それは大切な誰かを守る【蒼く白く輝く光】
静まりかえった森の闇の中で、青い髪の少女は仰向けに横たわっていた。
右足の太腿には、肉食獣に噛みちぎられたような深い傷が刻まれている。
砂獅子の頭部を一刀両断し、倒したと思った矢先、その魔獣は崩れ去る間際、最期の抵抗として少女の大腿に鋭い牙を食い込ませていたのだった。
痛みと出血は咄嗟に【断ち切る】ことができたものの、その足は動かない。元に戻すには治療か治癒魔術が必要になるだろう。ここまで乗ってきた瞬馬も、砂獅子との交戦中に、どこかへと逃げ出してしまっていた。
『ちょっ――ちょっと、もっちー! 怪我してるの? 大丈夫!?』
耳元に浮かんだままの魔術通信の素子から、ナルの切羽詰まった声が聞こえて、ミズホは嬉しさと苦痛とが入り混じった複雑な表情に顔を歪ませた。
「ごめん、ナルさん。最後の最後で詰めを誤った――でも、命には別状なさそうだから大丈夫だよ」
『でっ、でも――滅閃に狙われてるって――』
その時、ミズホの方へと向き直っていた巨虚砂兵の口元からボロボロと白と黒の光の粒子が溢れ落ちた。
間も無く、滅閃が神秘斬滅の少女を狙って放たれようとしている。
だが、少女には不思議と恐怖心のようなものは無かった。
「それは――実は心配してない、かな。あのね、ナルさん――私はやるべきことはやったよ。バリアをすべて断ち切って、【その道筋】は確保した――だから、あとは――ナルさんに任せるよ」
『あっ――あたし――が――? で、でも――』
何かを言おうとするナルを制するようにミズホ強めの声を発する。
「ちょっとナルさん。もう時間無さそうだよ。あのね――」
青い髪の少女は、軽く微笑むように柔らかな口調で続けた。
「ナルさんなら、バシッと決めてくれるって信じてるから――」
魔術通信はそこで途切れた。
もう、相手の声は聞こえず。自分の声も相手には届かない。
仰向けに横たわったまま、少女は視界の奥に立ちはだかる巨虚砂兵の巨体を眺めた。
その口元から迸るのは白と黒の光の渦。今にも放たれようとしている滅閃より漏れ出る粒子。
そのあまりに強すぎる出力。魔術通信を途切れされ、魔術の心得のない少女ですら、全身に重圧のような波動を感じさせるほどの。
でも、恐怖心は無い。そう、欠片だって無い。
それよりもレシノミヤの街の人が、今のところ誰も死んでいないことに安堵する。
――だって、私は【あの時】死んでいるはずだから、今さらどうこうということはない。そんなことより、誰も死なせていないことの方が、大事だから。
枷を断ち切られた覇王の左腕を、思い起こす。その力は街を覆い、滅閃からすべてを護っていた。
――覇王はすごいなぁ――少女はふと今の状況とは全く関係のない呟きを漏らす。
その時、巨虚砂兵の開かれた口がさらに大きく、顎が外れんばかりに開かれた。その奥に、白と黒とが螺旋状に入り混じった極太の光が、滅閃の滅びの光が覗く。
少女は眠るように瞼を閉じた。
――あの娘はきっと成功する。
だって彼女は、レシノミヤで最も優れた魔術師なんだから。
○●
それを放つ間際、あたしが考えていたのは、顔の思い出せない両親のことでも、奪われた故郷の風景でも無かったのは、何故だろう。
あたしはただ、がむしゃらにそれを制御していた。
任せるよ、だなんてズルイ言葉だ。
信じてるよ、だなんてどんな呪いよりもしんどい言葉だ。
そんなこと言われたら、やるしかないじゃないか。
あたしはただ、友達を死なせたくなかっただけ。
あの小さな笑顔を、あの白く細い手を握った時の柔らかさを、砂なんかにはしたくなかったから。
そう思うと、自然に肩の震えも指先の痙攣も止まった。
そうだ――親の仇とか、街を護るとか、召喚した以上は責任を持つとか、壊れかけた世界を救うとか、そういうの重かったんだ。だから震えちゃうんだ。そんなの背負えないって、自信がなくなっちゃうんだ。
さっきあたしに微笑んでくれた、あの娘をまもりたい。
そこに、自信があるとかないとか関係ない。
あたしが魂をかける理由、それだけで十分だったんだから。
○●
「クハハハハ……! 砂と化して死ぬがよい神秘斬滅の少女よ! お前を殺したそのあとで、枷の男とあの街はじわじわと滅ぼしてくれよう!」
サイカスは狂ったように嗤う。そして滅閃を放たんと詠唱の最後の一文を誦じようとした、その時。
「――警告レベル3――超高出力の属性魔術が接近――」
半自律音声が最大レベルの警告を発した。
蠍の男は、咄嗟に視線を動かす。向けた先は、レシノミヤの街。
蒼く白く輝く光が、眼前まで迫っていた。
○●
「蠍の男よ、貴様は2つの間違いを犯した」
アシャは薄れつつある金色の瞳で、その光景を眺めながら呟いていた。
巨虚砂兵の上半身は、蒼く白く輝く太い光に飲み込まれていた。
その蒼い光は、レシノミヤの街の中央にそびえる塔の頂上から放たれている。
「貴様は、我らに防御手段が無いと言った。確かに、右腕の枷だけみればそうだろう。だが、俺には【左腕】の力――【領域という概念の再定義】がある。その力によって練り上げし、あらゆる干渉を許さぬ領域――【絶対遮蔽領域】がある」
蒼い光に飲み込まれた、巨虚砂兵の顔がボロボロと崩れていく。関節のない長い腕が、その勢いに抗うように震える肩が、光の粒子となって次々と引き剥がされ、夜の闇へと溶けていく。
「貴様は、我らに攻撃手段が無いと言った。確かに、俺の右腕の力は遠くには届かず、小娘の能力もその刃の届く範囲に留まる。竜族の高位魔術師は、その齢ゆえか攻撃魔術は得意ではないと見える――だが、貴様は竜式魔術を使う魔術師の女の存在を軽視しすぎた――あれがただの人間だからか、竜式魔術の本質を知らぬがゆえか――」
その時、声が聞こえた。
大きな叫び声。蠍の男、サイカスの怨嗟にまみれた断末魔の声。
その声は巨虚砂兵から、遠く離れたレシノミヤの街の丘まで届くほどに大きな声。
おのれ、おのれぇ、おのれぇ――!!
四天王であるこの私をここまで――ここまで追い込むとは――枷の男よ――お前、いったい――何をした――この魔術は――うがぁ――私の身体が――崩れ――!!
「この期に及んでも不様な奴だ――俺は何もしておらん。ただ、この街を護っただけだ」




