その名は魔神【マギアテオス】
「つまりは――この女に俺を襲うふりをさせ、俺に否が応にでも戦闘態勢をとらせることで、半ば強引にその能力を覚醒させようといったところか。ふん、確かにくだらん茶番ではあったが――まあ、思惑通りになったな、老人と女よ」
アシャは若干不愉快そうに眉を潜めて、自身の紅き腕を見つめる。戦闘の終了を認識したその腕は、盛り上がった筋肉のあちこちから魔力を帯びた蒸気が噴出させ、次第にゆっくりと萎んで元の人間の腕へと戻っていく。
「騙すような、真似して、ごめんない――でも――」
「気にするな女。どうせ貴様自身の意思ではあるまい。そうであろう――? 老人」
片言で謝り俯くクスガを尻目に、アシャはキシュゥへと向き直る。老人キシュゥは、己が造りし魔縮の四肢が想定通りに能力を発動させたことに満足そうに肩を揺らして。
「うむ、察しのとおりだ――、それまで戦いなど知らぬ普通の人間であったお前に、いきなり魔縮の四肢の能力を解放しろなどと言ったところで出来ぬであろう? こういったことは実践に限る」
老人はそう言い、顔を覆い隠す白髪の隙間から細めた眼を覗かせた。その視線の先にあるのは、魔力を漲らせた紅き豪腕だったもの。噴き出る蒸気とともに魔力の抜けたアシャの右腕は、未だ残る僅かな魔力の筋を残して、ほぼほぼ普通の人間のものへと戻っていた。
「まあ――それはいい。結果としては、俺は最短で能力を解放できたことになるからな。それよりも――ぐっ――うぐっっ――!?」
不意に、アシャは言葉に詰まった。魔縮の四肢の能力を解放した反動か、熱るような痛みが上腕から指先にかけて広がっていく。同時に、金色を帯びたその瞳は元の黒色へと再び変化していき、高慢だった口調は少年の元々持っていた柔らかさを取り戻していく。
「――う、うぅ――まったく――僕も――、とんでもない身体にされてしまったものだな――いや、そんなことよりも――」
痛みを堪えてアシャは、白髪の奥に落ち窪んだ老人の目を見据え、そして問いかけていた。
「このクスガって娘も――普通の人間じゃないな。僕の腕でようやく防ぐことができるほどの攻撃魔術に――数十メートルもの跳躍力――さらに、その身に保有する尋常ではない魔力の質と量――どれをとっても、ただの人間では考えられないレベルだった。
あんた――あの娘に何をしたんだ――? 命令を聞かせるために精神を調整しているってだけじゃない。その身体にも――僕と同じように、何か魔術的な改造を施しているんじゃないか――?」
「ほう――気づいたか。魔縮の四肢から漏れ出る魔力により金色を帯びしその眼――まあ、今はまた元の黒色へと戻ってしまっておるが――魔力を視ることもできるのだな。
そうだ――クスガもまた、お前と同じく天使に対抗するために私が造りし兵器だ。
人間に魔竜の因子を混ぜて産み育てた、人間ならざる人間――私はそれに、竜族と名付けた」
老人の言葉に、アシャは引いたように後退った。ちらり背後に佇む不安げな面持ちの女性を見やる。その指先の長爪や、細く尖った耳に、僅かながらも確かに竜の要素を見出して、彼は鋭い眼差しを老人へと戻した。
「人間に――魔竜の因子を――?! あんた――自分のやっていることが解っているのか――!? 人間に人間で無いものを混ぜるなど――そんなことが許されるわけが――」
「いまさら何を言う――! 天使の襲来を前にして、そんな些末なことを気にしている場合のでは無いのだ――!!」
老人は萎みきったようなその小さな身体から、空気の震えるような大声を放っていた。その震えに帯びているのは張り詰めた畏れと、底抜けの――憎悪。
「私はあの歪められた街の光景を忘れん――もう二度と、あのような光景をこの世界に作らぬために、私は100体近くの竜族を造った。しかし如何に人間を超えた能力を有する竜族であっても、天使には敵わぬと悟った――もっと強大な能力が――天使の使う概念の能力に匹敵する――これまでとは次元の異なる能力が必要だった――」
激昂するキシュゥはただただ捲し立てる。アシャはただ呆然と立ち尽くしたまま、その何かに取り憑かれたような老人の姿を、黙り俯いているクスガと共に見つめることしかできないでいた。
「それがお前だ。よいか、魔縮の四肢を与えられし魔神よ――その能力、必ずや使いこなし――天使から、この世界を護るのだ――!!」
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