左腕の枷に封じられし【シノリアコ・エニア・エパナフォラ】
砂化の滅閃を発射するための準備を終えた四天王サイカスは、巨虚砂兵の肩に半身を埋め、夜の闇の浸かるようにゆったりと、独り嗤っていた。
蠍の男の両腕は先の戦闘で失われたままだった。そのため彼は、巨虚砂兵の制御のため、自身の下半身を巨虚砂兵の肩へと埋め、魔力によって神経連結させる方法を選択していた。
両腕を持っていかれたのは想定外ではあったものの、腕の一本や二本失う程度のアクシデントなど大した問題ではなかった。事が済みさせすれば、魔族である彼にとって、腕などいくらでも再生させる手段があるのだから。
「――魔力供給、完了しました。御主人様、ご指示を」
神経連結した下半身を介して彼の頭の中に響く抑揚の無い声。巨虚砂兵の稼働を補佐する役割を持つ半自律音声が、滅閃の発射が可能になったことを告げる。
「ふむ――では、連中に散りゆく悪夢を見せるとするか」
サイカスはギリギリと歯を食い縛る。それは痛みがあるわけでも悔しさがあるわけでもなく、ただこの魔族が心の底から嗤うときの笑みのカタチ。
「――その片足は深淵の塵に、その片足は冥府の穴に、放たれしは必然の因果、拡がりては忘却の虚い――」
サイカスが滅閃を放つための詠唱を唱え始めた、その時。
「――警告レベル1――展開中の防御領域・逆禍、外側第6層のAからCまでの反応が消失しました――魔力供給の関係上、消失部分の修復には、【滅閃】の発射手順の中断及び約10分の再展開時間が必要となりますが――」
半自律音声が些細な異常を知らせる。
来たか。随分と遅かったではないかと、サイカスは独りごちる。
神秘斬滅の少女がいる以上、防御領域・逆禍が幾つか断ち切られ、無効化されることは既に折込済みであった。だからこそ36枚という過剰とも言える枚数を展開したのだ。連中が早いタイミングで行動を起こすようであっても、それだけの枚数を展開していればすべてが無効化される前に再展開可能であるし、発射直前になれば再展開はできなくなるものの36枚すべてを断ち切る前に発射してしまえばいいだけのことであったからだ。
そして、そもそも防御領域・逆禍を完全に無効化できたところで、連中に巨虚砂兵を消し飛ばすほどの遠距離攻撃の手段など存在しない。
「防御領域・逆禍は放っておけ。【滅閃】の発射が最優先だ」
サイカスは半自律音声へ命じ、詠唱を再開した。
「――拡がりては忘却の虚い――灰塵に還せ――【砂化の滅閃】――!」
巨虚砂兵が、その大きく開いた大口をさらにぐわりと、これ以上ないほどに開ききった。顎のあたりから、ごぼごぼと砂が滝のように溢れ落ちる。そこから覗く口の中に揺蕩うように溜まっているのは、白と黒とが入り混じった砂化の呪い。
青白い稲光がレーザーのように、闇夜を切り裂き、夜空を疾走するかのように迸る。
数十メートルはあろうかという巨体が、上体を仰け反らせる。ぐおおという獣が唸るような低い声と地響きとが、その振動で身体の表面から剥がれ落ちる砂塵とともにが周囲に広がっていく。
そして――【砂化の滅閃】は放たれた。
巨虚砂兵の大口から、白と黒の輝きが螺旋状に入り混じった極太の滅閃が、光の速さで伸びていく。
滅閃の伸びゆく先にあるのは、レシノミヤの街。
建物を、人々を、そのすべてを呑み込み、砂化の呪いによって跡形もなく崩し去ろうとする、その滅閃は――。
街へと到達する間際のところで、ぐにゃりと曲がり弾かれた。
何かの力によって遮られた滅閃は、その極太のカタチを維持できずに、裂けるように幾重もの細い光の筋へと分かれ、レシノミヤの街の後方にそびえる山々へ照射されていく。滅閃の残滓によって撫でつけられた部分は、葉は散って木は朽ちていき、細長く伸びる砂の筋と化して、それらは山々へ次々と刻まれていく。
「な――に――?!」
サイカスは、何が起こったのかわけがわからず、声にならぬ呻きを漏らす。
絶対に防ぐことはできないと思われていた【砂化の滅閃】は、レシノミヤの街を覆う何かの力によって、完全に防がれていた。
「馬鹿な――防御領域・逆禍、100枚以上を以てしても防ぐことのできないはずの滅閃を――防いだ――だと!?」
○●
レシノミヤの街の外れにある小高い丘に独り立ちながら、少年はその金色の瞳で遥か遠くにそびえる巨虚砂兵を眺め、そして嘲笑いを噛み殺していた。
「ふ――、貴様のチンケな防御領域とは格が違うのだ――」
そう嘯くアシャは、【左腕】を空へと掲げていた。
左腕には、先程までその手首に嵌められていた紫色の枷は存在していなかった。
左腕の枷は、神秘斬滅によって断ち切られていた。
そして、枷から解き放たれた左腕よって、発動した能力は――。
「左腕の紫の枷に封じられしは、【領域という概念の再定義】――この世のあらゆる境界の法則を自在に改変し上書きするがゆえ、【領域】という概念そのものを再定義する――それがこの【左腕】》」
左腕、その手の甲からは盾の形に似た紫色の魔法陣が浮かび上がっていた。
その魔法陣から、薄紫色の光が一直線に空へと伸び、遙か上空で傘状に広がって、レシノミヤの街全体を包み込んでいる。
「我が左腕にかかれば、街ひとつまるごと【絶対遮蔽領域】で覆うなど造作も無いことだ――蠍の男よ。貴様、俺にはまともな防御手段が無いのが弱点などとほざいていたな――見込み違いも甚だしいぞ。
貴様のご自慢の滅閃は、我の創りし境界を越えることは出来ず、従ってもうこの街の何者をも1ミクロンたりとも侵すことはできん」
アシャがそう宣言したその瞬間、空が白に染まった。ゴォンという轟音とともに街全域が震え、続いて白いキャンパスに黒いインクを勢いよくぶち撒けたかのように空がまだらに揺れた。
滅閃の第二波が放たれたのだ。
天球を這う白と黒の光の筋は、【絶対遮蔽領域】によって阻まれ、捻じ曲げられた滅閃。それは、まるで押し出されたトコロテンのように細切れになって、街を過ぎた先のある山や谷など周囲へ飛び散り、その表面を砂化させてガリガリと抉る。
「ふふ――無駄という事が解らぬか――ならば、それもよし。我が無限の能力思い知るまで、その滅閃、撃ち込んでくるがよい――! すべて防ごう、【この街以外が】すべて焦土と化してもな――!!」
この防攻を愉しむかのように言い放つアシャの眼下で、巨虚砂兵の防衛ラインである領域・逆禍が、またひたつ斬り裂かれ消え失せていた。
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