氷機少女【アルゲオソロル】
『いやぁ――まいったね! 何と言っても街を救った英雄になっちゃったから――!』
魔術師の少女、ナルの大きな声が魔術通信越しに響いてくる。
青い髪をツインテールにした少女、塚本瑞穂はその白く幼い顔に苦笑いを浮かべつつ、ナルの自慢とも愚痴ともつかぬ色々な話を聞きながら、足早に夜道を歩いていた。
小さく桃色の光を湛えた魔術通信の素子は、まるで蛍のように青い髪の少女の目線の辺りをふわふわと漂って、あちらとこちらを超えて、少女たちの声を取り持っている。
瑞穂は止め処なく流れてくるナルの言葉に若干辟易しながらも、適当に相槌を打っていた。
「うんうん――それで、そちらはまだ落ち着かない感じです?」
訊きながら、瑞穂は腕時計を見やった。約束の時間までは、まだ少し余裕がある。もうしばらくはナルの話に付き合っても良さそうだ、とその歩調を緩める。
『そうだねぇ――四天王のひとりを倒して、その侵攻を食い止めたことに対する祝賀とか、そういう類のイベント的なのはあらかた終わったかなって感じかな。だけど、ヴァシレウス・ロオスを放ったときに、ほぼすべての魔力を使い切っちゃったから、召喚転送を使えるようになるまでには、もう少し魔力補充のための時間が必要かもしれないなぁ』
「そっか――そんな大変な魔術の後に、私のミスで治癒魔術まで使わせちゃって、ごめんなさい――」
『こらこら、もっちー。そういうことは言いっこ無しだって。そもそも、召喚してすぐ立て続けに四天王とドンパチやるだなんて無茶に付き合わせちゃったわけだし、しばらくはそっちでゆっくりしててよ」
と、そこまで言い切ってから、一息置いてナルは内緒話でもするかなような押し殺した声で問い掛けてきた。
「それより、どう? アレの調子は――?』
「え、アレ――の調子?」
アレ、が何のことかわからず訝しげに聞く瑞穂に、ナルは笑みを噛み殺しているかのような、ねっとりとした口調を返す。
『ショウマくんとの、デ ー トの首尾はいかが?』
「でーと……って、デート!? は? えっ、ええっ――?!」
短く甲高い悲鳴とともに、瑞穂の白い頬がみるみる紅潮していく。
『ショウマくんから聞いたよ。今日の夜は落ち着いた雰囲気のお高いお店で2人っきりでディナーなんだって? やるねぇ、やるねぇ。お姉さん感心しちゃったよ』
冷やかすようなナルの言葉に、瑞穂は真っ赤になった顔をぶんぶんと振る。まるで火照った身体の体温を少しでも下げようとするかのような。
「ちっ――違いますっ――! 知り合ってから、なかなかゆっくりお話する機会もなかったので夕食でもいかがですか? ってお誘いしただけですよ――! デートだなんて、そんな――で……でーと? いえいえ、とんでもないです。デートって、あなた――そんなわけ――そんなんじゃないですって――!」
『もっちー、動揺しすぎだよ』
露骨に取り乱す瑞穂の様子に、呆れ引いたようなナルの声。
『まあ2人は切っても切れないパートナーだから、今のうちに色々とお話しして、お互いのことを知っておくのは良いことだよ。あ、切っても切れない――って言っても、封印を断ち切って、断ち切られてって関係だけどね。
ホントはあたしも加わりたかったけど、まだそっちに行けないんじゃ仕方ない。それはまた別の機会ってことで、後のお楽しみにしておくよ』
「ええ、こちらに来られるようになったら、ナルさんもぜひ――」
若干の落ち着きを取り戻して、瑞穂がそう応じようとした、その時。
鈴の音のように澄んだ、少女の声が聞こえた。
普通の少女の声とは異なる、冷たい気配。瑞穂は言いようのない、ぞくりとした悪寒を背筋に感じ、声のする背後へと咄嗟に振り返った。
夜の闇に濡れた路の中央、朧げな三日月に照らされて、少女がひとり佇んでいる。
○●
佇む少女のその肌は、氷のように色の無い白。
腰まで伸びた艶やかな紫色の長髪。中学生ほどの小柄な、しかし芯の通ったスマートな体躯に、透けるような薄い菫色のワンピース。僅かに幼さを残しつつも整った顔立ちと、その中で物憂げに細められた山吹色の瞳は、じっとこちらを――瑞穂の方を見つめている。
それは、か細い美しさと妖しさとを合わせ帯びた白皙の少女。
「貴女が――ツカモト・ミズホ――ですね?」
凛とした、それでいて鈴の音のように澄んだ少女の声が、ゆっくりと問いかける。
瑞穂はこくりと頷くと、尋常ではない相手の気配に身構えた。足元からじんわりと登ってくる寒々しさと背筋に張り付く悪寒。冬でもないのに吐く息は白くなり、頬を撫でる微風は刺すような冷気を帯びて。
「そういう、あなたは誰ですか――」
やっと、それだけを問い返す瑞穂。腰にぶら下げているキーホルダーへと――魔力を帯びて彼女の意思で刀剣へと自在に変化するペーパーナイフへと――静かに手を伸ばす。
問い返され、相手の少女は何かに気付いたかのように、物憂げに細められていた瞳を見開いた。
「そうでした――人間は、相手に何者かを訊くとき、まず自分から名乗らなければならないのでしたね――忘れていました」
「人間は――? その言い方からすると、あなた――」
先回りしようとする瑞穂の言葉を制するように、相手の少女は射抜くような視線を放つ。見開かれた山吹色の瞳の奥に、危険な揺らぎが浮かび上がっていた。
「ええ――察しの通り、私は魔族。名前は――そうですね、【氷機少女】のノエ――とでも名乗っておきましょうか」
魔族と聞き、瑞穂は即座にキーホルダーに手を掛け、一気に刃として引き抜くと、ノエと名乗った少女に相対するように身構える。
「私に――何の用ですか?」
刀を掲げ、じりじりと間合いを図りながら瑞穂は訊く。
「なるほど、その刃――確かに、貴女は塚本瑞穂――あの四天王、【鋼炎機巧】のドミジウスを倒した、神秘斬滅の少女――で、間違いなさそうですね」
「ドミジウス――?」
思いもよらぬ言葉に、当惑したように瑞穂は眉を寄せる。
ドミジウス――それは、瑞穂が初めて異世界へ召喚された際に襲いかかってきた、炎魔軍と呼ばれる集団を統括する四天王の名。魔力核を覇王アシャに剥ぎ取られ、瑞穂の神秘斬滅の刃によって真っ二つにされ、倒されたはずの魔族。
「そう――私は、アレを倒した存在を――貴女を探していました」
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