少女の【意思】と、僕の【決意】と
――砂化したザカラヅカの街の跡地に発生した、砂の巨人。あれは巨虚砂兵と呼ばれる【砂化の滅閃】の発射魔装よ。
微睡の意識の中で、僕は女の人の声を聞いた。それは、ナルが師匠と呼んでいたシエンという高位魔術師の声。
――あの蠍の男は、地魔軍を統括する四天王サイカス。【砂塵弩砲】の二つ名の通り、巨虚砂兵を操り、その口から放たれる砂化の滅閃によって、今まで数々の街を砂化させ滅ぼしてきた――。
シエンの声が心なしか沈んだように低くなる。
――この娘――ナルの故郷もそうやって滅ぼされた街のひとつ。巨虚砂兵は、己が滅ぼした街の残骸に巣食い根を張り、その土地の魔力を啜る。そうして集めて凝縮させた魔力を用いて、再び砂化の滅閃を放ち、近隣の街を滅ぼして、またそこに巣食い根を張り、また別の街を滅ぼして――それを延々と繰り返して、滅びと哀しみを拡げていく――。
――その拡がりが、ついにこのレシノミヤの街までやって来た、ということですか――。
痛ましげな、囁くように小さなミズホの声。少女はすぐそばにいるのか、その声は近く、緊迫したような息遣いが胸元をくすぐる。
――そうね。そして、巨虚砂兵を操ることに特化しているはずのサイカスがあえて姿を見せたのは、覇王アシャの力を先に使わせて、巨虚砂兵が滅閃を放つための魔力を溜める時間稼ぎをするため。
――ええ、あの魔族はそう言っていました。実際、覇王の力を封じる枷を一度断ち切ると、再封印がかかったときに彼の身体は暫しの眠りを必要とします。今までのパターンからするとおおよそ半日程度でしょうか。私たちの防御手段が手薄であること、遠距離を攻撃する手段が無いこともあわせて、敵は私たちの弱点をかなり正確に把握しているのかな、と思います。
――目覚めるまで半日、ね。滅閃の魔力収束もそのくらいの時間だろうから、まさにあちらの計画通りと言うわけね。
少し離れた場所から別の女の人の――ナルの声が響いた。
――で、どうするの師匠。まさか、このまま指をくわえて滅閃が発射されるのを見ているわけじゃないでしょ?
苦笑するかのような息を吐く音が耳元から抜ける。続く声はシエンのものだった。
――もちろん、そのつもりだけれど、状況はあまり良いとは言えないわね。まず、この街から巨虚砂兵に至るまでの間に、36枚もの領域・逆禍が展開されている。いわゆるバリアね。そしてあちらが発射しようとしている滅閃は、どうやら必然の因果を帯びているらしい――滅閃はいったん魔力を溜めてしまえば何回か連発できるから、その【滅閃を浴びる】という必然が彼か街かどちらに定められていようとも、そのどちらも滅閃から逃れることはできない――。
――要は、こちらからは手出しが出来ず、あちらからの攻撃は絶対に命中する、と。
――そう、ホントあなた飲み込みが早いわね。弟子にしたいところだけど、魔術適性がからっきしなのがつくづく惜しいわ――。
――師匠、そんなことより――!
――わかってるわ。でもね、状況はかなり詰んでいる。正直言って、私たちだけではどうにも出来ないくらいに――。
――そんな――!
その時、僕の手の甲に何かが触れた。柔らかく、しかし背筋がぞわりとするほどに冷たい指先。
『――さて、お目覚めかしら、ショウマくん?』
【直接、頭の中に響いてくる】シエンの声。
お目覚め――には程遠い。身体の感覚はまだ薄く、意識は泥の底に沈んでいるかのようで、まだまだ浮上出来そうにない。先程聞こえた会話の通り、本当に起き上がれるのは半日ほど先だろう。それでも、声は聞こえているという意思表示の為だけに頷いてみせる。
『あら、あまり無理しないようにね。で、本題だけど、さっき声を転送したように、今、私たちの状況は詰んでいる。私は高位魔術師とはいえ、もう齢だし単体で四天王に太刀打ち出来るほどの力はないし、神秘斬滅の少女にしたって極太の滅閃を断ち切れるかというとさすがに無理でしょう――つまり、詰んでいる。けれど――』
高位魔術師の声は切迫していながらも、それでも街をまとめる魔術顧問という立場ゆえか、周囲を不安にさせないために染み込んだ落ち着きを帯びていた。そして彼女は、その落ち着きに少し茶目っ気を含ませるようにして、僕に問いかけた。
『あなたなら――どうにかできるかしら?』
何故――それを僕に訊くのだろう――?
