再び断ち切られし【魔枷】
瑞穂は均等間隔に並べられた液状のカプセルと、その中で揺れている裸体を見上げ、それらが時折微かに動いていることに気付いた。
奈留もまた同じ光景を眺めながら、少し感心した様子で独りごちる。
「なるほど――【透明に澱む蒐集者】の二つ名は伊達じゃないってとこだね。
アルコールに満たされたこんな状態で生きてるってことは、魔術によって何らかの生命維持システムが機能してるんだろう。あの男にとって、ここに並べられた女の人たちはあくまで【|蒐集品【コレクション】だから、つまり汚れることも、疵がつくことも、もちろん死ぬことだって許しはしない――ってことか」
「それにしても、生身の人間を蒐集するだなんて――非道い上に、悪趣味すぎます。それに――」
嫌悪感かはたまた怒りからか震える手で剣を握り締めつつ、瑞穂は無数の揺れる人影を、その中身をひとつひとつ確かめていく。
「連れ去られたはずのエリスちゃんの姿が見当たりません。一体どこに――」
その時だった。
「クヒヒッ……! 【捕まえたぞ】」
何処からともなく声が聞こえた。湿ったような薄気味の悪い、男の声。魔族キシナリの得意げな叫び声。
不意に足元から聞こえる、ピチャピチャという液体を踏み鳴らす音。瑞穂は下へと視線を落とし、咄嗟に呟いた。
「しまった――!」
いつの間にか、三人が立っている辺りの床にうっすらと液体が広がっていた。白く染まりきった空間は、あらゆる感覚を――聴覚を、嗅覚を、視覚をゆるやかに麻痺させていた。
急速に鼻腔を侵していくアルコール臭。瞬く間に地面から液体の塊が湧き上がり、跳び退く隙さえも無いまま、三人はそれぞれ足元から口を開いた液体の塊に包まれ、捕らえていた。
「キヒヒッ……青い髪の方は幼児体型で論外だが、金髪の方はなかなか良い身体つきをしている……わたくしの【蒐集品】の中でもなかなかの上玉となろう」
「こんなの――中から【両断】すればいいだけのことっ――!」
「我が身を廻れ、その灼は聖なる浄め――【ステカ・ヴォレ・ルバディ】――!」
瑞穂は液体の中でもがきながらも刃を振るい、纏わりつく液体の塊を内部から一刀両断する。
奈留は炎属性の魔術を纏い、覆い被さるアルコールを瞬時に揮発させる。
液体の拘束から解放されるや否や、瑞穂は開口一番、噛みつきそうな勢いで捲し立てた。
「――っていうか、誰が【幼児体型】ですかオラァ! スレンダーとかスリムとか他に表現する言葉知らないんですか!!」
「ちょ……ちょ、そんなことより、もっちー……翔真くんが……!」
そう言う奈留の視線の先にあるのは、最後に残った一際大きな液体の塊。
その中に捕われていたのは、纏わりつく液体の塊から単独で脱出する術を持たない天王寺翔真の身体。
「翔真さん――!」
翔真はアルコールの液体の中で溺れ、苦しげな表情を浮かべて闇雲にもがいていた。
瑞穂は即座に剣の柄を握りしめる。しかし、【断ち切る】斬撃は放たなかった。じりじりと液体の塊に躙り寄るだけで、やがて苛立たしげに瞳を細めて口許を歪める。
少女は、断ち切る刃を振るわないのではなく、振るえなかった。何故なら――。
「クヘヘッ……【あの方】の言っていた通りだ……確かに、お前は魔力の流れを【断ち切る】ことのできる刃を持つ。しかし、肝心の魔力の流れを【視る】ことができるわけではなく、その【刃】が魔力の流れに【触れて】いなければ、【断ち切る】ことはできない。つまり――」
どこからともなく響いてくるキシナリの言葉。少女は幼い顔に似合わない舌打ちをし、唇を噛み締めた。
「わたくしが姿を隠し、遠隔で液体を操ってしまえば、魔力の流れは隠蔽され、そうやすやすと【断ち切られる】ことはない……操られし液体そのものを【断ち切ろう】にも、中に人間を捕らえてさえしまえば、そう簡単に両断されることもなくなる。何故なら、中の人間ごと【断ち切る】わけにはいくまい?」
愉悦に満ちたキシナリの声は続く。そうしている間にも翔真は口から泡を吐き、見開かれた瞳は血走り、その顔は青ざめていく。
「なっ、奈留さん――さっきの魔術で、なんとかなりませんか?」
瑞穂は半分涙目になりながら、横に立つ奈留へと視線を送る。
「いや、でも――そんな事したら翔真くんまで燃えちゃうよ。あれは自己防衛の詠唱を展開した上で行う術式であってだね――」
聞いてもいないのに魔術の解説を始めようとする奈留を無視して、瑞穂は再び翔真へと視線を戻す。
翔真は意識を失っているようだった。見開かれた瞳に広がる黒い瞳孔。半開きの口からこぼれる小さな泡、だらりと垂れ下がった腕。その手首に嵌められ怪しく黒光りしていたのは――。
それを見て、瑞穂は彼の言葉を思い出していた。
何かあったら、これを断ち切って欲しい――最後に頼れるのは、これに封じられた【俺】の力しかないと思うから――。
少女の青い髪が、儚い雪のような白い色へと変わっていく。
「確かに、そうですね――その力――今こそ、お借りするしかないみたいです――」
仄かな白い光を放つ髪をした少女は短く呟き、剣を振るった。
彼に密着してしまい境界を切り分けにくくなった液体の塊などよりも、【それ】は遥かに【断ち切る】ことが容易かった。
それは、天王寺翔真の右腕に嵌められた赤黒い魔枷――【夢幻拘束】
それは、彼の中にいる覇王とその力とを縛る、呪いと封印がカタチになったモノ。
そして、【夢幻拘束】は【断ち切られた】
神秘斬滅の少女によって放たれた、閃刃によって。
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