竜族【ドラコルグス】の少女、クスガ
【DC△4974年9月19日 10:18】
すぅ、と息を吸う。
無心の中で、微風が草木を凪ぐ音だけが、耳を抜けていく。
力を込めた腕が沸々と滾り、紅々と輝く上腕より隆起した筋肉の節々から、次々と蒸気が噴き出していく。
そして、彼は紅き腕を振るった。その刹那、黒々とした眼が金色を帯びる。続いて腕より放たれし熱波が、数十メートル離れた先に聳える崖へと達した、次の瞬間――。
――ズドオォォォォン――!
轟音と共に崖の表面が吹き飛び、そして灼け熔ける。高く聳える崖の、熱波の侵食を受けた部分だけがごっそりと深く抉れていた。
「――ふぅ――」
少年アシャは静かに息を吐き、己が能力でえぐった崖を見上げる。シューという空気の漏れるような音とともに、紅き腕が萎んで元の人間の形状のものへと戻っていく。
と、その時――パチパチパチ、と手を叩く乾いた音が背後から聞こえるのを、彼は聞いた。
「目覚めてあれから、はや3ヶ月――その能力の扱いにも、だいぶ慣れてきたようですね。アシャ」
呼びかけられ、振り返ったアシャの目の前に立っていたのは、竜の因子を混ぜて造られた人間――竜族の少女、クスガだった。
「とはいえ、あまり無理はされないように。キシュゥは――いえ、主人は、どこか焦ったように、あなたへ能力の解放を迫りますが――これだけの能力、使えば使うほどその反動は、あなた自身の身体へ跳ね返ってきているはず」
少し心配げに眉を顰める、翠玉色の髪の少女。初めて出会った時には調整中として片言だった彼女も、この3ヶ月の間に何度か老人キシュゥの調整を受け、今ではすっかり流暢に言葉を操る、魔術師然とした思考の持ち主へと変貌していた。
「ああ、心配ありがとう。クスガの言う通り、この能力の反動はかなりのものだ。あまりペースを上げすぎると、確かに僕の身体がもつかどうかわからない――。
だけど――」
そこまで言いかけ、続けようとするアシャの言葉を、クスガの短い問いが遮った。
「ユキナ――ですか?」
「えっ――?」
何故、それを――? 突然に出されたユキナの名に、アシャは自身の顔が強張るのを感じた。
「目覚め、初めてお会いした時も、夜寝ている時も――、これまでずっと、あなたは魘されていましたから。そして譫言のように、その名を呼び続けていました。ユキナ――と。
主人は、あなたの個人的な事情にはさほと興味を示してはいませんが、私は知りたいと思っています。あなたもご存知の通り、私は心操調整によって、天使と戦う理由を刷り込みされている。しかし、あなたはそうではない。だから――」
真正面からじっと、クスガは深い眼差しでアシャを見つめて。
「アシャ――あなたは逃げることもせず、ここに留まった。身体をそのように弄られ、その身を灼き切りかねない危険を抱えても――しかし、戦うということを選んだ。
それは、何故――? あなたは、何のために戦おうとしているのですか。この世界のため――? 人間達のため――? もちろん、それもあるでしょう。ですが、おそらく――最大の理由はそこではないように、私には思えて――」
先を続けようとするクスガを目線で制して、アシャはふぅと溜息を漏らす。
「要は、ユキナのことが知りたいのだろう? キシュゥもそうだけど、魔術師ってのはどうしてこう説明が長いのかね」
少し呆れたようなアシャの言葉に、クスガは面食らったように目を剥き、そして不服そうに頬を膨らませて。
「なっ――私は――、ま、主人ほど発言はクドくないと思いますがっ――!」
「ごめんごめん、悪かったよ。冗談だ」
はははっと軽く流して、アシャは近くに置いていた布で額や首筋に流れた汗を拭う。そして急に切り替えたように真面目な面持ちを浮かべて、冷めた黒い瞳で宙を仰ぎ見て。
「ユキナは――僕の幼馴染だった。
そう――物心ついたときから、いつも一緒だった。あっちは良家のお嬢様で甘やかされていたからか、結構ワガママで――、そうだな――僕は幼い頃からいつも、そのワガママに付き合わされていた――といっても過言ではないかもしれない。
遊ぶときも、悪戯をして怒られるときも、ちょっとした行き違いで言い合いになったときだって――それでも、僕たちはいつも一緒にいた。幼い頃からそうだったから、そこに何の違和感もなかったし、むしろその関係に居心地の良さを感じていた。たぶん、向こうも同じように感じていたと思う。
だから僕は、この関係がこのまま何事もなく、成長とともに穏やか変化しながらも――何らかの形で、ずっと続くと思っていた。あの――星降りの夜までは」
そこまでアシャが言ったところで、クスガは何かを察したかのように表情を曇らせた。
「なるほど――あなたが魘されながらも呼びかける、ユキナという名は――、そういうことでしたか。では、もしかして――その人は、今――」
「察しの通りだ。天星夜の日――夜空を流れる星を観たいと、ユキナは言った。ユキナと僕は一緒にスィラハマの丘へ登り、そこで星を眺めている最中――」
――そう、あの時――ユキナに白い光が墜ちた。そして、彼女の身体は、天使に呑まれた――。