先端を、眼前にいる相手――瑞穂へと狙いを定めるように動かし構える。そして夜の静寂の中で響く、ガチャンという金属同士の擦れる音と、鈴の音のように透き通った短く呟かれるその攻撃の呼称。
「――氷結連撃弾」
機関銃が回転と同時に掃射を開始する。冷気を帯びた夥しい数の弾丸が、瑞穂を狙って次々と発射される。
「くっ――!」
瑞穂は咄嗟に跳び退き、無数の氷弾の雨を避ける。
掃射が一旦途切れた。薄青色の硝煙を手首のあたりからもわもわと靡かせながら、ノエは囁くように声を投げる。
「これなら断ち切れないでしょう――? 単一の魔力の流れ、単一の魔力の塊で構成される攻撃は、その一太刀に容易に断ち切られ防がれる。なら、単純に人間では捌き切れないだけの数に小分けして攻撃を放てばいい」




