焦土広げし覇王の呟き【ゼステノ・アナフレクシ】
金色の眼をした少年の、屈強な腕が紅い輝きを放つ。その腕を覆うように走るマグマのような筋が更に強い輝きを湛えながら、ぐおんぐおんと低い音を響かせながら流動する。
「消え失せよ、カタチを持たぬモノ――【力という概念の放棄】」
呟く少年の肩の上に、魔法陣にも似た円状の紋様が浮かび上がる。
次の瞬間、アシャは紅い腕を前へと突き出し、頭上から降り注ぐ触手の槍を振り払うかのように左右へと振るった。
ジュボッという音が連続して鳴り響く。
それは液状の触手が瞬時に消え去る音。紅く灼ける腕から放たれる熱によって、燃える間もなく蒸発し消滅する音だった。
「カタチ無き流体生物よ、貴様は絶対に俺には勝てない――いや、それ以前の問題だ。単なる水以上に揮発しやすいその液体では、この右腕がある限り、これより常時放たれる高温によって数秒とたたず蒸発し消え去る。貴様は、まず俺に触れることすら出来はしない」
「ヒ……ヒイッ……!?」
つまらなげに呟くアシャの言葉に気圧されるように、キシナリの恐れ慄く声が白い空間に反響する。
「右腕の赤き枷に封じられしは【力という概念の放棄】――この世のあらゆる力を凌駕するがゆえ、【力】という概念そのものの意味を失わせる、絶対的な物理法則……それがこの【右腕】。そしてその【力】を行使する為の【エネルギー】も、また果てのない無限ということ。貴様だけでは無い、この世のあらゆるモノを溶かし蒸発させる【熱】がここにある」
短い沈黙。やがて何もない白い空間から、焦るような息遣いが漏れ響く。
「ヒィ……わたくしの一斉掃射を……瞬時に掻き消すなど……き……聞いていないぞ……こ、こんな力を持っているとは……【あの方】はそんなことは一言も……」
ぶつぶつと呟かれるキシナリの声が、段々と小さくなっていく。まるで、遠ざかろうとしているかのような。
「――ほう、敵わないと見て逃げるか。前言通り殺しはしないが、さりとて逃げられるのも面倒なのでな」
アシャは感情の篭っていない声でさらりと言うと、紅い右腕とその拳を真上へと突き上げた。
「聞こえているか――? 小娘、ついでに魔術師の女」
「えっ? あっ、はい――」
「なっ!? ていうか、ついでって何よ――」
二人の少女へと背を向けたまま、アシャはそこで初めて少しばかり愉しげに呟いた。
「少しばかり熱いぞ――火傷をするなよ――?」
突き上げられた覇王の拳が再び紅く流動する。
筋肉の隙間を流れるはマグマの如き輝き。
湧き立つ白煙と空気の唸りはすべてを滅却する灼熱。
肩に浮びし魔法陣は、それらに繋がり魔力を供給せし炉心。
金色の瞳を見開き、少年は詠唱した。
「【灼け、広がれ】」
突き上げられた紅い腕が、流動するマグマの筋が、眩い光と熱線を全方位に解き放った。
白い床が、白い上空が、熱線に炙られて瞬時に黒く焼け焦げる。
二人の少女と、そのすぐ側にある【蒐集品】にされた女性たちへも、容赦なく熱線は襲い掛かる。
「ちょっ――【セト・ボルミェ・デヅン】」
奈留は咄嗟に両腕を広げ、水属性を帯びた防御障壁の魔術を展開させて皆を守った。
しかし、あまりの熱線の強さに防御障壁は数秒と耐えられないようだった。すぐさま彼女の金髪の先端が焦げ始め、僅かながらも煙を出し始める。思わず、魔術師の少女は叫んだ。
「いやいや、これ火傷するってレベルじゃねーぞ! っていうか熱い熱いっ! こんなん、あたしの防御魔術だけで耐え切れるわけないじゃん!」
「あっ、ありがとうございます奈留さん。あとは私がなんとかします」
瑞穂は眩しそうに目を細めつつ、すっと前へと進み出ると、手にした剣を大きく左右へと薙いだ。全方位を灼き尽くしていた熱線はその一部分を断ち切られ、熱線の影響を全く受けない扇状の隙間を作り出す。少女たちと【蒐集品】にされた女性の身体は、ギリギリその隙間の中に収まっていた。
熱線は数十秒ほどの間、白い空間のありとあらゆる部分を灼き焦がした。閃光と熱とは次第にアシャの腕へと収束していき、やがて熱線の放射は終わった。
立ち込める白煙の中に立ち、アシャは腕を下ろすと視線だけを動かして独りごちた。
「そこに隠れていたか、流体生物」
金色の眼をした少年は言葉を投げる。その先には、全身を灼かれた男が身悶えながら転がっていた。
それは魔族の男、キシナリ。その身に纏っていた分厚い液体は熱線によって根こそぎ蒸発し剥ぎ取られ、露わにされた生身の肉体は灼け爛れていた。
「あっ……あづいィ……! あ゛あ゛あ゛あ゛っ……あづいィィッ!!」
呻き声を上げながらのたうつ男を、ゴミを見るかのような目つきで見下しながら、アシャはゆっくりと歩き出す。
「隠れることに意識を向けすぎたな。身に纏う液体を変色させ、肉眼で捉えられないほど完全に自身の姿と白の背景とを同化させるには、それなりに高度な魔術演算が必要だろう。防御が疎かになるのも無理はあるまい」
アシャは言いながら、倒れている男へと近づいていく。
その時、キシナリの焼け爛れた身体が細かく痙攣した。その途端、男の口から、鼻から、耳から、下半身から――身体中の穴という穴から勢いよく液体が溢れ出る。
「あ゛あ゛あ゛ッ……ア゛ヅイ゛……コロス……ゴロズッ……!」
溢れる液体に流されるようにして強引にキシナリは起き上がる。全身に熱線をまともに浴びた影響か、漏れ出る声にはもはや理性の欠片も感じられず、魔族の本能にのみ突き動かされているかのようだった。