僕は、覇王アシャじゃない。
【俺】の【器】にされているだけの、ただの人間。
何の力も、何の知識も、持ってはいないはずなのに――。
それなのに、僕は思わず応えていた。
「まず、そもそも――四天王サイカスが語った僕らの弱点、あんなのデタラメです。何故なら――」
シエンは少し驚いたように、しかし僕の反応をどこか予期していたかのように満足げに聞く。そして、すべてを聞き終えた彼女は、ゆっくりと囁くかのように僕の頭の中に声を残した。
『なるほど――その考え、皆に伝えておくわ。さすがは、覇王――といったところね』
○●
目覚め、上体を起こしたショウマが最初に見たのは、窓から月を眺め、差し込むその光の中に佇んでいる少女の背中だった。背は低く、身体は細く、月光に照らされた白い肌と青い髪は、幻想的ですらあり、まるで小さな妖精のように彼には思えた。
少女は――ミズホは、ショウマが起き上がったことに気づいて振り返る。幼さの残る顔を綻ばせながら、少女は駆け寄る。
「身体、大丈夫ですか? ショウマさん」
ショウマは頷く。針で貫かれていたはずの左肩にはズキンとした痛みが僅かに残り、右腕は未だ火照ったような感覚が残っていたが、ベッドの横に屈み込んだ少女から漂う甘い芳香の心地よさにそれらの痛みはふいと掻き消えた。
「今、何時――?」
頭の芯に残る強烈な眠気を堪えながら、ショウマは訊く。
「ショウマさんが気を失ってから、ちょうど12時間経ったくらいですね。そして――シエンさんいわく、あと30分ほどで滅閃というものが発射されるみたいです」
「――ねえ、ショウマくん」
出し抜けに聞こえた声はナルのものだった。彼は声の方へと視線を移す。腕を組み、壁にもたれてショウマを見つめる背の高い金髪の少女の瞳は、不安げに揺れていた。
「師匠から聞いたよ――何か、策があるんだって? それって本当に大丈夫なの――」
「ナルさん」
ミズホはナルを流し見る。ナルは普段とは打って変わった、か細い声を出していた。
「本当に大丈夫なの――? あのね――あなたたち二人は、本来、この世界のことには無関係なんだから、あたしが無理やり連れてきただけなんだから――だから、今からでも、あなたたちだけでも、元の世界に戻すことだってできる――」
「ナルさん」
ミズホはもう一度制するようにそう言うと、ショウマの顔を伺った。
ショウマもまた、ミズホの顔を見た。こちらを覗き込む、大きく見開かれた少女の瞳。そこで初めて彼は、彼女の瞳が紅い色を帯びていることに気づいた。ルビーレッドの虹彩は、少年の心の中を見透かそうとするかのように深く透明な。
「私は、もともとこの世界に来るのは嫌でした。それは、あちらの世界でやるべきことがあったからです――でも、ですね――」
ふう、と小さく息を吐く少女。
「もしかしたら、この世界でも、何かやるべきことがあるんじゃないかなって――もちろん、エリスちゃんを助けないといけないし、それ以外にも――ああいうの、許せないじゃないですか。目の前で街が滅ぼされて、非道い目にあっている人がいて、この街も滅ぼされそうになっていて――そういうの見せられて、はい、あなた達は無関係なので帰ってもいいですよ――って、それ、ちょっとあんまりじゃありません?」
ナルは息を呑み、言葉を失う。
ミズホはその丸い瞳をまっすぐ少年へと向けたまま、まるで何かを試しているかのような、推し量ろうとするかのような口調で、彼へと問いかけた。
「ショウマさんは、どう思います?」
少年は小さく頷いて応えた。もはや言葉にして答える必要もないことだった。
――俺は――を、護りたい。
――僕も――を、護りたい。
「僕に――考えがある。この街を、護るための」
はっきりとそう言い、少年は黒い瞳を流すようにして二人の少女の顔を見た。
そして彼は、ゆっくりと左腕を前へ出してみせる。
その左手首で妖しく揺れるのは、紫色の枷。
「そのためには君たちの力が必要だ――そして、僕も――この力を使う」
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